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「……佐野さんじゃなくて、茉以子に聞いたの。あのとき、ちょうど残業してたんだって」
冷気が熱気に押され、室内が徐々に蒸し暑くなっていく。全身に汗が浮き出てくるようで気持ち悪い。それでも、隆平に触れられていることを嫌だとは思わない。
「内容は、佐野さんに聞いた。僕が全面的に悪いですって言われたけど、そんなわけにいかない。あれはわたしのミス。だから、わたしが責任を取るべきだった」
「……ごめん」
「あんな雰囲気だったから言いにくかった?でも、一緒にいたのに」
「ごめん。俺が悪かった。あのとき、言うか言わないか最後まで迷ったんだ。だけど、どうしても……その、嫌で、たまんなくて」
なにが?顔を上げて睨むように見つめると、「おまえに怒られるの、結構クるな」とため息を返される。静まり返った会議室に、もうひとつ大きなため息と「ごめん」。いったい、なにに対して謝っているのか。
「正直に言ったら、おまえ、絶対に自分から連絡しただろ。できればもう、あの人と関わってほしくないと思ったんだよ」
「仕事、なのに?」
「どうかしてた。上司失格だって自分でも思う。だけど、おまえが頼りないとか仕事ができないとか、そんなことは思ってない。すごく信頼してるし頼りにしてる。本当だ」
「それなら……隠してること、全部話してよ。この件だけじゃないよね。茉以子と、本当はなにがあったの」
手首を掴む手に力が入った。揺らいでいた視線が完全に逸れて、唇がきゅっと結ばれる。……なにもない、って顔じゃ、ない。
「変な気遣いとかいらないから。だって、わたしたち、付き合ってる、んだよね。一応」
「なんだよ、一応って。それは聞き捨てならねえんだけど」
「そこ、引っ掛かるの?ていうか、怒りたいのはわたしのほうだよ。裏表ありませんみたいな顔しておいて、隠しごとばっかり。こんなに嘘ばっかりじゃ、好きだって言ってくれたことも、付き合ってることも疑いたくなる」
言い過ぎた。口を噤んだときにはすでに遅く、隆平が呆気に取られたような顔でわたしを見ていた。ごめん、と零した掠れた声は、果たして聞こえていただろうか。手首を掴む力が、少しずつ弱まっていく。
「隆平、あの」
「つばき」
わたしの名前を呼んだのは彼ではなかった。もっと言うと、その声は入口の方から聞こえた。誰なのかは、振り向かずとも分かった。
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