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十数秒間は鳴り続けていただろうか。一旦止んだが、また数秒後に鳴り出した。あとでいい、とキスを続けようとした彼も、ちらちらと気にするような素振りを見せている。
「どっちの、だろうね」
なんとなく分かっていたが訊いてみた。部屋に入ってすぐに抱き上げられたから、わたしのバッグはドアの近くの全身鏡の前に置きっぱなしのはず。だけど、その無機質な音はもっと近い。ベッドの上のどこかで鳴っているような気さえする。
「……たぶん、俺の。しかもこれ、社用」
「分かるの?」
「私用スマホ、さっき電源落ちたから」
狭い部屋に鳴り響くバイブ音と隆平のため息が、わたしたちを現実に引き戻す。身体にこもった熱が、干潮のように引いていく。
「出たほうが、いいんじゃない?なにか急用かも」
「……だな」
「時間外かつ明日まで待てないなんて、本当になにかあったのかも。ほら、早く」
「なんだよおまえ、あっさり仕事モードかよ」
俺の彼女は素っ気ねえなあ、とわたしをぎゅっと抱きしめ、もうひとつため息をつく。あっさり仕事モード、なんて──そんなわけ、ないじゃない。
「クライアントならまだしも、会社かもしれないよ。この電話を無視したら、邪推されちゃうかも」
熱が逃げた冷静な頭で考える。独身で恋人もいない20代の男女が、ふたりきりで2泊3日の函館出張。いくら相手が高瀬だって、なにかないとは限らない。だって、東だぜ。そう揶揄する声が聞こえてきそうだ。
うちは社内恋愛禁止でもないし、わたしはべつにいい。だけど、隆平はチームリーダーだ。そう遅い時間でもない会社からの着信を無視したら、なにかあったのかと勘ぐられるかもしれない。
昇進して日も浅いうえに年齢も若く、実績を積んで周りの信頼を勝ち取っていかなければならない立場。舐められている、というのは言い過ぎだとしても、部下や後輩からはフレンドリーに見られがちなタイプ。女癖が悪くのらりくらりしていた彼を疎ましく思っている社員──だいたいは、同じ年齢層の冴えないタイプの男性だ──だって、少なからずいる。
昇進の前後、そして現在も、彼がどんなに悩んで努力しているかをわたしは知っている。それを、こんなことでふいにしてほしくない。
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