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#3 あやめはなさく夜更けに
──Side 隆平
「で、おまえはつばきちゃんとなにがあったの?」
終業後すぐにタバコ誘ってくんのやめろよ、と何度言ってもやめてくれない。それが久保だ。奥さんには禁煙したふりを続けているらしい。絶対にバレてる、に一票。
「なんもねえよ」
「俺の目はごまかせないよ。自分にラブハプニングが起こらないからね、人のを見て楽しんでるんだよ」
「おまえにラブハプニングが起こったら大変だろ。やめとけよ、マジで」
「大丈夫。俺は一生、奥さん一筋だから」
はいはい、と煙を吐き出す。俺はタバコを吸わない。それなのに誘われる。なんだかんだついてきてしまうのは、たぶん、この時間が嫌いではないから。
「つばきちゃん、いいじゃない。おまえの大好きな麻紀ちゃんとは真逆のタイプだけど」
「やめろよ、もうとっくに好きじゃねえって」
初恋相手──麻紀とは、年明けに会ったきり一度も会っていない。そもそも、これから会う機会があるとしても地元の同窓会くらいだろう。
「もう好きじゃない」とは、「もうそういう対象として見てはいない」という意味だ。
俺が引きずっているのは、あいつへの恋心ではなく、長年胸につかえていたものがさっぱりとなくなった喪失感、なのかもしれない。
「一見地味だけど綺麗な顔してるしスレンダーだし、外見はなかなかのもんだろ」
「それ、褒めてんのか?」
「中身だって、いつもは突っ張ってるだけで、本当はすっげえ可愛いかもしれないじゃん」
「いや、ないだろ。高瀬だぞ」
軽く笑い飛ばしながら、俺はあの夜のことを思い出していた。……まあ、可愛くなくはなかった、瞬間も、あった。
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