#6 四の五の言わずに宵の口

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──Side 隆平  ──東が、いいの。  思い出しただけでぶっ飛びそうになる。あいつの大切なものに触れるつもりなどなかった。だけど、先週水曜日の俺は、確かにあいつを抱きたいと思った。たぶん、いまも思っている。  あいつに触れて、奪う。でかい紙袋をぶら下げて、連日の猛暑なんて知らないような顔をして高瀬を攫っていったあの男──大切なクライアントなので、こう呼ぶのは心の中だけにしておきたい──が、その役割を担うとしたら?  声を我慢しようと唇を噛む仕草も、小ぶりな胸を気にする素振りも、キスのあとの涙を溜めた目も、他の男に見せてたまるか。あいつの女の顔を知っているのは俺だけでいい。あいつを可愛いと思うのは俺だけでいい。俺だけが、いい。  参ったな、と呟きドアノブを捻る。自席に戻り癖のように行動予定表を開くと、高瀬の欄が更新されていた。19時、外勤。行き先は──。 「高瀬、この外勤予定ってやつ」  俺たちに挟まれた向井を飛び越えて大きな声で切り出すと、細い肩がびくっと震えた。「それ、急に、入ったの」──目を合わせようとしない高瀬に苛立ちをおぼえる。いつもみたいに直接報告してこればいいだろう。  おまえが気まずそうにしているのはなぜだ。今夜の約束のせいか?それとも、佐野さんとの予定だからか?……もしくは、佐野さんとの予定で今夜の約束が潰れそうだから、か? 「佐野さん、随分と打ち合わせが多いな。うまくいってないのか」  それなら俺から行ってやろうと席を立ち、高瀬の机に手をついた。そんなことは、と顔を上げた彼女の唇はいつもよりはっきりと柔らかそうで、つい怯んでしまいそうになる。 「じゃあ、どうして時間外に外勤なんか」 「独自の取り組みで売り上げを伸ばした店舗に視察に行くから、わたしも一緒に来てほしい、って」 「それは業務の範囲内なのか」 「……判断できかねたので、とりあえず行くことに」 はらりと落ちたダークブラウンの髪を耳にかける仕草に胸が鳴る。落ち着け、俺。ここは会社で、高瀬は部下。プライベートの約束は一旦忘れて、「この時間外勤務は本当に必要か否か」だけを判断すべきだ。 「それは、SANOさんのピックアップ記事を載せることになったのが理由か?」  高瀬が頷いた。大きなため息をなんとか飲み込んで、頭の中で「必要」というジャッジを下す。
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