幼き龍の国

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幼き龍の国

「ねぇ、覚えてる?」  聞こえてくるはずのない自分以外の声に、ナビは肩を上げたまま恐る恐る辺りを見回す。 「こっち」  もう一度聞こえてきた声にナビはどうすればいいかわからずに固まってしまう。  声は、明らかに、ナビの後ろから聞こえてきた。その声の主はどうやらナビのことを呼んでるらしい。  正直なところ、ナビの頭の中は恐怖しか浮かばない。 「ちょっと! 呼んでるんだから返事ぐらいしたらどうなの!?」  あぁ、お願いです君手摩(キミテズリ)君真物(キンマモン)でもいいです。首里城に戻ったら真面目に働きます。今度こそ真面目に働きますから、こんなところで死にたくありません。どうかお助けください。ナビは必死に手を合わせながら、声のした方を薄目で見る。 「……人魚(ザン)?」  声の主の姿を見たナビはぽかんと口を開けたまま固まる。ガジュマルの根元に上半身は人間、下半身が魚の人魚がいるのだ。固まるしかない。 「えっ、やだあんた、私のこと覚えてないの?」  人魚は信じられないとナビに言葉をぶつけ続けるが、当のナビは未だ固まったまま。 「……もしかして、恩納(おんな)間切(まぎり)で会った人魚?」 「恩納間切って地名かはわかんないけど、確かに昔あんたに会った人魚で大正解! にしても思い出すの遅すぎ」  人魚はほっぺたをぷっくりと膨らませていかにも怒っていますよ、拗ねていますよ、なんて顔をナビにして見せる。 「あんた名前なんだっけ? 顔は覚えてても名前は忘れたわ」 「ナビ」 「そうそう! ナビ! 全くもってありふれた名前すぎて覚えてられなかったってことを今思い出した!」  ナビは人魚の失礼すぎる言葉に少しムッとしながらも、人魚から離れることなく隣に座り込む。 「あんたの名前は?」 「摩鬼(まうに)、かっこいい名前でしょ? 結構お気に入りなの」 「へぇ、変な名前」 「うるっさい、かっこいい名前って褒めろ!」  そんな会話をしつつ、ナビははてと首を傾げている。その理由はと言うと。 「あんた、人魚なのに浜にいていいの?」  摩鬼と名乗った人魚は海ではなく、浜にあがっている。濡れたまま浜にあがったらしく全身砂だらけ。 「長い間はだめだけど、少しの間なら海から離れても大丈夫。それに、私普通の人魚とは違うからね」 「普通の人魚?」 「普通の人魚ってのはあれね、生まれつき人魚の妖怪(マジムン)のこと。私は元は人間だったけど、色々あって人魚になったの。だからちょっと特殊例」 「は? いやちょい待って……は? 何それ」  摩鬼はナビが混乱していることなんて気にもせず、らんらんと楽しそうに目を輝かせながら話を続ける。 「私、この世っていうかこの国に激しい怨みを持ったまま死んじゃったの。死んで霊になっても、死にきれないって思ったらしくて死んでた魚の体に入り込んだ。そんで、今は人魚として暮らしてるってわけ」  ナビは摩鬼が言ってることが一から十まで理解できず、うーん、と頭を悩ますばかり。 「私のことはいいとしてさ〜」  ナビが質問しようと口を開けると、自由すぎる摩鬼が話をぶった斬る。 「ただの(ワラビ)だった子が、少し経っただけで城人(グスクンチュ)ってびっくり。しかも、こんなとこ来てサボってるなんてもっとびっくり」  ナビは色々と諦めて摩鬼の話につき合うことにした。納得はしていない。無理矢理諦めるしかない、そう察した。 「なんで、(ワー)が城人だって知ってんの?」 「見ればわかる。私の頃とは変わっちゃぁいるけど、その服は首里城の女官が来てる服。つまりあんたは今、首里城の女官、城人ってこと。合ってるでしょ?」  なんだかむかつく。よくわからんが、こんな自由な人魚が割と周りを見てるという事実にムカつく。なんでだ? ナビはそんなことを考えている。 「それにしても、ここって首里城から遠くない?」 「なんか無性に海が見たくなったの。生まれた時から海が身近にあったのに、首里城に来てからは海遠いなって思って」 「そんなことの為だけに首里城抜け出してこんなとこまで来たの!? 