#5 酔い待ちの水曜日

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 窓を開けているものの、弱い風が時折カーテンを揺らすのみだ。エアコンをつけそびれた蒸し暑い部屋に、床から這い上がってきたようなため息が響いた。 「……おまえ、なあ」  プレゼンがうまくいかなかったときだって、クライアントとの打ち合わせ内容が芳しくなかったときだって、こんな言い方をされたことはない。ウザいんだよ、と暗に言われている気がした。 「今日のおまえ……ほんと、心臓に悪い。最悪」  低い声が胸に突き刺さる。恋に浮かされるなんてバカだ。そんなの、分かっていたはずなのに。  何度もキスされたから?今夜の約束があったから?弱いところを見せてくれたから?わたしが勝手に調子に乗っていただけで、こんな──彼女でもない女に縋られるような──展開、東はきっと、何度も経験してる。 「そ、だよね。ごめ……」 「そんなこと言われたら……ああもう、くそ」  ふいに腕を強く引かれ、よれたワイシャツに顔を押し付けられた。彼の筋張った腕にかかれば、わたしの狭い背中なんてすぐに包み込まれてしまう。 「おまえの最悪なところは、全部無自覚だってところだよ」 「無自覚、って……なにが?」  訊き返すとさらに腕の力が強まった。それから、「知らなくていい」と身体中の酸素をすべて押し出すようなため息をつかれる。  無自覚なのはそっちじゃない。わたしのことを女だとも思っていないくせに、何度もキスして振り回したりして。 「おまえって、いつも、彼氏でもない男に手料理食わせてんの?」  話の筋道がまったく通っていないというか、もはやめちゃくちゃだ。抱きしめられていることにときめく暇も、最悪だと言われたことに落ち込む暇もなく、なにが無自覚なのかも分からず、次はなぜか料理の話。   「……残念ながら、そんな機会もないしそんな人もいません。地味料理だし」  もし東に食べてもらうことを分かっていたなら、もっと「映える」ものを用意した。だけど、うまい、って喜んでもらえたのは事実だから──悪くはなかった、のかもしれない。 「食ったことあんの、俺だけ?」 大きな手が後頭部に宛てがわれ、指が剥き出しのうなじに当たる。ぴくりと反応してしまったのが恥ずかしくて、「茉以子とはいつも、おかず交換してるけど」と早口で言った。
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