#8 801号室、夜半のふたり

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──Side 隆平 「つばきちゃんがあなたを好きな理由、なんとなく分かるな」 「はい?」  まさに携帯を耳から離そうとしたときだ。砕けた口調で引き留められ、一度浮いた尻を椅子に下ろす。 「人との距離の測り方が絶妙ですよね。今度コツを教えてください」 「冗談、ですかね」 「本気です」  なんなんだ、この人は。浅くついたはずのため息は電話の向こうに届いてしまったらしかった。「素直ですよ、東さんは」。やはりバカにされているのか。 「なにかあったなら、俺につばきちゃんを譲ってくれる?」 「……は?」 「俺が困ってるって言ったら、東さんは引いてくれる?べつにあなたは、つばきちゃんじゃなくたっていいでしょう」  ふざけるな、と口に出したときには遅かった。「いや、ほんとに、羨ましいくらい素直」──くつくつと低い笑い声が返ってくる。 「高瀬は……つばきは、俺の彼女です。譲るも譲らないも俺のものだ」 「本気なんですか。一時の感情で振り回していいタイプの女性じゃないですよ、つばきちゃんは」  頬にカッと熱が差す。「俺はあいつが好きなんだよ。もう、取り返しがつかないくらい」──言ってしまってから恥ずかしくなる。赤の他人に、なんて告白をしているんだ。 「……俺が好きになったあいつを、俺を好きだと言ってくれたあいつを、なによりも大切にしたいと思っています。俺ができるすべてで」  方法など想像もつかない。これから手探りで見つけていくところだ。誰かを大切にしたいという感情に、初めてぶつかっているのだから。 「大切に、ね。不都合なことを隠して猫可愛がりするのは、大切とイコールではないですよ」  連絡お待ちしています、と滑らかな声で電話が切れた。なに言ってんだよこいつ。虚しく呟いた声が薄暗い部屋に溶ける。  見透かされている。佐野貴介は、他人の弱い部分を見つけるのがとてもうまい男だ。
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