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「そんな……ことで、わたしに黙っていたと?彼、チームリーダーですよ。これ、仕事ですよ」
「それは本人に訊いてみたらどうかな。あくまで僕の推測ですから」
一人称を混在させているところが一層タチが悪い。「僕」と言われてしまうと、仕事中に無駄話をしているようで追及する気を削がれるのだ。この人のことだから、分かっていて巧妙に使い分けているのだろう。失礼ながら、本当にタチが悪い。
「お節介はこれくらいにしておこうかな。いまのは、今回の件を真摯に対応してくださった東さんへのお礼ということで」
佐野さんのコーヒーが空になりそうなところで、「お代わりお注ぎします」と先ほどの店員さんがやって来た。
ホットコーヒーを頼んだ客全員へのサービス、というわけではないだろう。わたしの目の前でなにやら可笑しそうにほくそ笑んでいるこの人は、そういう存在の人なのだ。
「やっぱり、僕が出向けばよかったな。居心地悪いったらないよ」
「慣れては、いないんですか?」
「こういうのに慣れちゃったらおしまいでしょ。お客さん目線の店づくりなんてできなくなる」
ゆらゆらと湯気を立てるコーヒーを啜り、呆れを吐露するように佐野さんが言った。俗に言う「御曹司」と呼ばれる身分の人たちは、もっとそこにどっぷりと浸かっているはず。いままで仕事で出会ってきた、いわゆる「二世」は皆そうだった。
「つまらない反抗心が具体化したというか」──社長への、父親への反抗心、という意味だろうか。取材といっても、件の事情のせいで直接話をしたわけではない。メールでのやり取りだけでは、佐野さんの気持ちをそこまで読み取ることはできなかった。
「あまり長居して鬼が女とサボってるなんて言われても困るんで、そろそろ本題に入ろうかな」
「鬼、ですか?」
「僕の下の名前──貴介の貴の字をね、勝手に鬼に変換して呼んでるんですよ、うちの社員。こんなにいい男捕まえて、ひどいよね」
調子こそ軽い冗談のようだったが、本心がそこにないことはすぐに分かった。彼の身分とそぐわない──と思われてしまう──仕事への熱量と会社への愛情は、一般社員からしてみれば、それこそ「居心地悪いったらない」のかもしれない。
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