#7 恋に落ちる真夏の夜更け

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「し、ない」 「それは無理。俺がいま、なに考えてるかわかってんの?」 「そんなの、知らない」 「いますぐホテル帰って俺の部屋に連れ込んで、強情で素直じゃない彼女をひん剥いて、朝までベッドの中で可愛がりたい」  いつもより低い声で並べられた言葉に、今度こそ全身の力が抜ける。そろそろ溶けそうだ。そうなったら、どうやってホテルまで帰ろうか。 「高瀬、俺と付き合ってくれる?」  目を合わせて言うなんてずるい。こんなの、夢か嘘かもしれないのに信じてしまいたくなる。好きな人が自分を好きになってくれる奇跡が、わたしの人生に起こるはずがないのに。 「ほら、返事は?言い逃げすんのかよ。いい歳して」 「歳は、関係ないでしょ」 「早くふたりになりたい。観光は今度でいいだろ?」 「また出張予定があるの?隆平さんたちばかりずるい、って向井くんに言われるよ」 「バカ、旅行だよ。函館くらい、いつでも連れてきてやるから」  な、と顔を覗き込まれて怯んだ隙に、また唇を奪われた。いつまで景観破壊を続けるつもりだ。分かったから、と必死に抵抗すると「なにが分かったんだよ」と不貞腐れてしまう。やっぱり子どもくさい。だけど、こんなところも好きなんだから困ってしまう。 「ホテル、帰る。視線が痛くて耐えられない」 「帰って、なにすんの?」 「……東の部屋に、連れ込まれるんでしょ。わたしも、まだ一緒にいたい、から」  だから、いいよ。汗で湿った、というより滑っている手を握り返してじっと見つめてやった。もちろん睨みつけたつもりだ。 「おまえのその、クソあざとい無自覚な煽り、いい加減にしろよ。他の男にやったらただじゃおかない」  三秒ほどの間が空いたのち、意味の分からない暴言をぶつけられた。 盛大なため息がゆるやかな潮風に攫われていく。坂上まではあと50メートルといったところだが、残念ながら、今回は諦めるしかなさそうだ。
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