#8 801号室、夜半のふたり

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──Side 隆平 「ちょっとな」  端的に言えばつばきのミスだ。時間もないのだから、「一番良い方法」を実行すべきだと分かっている。そもそも俺は文章を書くのが不得手なのだ。彼女に任せたほうがいいのは十分承知している。 「もしかして来週分?印刷、もう回ってるよね?」 「確認できなかった。データはタブレットに入ってるから、これから直すわ」 「隆平が担当のところ?間違った、とか致命的、とか聞こえたけど」 「ああ、やっちまったよ。間に合えばいいんだけど」  はぐらかすように笑うと、「じゃあ、わたし、自分の部屋に戻ったほうがいいよね」とつばきが俯いた。胸元や鎖骨の赤い痕が見え隠れして、無自覚な甘い誘惑にぐらつきそうになる。  正直に話せばどうなるだろう。責任感の強いつばきのことだから、「わたしから佐野さんに連絡する」と言い出すはずだ。 SANOの案件は元々つばきの担当だし、今回のミスも彼女のもの。ふたりが直接やり取りしたほうがスムーズに決まっている。 「……部屋、戻ろう、かな」  むき出しの頼りない肩が揺れた。乱れた髪を梳くその手を掴まえて、不完全燃焼の身体を心ゆくまで擦り合わせたい。だけど、立ちはだかる現実がそうさせてくれない。 「わたしが手伝えること、ある?」  澄んだ奥二重の瞳は真剣そのものだ。ゆっくりと(かぶり)を振ると、そっか、と寂しそうな微笑みが返ってきた。  ──もう、あいつと関わってほしくない。  思い切り私情だ。その自覚はある。トラブルを解決するために一番良い方法を分かっていて、なおかつ選べる状況にあるのに選ばないなんて、社会人失格だ。  なにが昇進だ、チームリーダーだ。ただの子どもくさい嫉妬で、真面目な彼女に嘘をつこうとしているじゃないか。 「……悪い」  布団からはみ出た小さな手を握ると、「どうして謝るの。やってしまったものは仕方ないでしょ」ともう片方の手を重ねてくれる。胸の奥に針で刺されたような痛みを感じたけれど、気づかないふりをした。
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