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「ずっと前に振られちゃってるけどね。つばきが本社に異動してくる前の話だし」
柔らかそうな二の腕が震えた。彼女が缶に手を伸ばし、流し込むように深く口をつける。
「茉以子、飲み方」
「ビールは一気に飲んだほうが美味しいもん」
「いつも、作ってたわけ?」
「ううん、あれはよそ行きの自分。わたしがお酒がつがつ飲んだら、それはそれでいろいろ言う人がいるでしょ」
頭がいい子だな、と感心する。茉以子のすごいところは、自分の立ち位置やタイプを完璧に把握してそれ相応の振る舞いをするくせに、万人に好かれようとはしていないところだ。そして、それほどまでに貫きたい「自分」があるというところ。
「ホテルまで行ったのに断られたんだよ。ひどくない?あんなの初めて、ていうか最初で最後、ぜったい」
「ホテル……」
「ごめん。気分悪いよね。でも、つばきに隠しごとしたくないから」
茉以子がきっぱりと言い放ち、唇をきゅっと結んでわたしの顔を見据えた。隆平と初めてホテルに行った──あまりにもみっともなかったあの夜を思い出す。ふたりはどこまでしたのだろう。抱き合った?押し倒された?キスはした?……それ以上、は?
「疑問が全部顔に出てる。つばきのそういうとこ、素直で可愛くて好き」
「だって、気にならないわけないよ。ずっと前のことだって分かってても……モヤモヤ、する」
「キスでおしまい。残念ながら、隆平くんからはしてくれなかったけど」
「……茉以子から?」
「あ、いま、ほっとしたでしょ。本気のやつとは遊べない、って言われたんだよね」
つくづくひどくない?遊ぶの前提かよって話でしょ。茉以子が唇を尖らせながら、鶏ささみのサラダを口に運ぶ。
キスまでか、という安心と、キスはしたんだ、という落胆が複雑に入り混じった。
想像の中のふたりのキスシーンは、悔しいくらい絵になってしまう。わたしなんかよりずっと似合ってるな、って筋違いな悲しみを浮かべるくらい。
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