#8 801号室、夜半のふたり

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 頭の中が霞むような気持ちよさに朦朧としているうちにブラウスを抜き取られた。「これも脱ごうな」とキャミソールとブラも。  見事な早技だ。さすが、遊び人の女たらし。慣れてるな、と悲しくなった瞬間に思い出す。──そうだ、訊かないといけないことがあった。 「東、あの」 「名前」  優しくされたくねえの?唇を貪られてタイトスカートのファスナーを下ろされ、ストッキングの上から太腿を撫でられた。その間も首や胸への攻撃は止まない。いったい何手あるのだ、と問い質したくなる。経験値ゼロの処女では、とてもじゃないけど太刀打ちできない。 「いっそのこと、食っちまいたいな」  物騒な発言に息を呑むと、砂糖顔がくしゃっと歪んだ。自らのワイシャツのボタンを苦しそうに外しながら、「俺、情けないくらい余裕ねえわ」と自嘲気味に微笑む。 「よ、ゆう……ないの?それで?」 「必死を悟られないように必死。おまえの大切なはじめて、がっつくわけにいかないだろ」  ストライプ柄のワイシャツがベッドの上に広がる。黒いタンクトップから伸びる筋肉質な腕に釘付けになっていると、「こんなんで満足されたら困るんだけど」と頬を抓られた。 「あの、訊きたいことが」 「あとにしろ」 「わたしのこと好きなの、ほんと?」 「それを疑われたらさすがに萎える」 「だって、他にもいっぱい、可愛い子とかセフレとか」 「いねえよ。おまえだけ。おまえにしか興味ない。つばきが欲しくてたまんない」  早く信じさせてやりたい、と剥き出しになった上半身を覆われる。たった一枚の布を介しただけの触れ合い。匂いや重みや呼吸の音が、彼がすぐそこにいることを無理やり実感させる。  ──信じていい、のかな。  特別な相手を作らないはずの、誰にも本気にならない東。ずっと想い続けていた人。ほんの数十分前に、わたしの彼氏になった人。  好きだ、のひと言にこめられた熱を、嘘だと思えない。この視線を、声を、感触を、夢だと思いたくない。  ──考え方が、甘いのかな。  茉以子のこと、ちゃんと聞いておきたいって思ってる。だけど、このまま流されたいのも事実。  彼がわたしを好きだと言ってくれる夢みたいな時間を、一秒でも引き伸ばしたい。壊したくない。好きもかわいいも全部、東が言ってくれたことを全部、明日の朝になっても覚えていたい。
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