#3 あやめはなさく夜更けに

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 いったいなにが起きてるの?飲みすぎたせいで、妙な夢でも見ているんだろうか。 「おまえ……ほんと、キス、下手くそだよな」  壁と東の身体に挟まれて、身動きひとつ取れない。まだ暗闇に慣れているわけではないのに、額と額がくっついてしまいそうな距離にいる彼の顔は、はっきりと見える。  キスのときは目を瞑る、なんて誰も教えてくれなかった。だけど、こんな状況で目が合ったらどうしていいかわからないから、コンタクトレンズが潰れてしまいそうなくらいぎゅっと力を入れる。 「あのな、もっと可愛い顔できねえの?」 「む、りに、決まってんでしょ」 「だよな。高瀬だもんな」  それならキスなんてしないでよ。そう言い返してやろうと思ったのに、また唇を塞がれる。 「口開けて、ちゃんと舌絡めてみ?」──できない、と首を振れば、「できるだろ、それくらい」と頬にキスを落とされる。 「できるわけ、ないでしょ、恥ずかしい……っ」 「恥ずかしい恥ずかしいって、おまえはそればっかりだな」  俺の言うとおりにしたら、ちょっとは上手くなるから。いつもとは違う、低く熱のこもった声。柔らかい舌がわたしの拙い舌を絡めとるように蠢く。あの夜と、同じように。 「高瀬、ほら。上司命令」 「いま、それ、関係、ない……」 「だな。普通の上司と部下は、こんなことしない」  握られたまま壁に押しつけられている左手と、無意識のうちに東のスーツを掴んでいる右手。一方、彼の自由な手は──。 「あ、っ……待って、くび、だめ……」  背中から腰をなめらかに撫でていく手に気を取られて、彼の唇が降りてきていることに気がつかなかった。首筋に吸いつくようにキスされて、その音に耳を塞ぎたくなる。 「ほっそい、な。ほんとに」  手がちょうどくびれの辺りに触れて、背筋がひやりと冷たくなった。──やだ、そんなに触らないで。また、薄くて固いって思われたら。他の女の子みたいに柔らかくない、ってがっかりされたら。 「東、や……だめ、触らな……んっ」 「ほら、ちゃんと絡めろよ。できるまで帰らないからな」  できない、って言ってるのに。いっぱいいっぱいなわたしを嘲笑うようにまたキスを仕掛けて、「教えて、ほしいんだろ?」と挑発的な声で囁いてくる。
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