#3 あやめはなさく夜更けに

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 ──からかわれてる、のかな。  ぼんやりと霞む頭で考える。きっと東にとっては、キスなんてなんの意味もない。相手がわたしじゃなくたって、いい。 「おまえって、強情だよな」 「だって、できない、し、したく、ないし……」 「俺はしたいんだよ。おまえと」  くびれに添えられたままの手に力が入る。ふやけた唇の感触が伝わってきて、心臓が大きく跳ねた。  ──やっぱりこれって、妙な夢?  全身が蕩けてしまいそうな、未知の感覚に持っていかれそう。こんなキス、はじめて。こんなに好きな人とするキス、はじめて。それに──。 「たか、せ?」  貪るようにキスを繰り返す彼の背中に、そっと腕を回した。自分から男の人に抱きついたのも、はじめて。  呆気に取られたように開いた唇を、今度はわたしが塞いでやった。 舌先でほんの少しつついて、わずかな隙間を縫うように侵入(はい)り込む。彼の舌に触れた瞬間、思わず「ん……」と声が漏れた。 「上司命令って、言ったの……そっち、でしょ」  これで合っているのかなんて分からない。だけど、「ぶつける」ことしかできないなんて思われたら悔しいから、からかわれたままだと悔しいから──やればできるってところを見せてやりたい。 「おい……高瀬、んな、吸うな、って……」 「さっき、東も、こうしてたから……真似、してるの」  狭い玄関にたちこめる生々しい音と、お互いのスーツに染みついた一日の終わりの匂い。それを何度も渡し合っているみたい。  キスって不思議だ。ベッドにいるわけでもないのに、服も脱いでいないのに、すごく深く繋がっている気がする。 「……この、下手くそ」  ふいに強く抱き寄せられて、ワイシャツに顔を押しつけられた。やだ、リップ、ついちゃったかも。慌てて離れようとしても、逞しい腕はびくともしない。 「高瀬のくせに、こんなエロいキスしてんじゃねえよ」 「え、ろい……って、だって」 「おまえが俺にキスするなんて、百年早いんだよ」  さっきと言っていることがまるで違う。戸惑うわたしの顎を掬って、今日何度目かのキスが降ってきた。もう、数える気も起きない。
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