#8 801号室、夜半のふたり

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──Side 隆平 「東さんに読まれるとは、僕もまだまだですね」 「どういう意味ですか」  せっかく飲み込んだひと言が無意識に出てしまった。 プライベートの件でバカにされているならまだしも、仕事相手としてバカにされているのなら心外だ。いったい、どういう人生を送ってきたら、人の感情にしれっと薄い布を被せるような返答ばかりをできるのだろう。 「そのままの、意味です」 「だてに営業やってませんから。決して、心配して訊いてみた、というわけではないです」 「分かってます。あなたに心配される謂れはありませんので」  こいつ、絶対友達いないだろ。そんで、部下にも超嫌われてる。柔らかく軽やかな見た目のオブラートで包んでおいて、中身はちっとも美味くない。  俺のつばきが、なぜこんなやつに結婚を迫られないといけないのだ。近いうちにしっかりと釘を刺しておく必要があるな。つばきと俺はあなたが思っているとおりの関係なので手を出すな、と。 「余計なお節介を焼いて申し訳ありません。印刷が間に合わなければ、Webに訂正記事を載せるような形になりますが、ご了承いただけますか」 「はい。僕の責任ですので」  あっさり平坦に戻った声に胸がざわつく。凡ミスをした社長の息子の人事部長。彼は、残業をしない──もしくはさせていない部下に、どう思われるのだろう。 「……あくまで希望的観測なんですけど、印刷、間に合うかもしれません。二分の一の確率で」 「そう、ですか」 「はい。明日の朝、またご連絡します。間に合うといいなと、本当に、心の底から思っています」  本心だ。印刷が間に合えば、小さな嘘をついた罪悪感から逃れることができる。そして、佐野さんは誰からも責められない。俺たちふたりの間での出来事として、静かに終えることができる。
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