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「土日、空けとけよ。デート初心者の俺プロデュースだけど」
「初心者とか絶対嘘」
「大学のときから彼女いないんだぞ。まともなデートなんてしたことねえし」
「わたしだってしたことない。そもそも、デートってなにするのかな」
「映画観たり、買い物したり、飯食ったり?」
「それ、隆平とするの?絶対楽しい」
湧き立つような幸福感に、思わず身を乗り出した。
彼の住むマンションは、真っ暗な札幌駅のずっと向こう、ここからでは見えるはずもないところにある。霧雨が髪を濡らして、ハニーフローラルが弾ける。
どんな映画が上映されているのかから始まり、なにが観たいか、なぜ観たいかを論争し、最後に金曜日の話になった。すべてを白状して謝ると、「俺を試すとかいい度胸してんな。覚えとけよ」とやけに冷静な声で言われた。
「その件、俺から佐野さんに言っとくわ。一応、仕事の一環として頼まれたみたいだし」
「茉以子が行くって話?」
「ああ。にしても意外だな。さすがの梁川も、イケメン御曹司には弱いのか」
あの茉以子にキスされてもその気にならなかったあなたが言いますか。心の中で毒づくように返す。
なにもなかったのは嘘じゃないと責めてみたら、「言いにくかったし、なにもないに等しいだろ」と開き直られた。モテる人たちの常識はよく分からない。
「わたしから佐野さんに言ってもいいけど」
「だめ。俺から連絡する」
「嫉妬するから?」
「そう。俺の可愛いつばきに、あの食えない男を近づけたくない」
真夏の深夜、友達と散々飲んだあとに、彼氏とくだらない話をしている。29年間生きてきてありそうでなかった夜。地味でつまらないわたしを好きだと、可愛いと言ってくれるふたりと過ごす、楽しく幸せな夜。
大切なものがたくさんある。隆平への気持ちも、茉以子への気持ちも、綺麗に温めてきたわけではなかった。いびつで傷だらけのそれを掬い上げてもらえる日が来るとは、思ってもいなかった。
「隆平の可愛いわたしは、今度こそ、隆平のものになるの?」
こんな恥ずかしいセリフも、酔った深夜だからたぶん許される。それとも、彼の前でならいつでも許されるのかな。
「ああ。誰にも邪魔させない」
低く掠れた声に心が震えた。ふたりきりの夜が待ち遠しい。この夜雨のように彼の腕の中でしっとりと濡れて、ひとつになって離れたくない。
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