#3 あやめはなさく夜更けに

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 自分の身体が一気に嫌いになった。手で軽く覆えてしまえるくらいの大きさの胸も、平らなお尻も、どちらかといえば気に入っているパーツだった鎖骨も、「細くてまっすぐでいいね」と褒められたことのある脚も。  彼氏にセックスをしてもらえなかった。それだけで、女としての価値がないように思えた。  東だって同じだ。結局、わたしはしてもらえない(・・・・・・・)。この先の人生もずっとそうなんだろうか。 「……そんなこと、ないけどな」  ぽろりと零された声に耳を疑った。いつの間にかグラスが空になっていたので、勝手にクラシックをふたつ注文した。せっかくバーに来ているというのに、ビールばかり飲むのも勿体ない、と思いながら。 「そんなことないと、思うけどな。俺は」  不機嫌そうな声がはっきりと聞こえた。胸が大きく跳ねる。だけど、すぐに萎んだ。どうせこれもお世辞だ。 「東のくせに気遣わなくていいよ」 「遣ってねえよ」 「だって、断ったじゃない。そういう気が起きなかったんでしょ」 「そうじゃない。大切なものを簡単に捨てんなっていう」 「わたしの話、聞いてた?それでも大切だって思う?捨てたくないんじゃなくて、捨てられなかっただけなの」  さらさらした感触の紙のコースターの上に、静かにビールが置かれた。白い泡が少し多いそれを、ぐっと飲む。東にこんなことを言っても仕方がないのは、わたしが一番わかってる。 「……それでも、大切だろ。そんな大切なものに、俺は簡単に触れない」  あの夜わたしの胸元を撫でた指が、グラスに張りついた細かな水滴をなぞる。  簡単じゃないよ。あなたに()れるまで三年もかかった。捨てられないのは、大切にしているように見えるのは──自分のせいだってこと、わたしが一番わかってる。
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