#10 午前二時の夜雨

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「でもね、つばきは愛され上手なの。頑張り屋さんだからつい応援したくなっちゃう。自分の考えをしっかり持ってるから、この人なら大丈夫って安心できる。わたし、つばきになりたいって思ったこと、何度もあるよ」 「嘘でしょ。わたしなんか」 「ねぇ、それ、もう禁止にしない?イライラする」  茉以子はため息とともに立ち上がると、キッチンの方へ歩いていった。次は缶チューハイを飲むらしい。なぜか二本抱えてきて、「早くビール空けて。これ飲んで酔っぱらお」と会社中の男性社員が恋に落ちてしまうくらいの笑顔を浮かべる。 「すっきりした綺麗な顔立ちを地味のひと言で片付けるし、華奢でいいなって本当に思ってるのに痩せすぎとかまな板って言うし」 「待って、まな板までは言ってない」 「え、そうだっけ?」 「確かにまな板だし申し訳程度の膨らみだし、揉まれるって感覚がわかんないし、こんな貧相なもの触んなきゃなんない隆平が可哀想だとは思うけど」 「隆平くんは……すっごく喜んでる、んじゃないかなぁ」 「茉以子はいいよね。顔も声も可愛くてスタイルも良くて、仕草だって女の子らしくて。わたしね、ずっと、ずーっと、茉以子になりたいって思ってたの」  勢いよく飲んだそれはチューハイというよりも「酒」そのもので、ほんのりとレモンが香ったあとに苦味が喉を落ちていった。焼けつくような熱が広がって、喉だけでなく胸まで焦がしていくようだ。 「友達なのに羨んで嫉妬するなんて、汚くて荒んでるよね。妬んでも茉以子にはなれないのに」  ひとりでに涙が出てきた。いい歳をして人前で泣くなんてみっともない。分かっていても止められず、涙とは生理現象なのだと思い知る。 「つばきはわたしになれないけど、わたしだってつばきになれない。ショートカットは似合わないし、パンツスーツでバリバリ外勤こなす自分なんて想像できないし、好きな人にあんな目で見てもらえない。羨ましくて胸がきゅってなるけど、自分は自分として生きていくしかないし、持っているものを活かすしかないの」 お説教でも押しつけでもない言葉が、胸の中の黒い隙間にすっと入り込んできた。 「ていうか、汚くない人間なんていないから。その汚さを全面に押し出しちゃう残念な人もいるけど、だいたいの人は隠し持ってるよ」──潤んだ目がわたしを見つめる。可愛くていいな、と反射的に思った。この感情に後ろめたくなる必要は、もうないのだろうか。
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