#5 酔い待ちの水曜日

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「心配すんな、もう変なことはしないから」  はあ、とやけくそのようなため息をついた東が、ほつれた髪を気まずそうに引っ張っている。怒っているのだろうか。途中、になってしまったから。  それにしても──この電話、ここで出るべきか出ないべきか。  水曜日、22時半。鳴っているのは社用携帯ではない。昼に会ったばかりだというのに、いったいなんの用があるというのだろう。 「もし、もし……」 「つばきちゃん?ごめんね、寝てた?」  受話口から聞こえてきたのは、相変わらずの低く穏やかな声。東はというと、出しっぱなしにしていた二本目のビールに手をつけている。 「いえ……起きて、ました」 「こんな時間に悪いね。たたき台、急いでくれてありがとう。さっき見ました」 「さっき、ですか?」 「うん。今日はあれからずっと外勤でね。夜は会食があって、会社に戻ったのが20時を過ぎてたんだよ」  思わず壁時計に目を遣る。まだ会社にいるということか。電話の向こうは物音ひとつしない。広いオフィスでひとりぽつんと残業している姿を想像すると、どことなく物悲しい気持ちになった。  道内展開の大手スーパーマーケットの本社人事部長。次期社長候補、の噂あり。  おそらく社長のご子息なのだろう。あまり詳しくはないけれど、あの会社は完全に世襲制を敷いていると聞いたことがある。  そう考えると、佐野さんの身のこなしや振る舞いも納得できる。上品で清潔感があり、かつ掴みどころがない。本来であれば、わたしのような平社員と求人広告について打ち合わせをするような身分ではないのだ。
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