#3 あやめはなさく夜更けに

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「つばき、あの人と連絡取ってるの?」 「あの人?」 「だから、あの人。佐野さん、だっけ?」  今日は社員食堂で、お互いのお弁当を持ち寄ってのランチだ。  外勤がないとわかっている日はお弁当を作ることにしている。夕飯の残りが中心の簡単なものだけど、お弁当には、外食にない満足感と美味しさがある。それに、料理は気分転換になるから好きだ。 「つばきのお弁当、今日も美味しそう。卵焼きとなにか交換したいな」 「じゃあ、ウィンナーちょうだい」 「やったぁ。いただきまーす」  お出汁の加減が絶妙なんだよね、と目尻を下げて頬を押さえる茉以子のお弁当は、わたしとは違ってカラフルだ。 小さなオムライスの脇にブロッコリーとタコさんウィンナー。お弁当まで可愛いもんな、と見るたびに羨ましくなる。 「つばきは和食が上手だからすごいよね。ひとり暮らしなのに煮物とか作っちゃうんでしょ?」 「多く作って次の日にも食べるの。楽でいいよ」 「料理上手のお弁当、って感じで羨ましいな。売ってほしいくらい」 「わたしは、茉以子の可愛いお弁当のほうが羨ましいよ」  肉じゃがのにんじんを口に運び、じゃこの混ぜご飯に手をつけた。「で、連絡、取ってるの?」──シマーなブラウンアイシャドウに彩られた猫のような目がこちらを向く。 「取ってないよ」 「えっ、なんで?マッチングしたよね?もちろん、連絡先は交換したんでしょ?」 「一方的に貰っただけ。連絡はしてない」 「うっそ、勿体ない。イケメンだし背高いしお金持ってそうだったし、かなりの優良物件じゃない」 「だから怪しいんでしょ。婚活パーティーなんて必要ないよ、あの人」  あれから一週間。連絡したらなにかが始まるかも、と思ったこともあった。だけど五秒後には、「あんな人とわたしの間になにが始まるというのだろう」とトーク画面を閉じた。  そもそも気持ちの所在が違うのに、他の人を間に合わせのように扱うのはいかがなものか。それも、滅多にお目にかかれないような「優良物件」を。
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