#8 801号室、夜半のふたり

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「わたしたちが、その、付き合う、ことになったの……周りに知られないほうが、いいでしょ」  隆平は、未だ渋るようにわたしの身体に覆い被さったままだ。バイブ音が止む。クライアントか、会社か。それは分からないが、次に鳴る前にこちらから掛け直すべきだろう。 「隆平は、これからもっと昇進してくはずなんだから。向井くんや間中ちゃんにも示しつかなくなっちゃうし」  広い背中にそっと腕を回し、「ね?」と諭すように畳み掛ける。営業二係の外勤営業チームは4人編成。そのうちのふたりが──それも歳上のわたしたちがこんな仲になったと知れたら、仕事がやりにくくなるのは明白だ。 「……だよ、な。俺、隠したいとか全然思ってなかった」  不意打ちのひと言にきゅんとしてしまう。たぶん、そこまで考えていなかったんだろうな。分かってはいても嬉しくなる。わたしなんかを彼女にしたこと、恥ずかしいと思っていなかったんだ、って。 「こうなったのが嬉しいって、そればっかで……おまえ、すごいな」 「ずっと、見てたから。隆平が頑張ってるの」  さっきまであんなことをしていたというのに、目が合った途端に恥ずかしくなった。乱れた髪もメイクが崩れまくっているであろう顔も貧相な胸元も、全部隠してしまいたい。  彼の舌打ちが聞こえた。それから「あー、クソ。ほんと、マジでクソ」というアラサー男性とは思えない毒づき。苦笑いするわたしをきつく抱きしめたあと、じれったく離れていく。 「あーもう、やりたくてたまんない。俺の俺が疼きまくってる。こんなの人生で初めてだわ」 「それは光栄、だね……?褒められてるの?」 「こんな寸止めアリかよ。なんなんだよ、時間外に電話してきやがって」 「しっかりしてよ、チームリーダー。電話終わるまで待ってるから」  隆平はわたしの言葉に満更でもないような表情を浮かべ、「それも、そうか」とあっさり頷いた。触れるだけのキスを残し、無惨に脱ぎ捨てられたスラックスを拾い上げる。 「……会社からだ。つうか、向井から」  なんかあったのかよ。心配そうな声色は紛れもなく上司のもので、さっきまで、わたしを甘く攻め立てていた恋人はどこにもいない。  隆平こそ、あっさり仕事モードに戻ってるじゃない。残念な気持ちよりも微笑ましい気持ちが強いのは、仕事に向き合う彼が好きだからだ。だから、また恋人に戻ってくれるのを、ふかふかのお布団にくるまって待つことにしよう。
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