#5 酔い待ちの水曜日

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#5 酔い待ちの水曜日

「……佐野さん、あの」 「あ、すみません。この特製プリンっていうのお願いします。ふたつ」  目の前に座る男性は、カルボナーラを食べ終えた口を優雅に紙ナプキンで拭っている。相変わらず端正だ。それに目立つ。近くの席にいる若い女の子たちが、ちらちらと視線を送るくらいには。 「あの、本題に入らせていただいても」 「今日の本題はランチですけど」 「え?送った資料に急な変更が出たからそれを伝えたいって」 「そんなこと言いましたっけ。僕、私用スマホでは仕事の話をしない主義なんです」  やられた、と思ったのが顔に出ていたのだろうか。「つばきちゃん、仮にも営業職なんだから、もうちょっとポーカーフェイスを覚えたほうがいいよ」。コーヒーカップを片手にふっと笑われ、ばつが悪くなる。 「ごめんね。急に誘っちゃって」 「いえ……いまは昼休みなので、問題はないですけど」  今朝作ったお弁当が無駄になってしまったくらいで。心の中でそう答えて、アイスレモンティーに口をつけた。  今日は7月上旬には珍しく真夏日で、朝からじっとりと纏わりつくような暑さだ。店内はエアコンが効いているとはいえ、こんな日にホットコーヒーなんか飲むこの人の気が知れない。 「じゃあ、一瞬だけ仕事の話をしようか。たたき台、見ました。直してください」  なんの抑揚もなく繰り出された言葉に呆然としていると、「特製プリン、お待たせしました」と小さなガラス瓶に入ったプリンが運ばれてきた。「これ、美味しいんでしょ?食べてみたかったんだよね」。この数十分の間、ほとんど話が噛み合っていないように思える。 「えっと、直すって」 「ああごめん、つばきちゃんが悪いわけじゃないんだ。あの、どこの店舗の人かわからない嘘くさい笑顔が並んでる写真とか、“誰でも歓迎!”みたいなポップな感じをどうにかしたいなって」 「わかりました。では、写真は差し替え用のものをいただけますか?文面はもう一度練り直してみます」 「会社に戻ったら送ります。はい、仕事の話はおしまい」
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