#5 酔い待ちの水曜日

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「やっぱり佐野さんに教えてもらえば?俺なんかより、よっぽど優しくしてくれるだろ」  俺、帰るわ。こんな時間に異性の部下の部屋に上がり込むなんて、立派なセクハラだよな。パワハラとも言うか。  東はわたしと一切目を合わせず言って、玄関の方に足を向けた。返す言葉をうまく見つけられない。座り込んだままじゃだめ、って分かっているのに。 「……東、待って」 「飯、うまかった。佐野さんの口に合うかは知らねえけど、俺は、うまかった」  ごちそうさま、と優しい声を投げられて、喉の奥が熱くなった。  東の失恋を知ってから、泣きたくなることばかりだ。絶対に手が届かなかったはずの彼の、匂いや唇の温度を知ってしまった。  ご飯を作っているとき、お風呂で歯を磨いているとき、眠る前のベッドの中で──ふとそれを思い出しては泣けてしまう。涙もろくなったことを実感するのと同時に、歳を重ねるにつれて、感情を揺さぶる出来事からいかに目を逸らしていたかを知った。  知りうるすべての感情の中で、恋ほど己を左右するものを、わたしは知らない。  芽生えた気持ちは、ひとりで消化するものだと思っていた。可愛くなれない女の恋心なんて、無駄でしかない、と思っていた。 「東、待って。お願い」  帰しちゃだめ、と心が叫んだ。急に立ち上がったせいか、半分痺れていた足がじんじんと痛い。 「違うの。そうじゃ、ないの」  両手で、ワイシャツ越しの逞しい腕を掴んだ。熱い。わたしを二度も包んだ、彼の温度。 「……東が、いいの」 「え?」 「わたし、は……東が、いいの」  これが、わたしのいまの精一杯。恋の微熱に浮かされているわたしの、いまの限界。  涙が零れ落ちないように、唇に力を入れて彼を見上げた。呆気に取られたような、少し間抜けな顔は、やっぱり可愛い。  いつか、この人の隣にいても恥ずかしくないくらい、可愛くなってみたい。唐突に、そう思った。
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