#7 恋に落ちる真夏の夜更け

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 十字街で下車し、市電通りをベイエリア方面に歩いているうちに、八幡坂の始まりに行き当たった。まっすぐ伸びる石畳の先には函館山。茜色の靄が空をやんわりと覆い、細長い雲がたゆたうように浮いている。  暑いな、と東が呟いた。確かに気温も湿度も昨日より高い。夕方になってもなお風は温く、今日もビールがよく進みそうだ。 「歩いてる途中に転ぶなよ。俺まで巻き添え食うんだからな」 「それ、わたしのセリフ」 「俺はな、ほっそいおまえが風で吹っ飛ばないように捕まえてやってんの」  昨日とは違う繋ぎ方にドキッとする。指と指を交互に絡ませ合う──そうだ、「恋人繋ぎ」ってやつ。わたしたち、恋人、じゃないのにな。 「心配しなくても、飛びませんけど」  普通に繋ぐよりも密着するから、危うく彼の腕が胸に当たりそうになる。……まあ、ほぼ平らだから、当たっても気づかれないだろうけど。  傾斜がゆるやかなぶん、坂上に辿り着くには少し時間がかかりそうだ。それでも、こまめに設置された生垣と街路樹の緑、ガス灯のように可愛らしい形をした街灯やレトロな建物に目を奪われ、退屈することはない。  この通りの付近にはたくさんの見どころがある。左に行けば二十間坂、右に行けば元町の教会群。どちらも魅力的だけど、東は付き合ってくれるだろうか。ベイエリアにも行きたいから、あまりゆっくりはしていられない。  三分の一ほど登ったところで振り返ると、一直線の道路の向こうに海が見えた。昼間のように青々としているのではなく、少し灰色がかった寂しげな海だ。  さらにその向こうには、街の続きとなだらかに聳え立つ山々。海と山に囲まれた異国情緒溢れる地方都市──函館は、つくづく不思議な街だ。 「高瀬、あのさ」  ちょうど「止まれ」の標識の下で足を止めたときだった。どちらの汗で湿っているのか分からない手を繋ぎ直して、東が意を決したような声でわたしを呼んだ。 「なに?」 「前に、言ってた……俺の初恋の話と一緒に、聞いてほしいことがあるんだけど」 「ここ、で?」 「いま、言いたい」  その丸い瞳に、ふざけているようすは微塵も感じられない。目を合わせたまま頷くと、彼はほっとしたように息をついた。
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