何それ馬鹿みたいじゃん!」  うるせぇ、もっと海から離れた所に連れてって干からびさせるぞ。ナビは摩鬼の自由さにイライラが募るばかり。 「私が死んでから結構経つけど、この国はいい国になったと思うの。私が生きてた頃はもっと殺伐としてたし、人がばったばた殺されてた時代だったから」  摩鬼は急に頬杖をついてしんみりと語り出す。ナビは今だ、とすかさず質問をする。 「あんた、人間だったって本当?」 「ほんとほんと。私、こう見えても王女だったの。神女(ノロ)としての力も強かったの!」 「へぇ、神女……ねぇ」 「何その反応。神女のこと嫌い?」 「あいつら、私ら(ワッター)城人のこと馬鹿にして下に見てくるわけ。城人は大した霊力(セジ)もないくせに〜って! あぁもう! 思い出しただけで腹が立つ!」 「あはは、何それ。私がいた時代と変わってないじゃん!」  ナビは神女の悪口をだらだらと話し始める。その口ぶりから察するに、ナビはあまり首里城での暮らしを楽しんではいないらしい。 「神女たちも聞得(きこえ)大君(おおきみ)加那志(がなし)も私ら城人がいるから暮らせてるってことをわかってない!」  聞得大君とは、神の声を聞く神女の頂点に立つ女性の名称。国一番の霊力を持つ神女のこと。最高神である君手摩の声を聞いて王に伝える役割を担っている。王妃よりも高い地位に君臨している。 「今の聞得大君って誰?」  聞得大君は代々、王家の女性が務めることになっている。 「王様のひぃひぃおばあ様」 「へぇ」  摩鬼は自分で聞いてきたのに聞いてもつまんなさそうな返事を返すだけ。 「聞いておいてそれはないんじゃない?」 「だって、つまんなかったんだもん」 「はぁ!?」 「我慢しない、言いたいことはその場ではっきり言う。これをモットーに生きてるの。あっ、死んではいるけど人魚になってからの話ね。人間だった頃は我慢してばっかりだったし、人の言いなりだったから。今となってはあの生き方に後悔してんの」  んなもん知らん、私をイラつかせるな。ナビはもう話したくない、なんてことを思い始めてる。 「今の王様ってどんな人?」 「……答えたくないんだけど」 「え〜そんなこと言わずに〜ねっ?」  美人な摩鬼に可愛らしくお願いされたらナビは言う通りにするしかない。摩鬼はそれをわかっていて、わざとらしい言い方をしている。 「尚泰王(しょうたいおう)って名前、まだ童だけどとても賢い方」 「尚泰……王?」 「そう、何か引っかかる?」 「あっ、いや、何でもない。本当に何でもないから気にしないで」  明らかに摩鬼の態度が変わったが、ナビはそれ以上踏み込まない。  この国に怨みを持ったまま死んだ、摩鬼はそう語っていた。あっけらかんと話してはいたが、まだ割り切れていないこともあるのかもしれない。それを聞くのは野暮というものだろう。 「……この国はさ、今結構難しい立場にあるんだって。私は賢くないからよくわかんないけど、とてもあやうい状態なんだって。偉い人が言ってた」  ナビは水平線を真っ直ぐに見て話す。隣に座っている摩鬼も、ナビの真似をして水平線はぼーっと眺める。 「なんか、異国の人たちが何度も琉球を訪れてて困ってるんだって。もしかして、琉球って国がなくなるかもってぐらい大変らしい」 「なんで私にそんな話するの?」  摩鬼はナビの話の意図が見えずにいる。 「この国を怨んでるあんたなら嬉しいかなって。ね、私の話聞いてどう思った?」  ナビは興味本位で聞いただけだが、摩鬼は目を伏したまま長らく考え込んでしまう。  これはナビにとっては不本意。  二人きりの浜で、もう一人……いや、一匹? が黙り込んでしまっては沈黙する他なく、ナビにとっては気まずいだけ。  どうしよう、どうすればこの気まずい空気から脱却できるのだろう。  ナビも摩鬼と同じく考え込んでしまう。 「……嬉しい、って言われればそうなのかも」  ナビが考え込んでいると、摩鬼はぽつりと話し始める。 「嬉しいけど……悲しい。私はこの国を怨んだし、この国の王族たちを殺してやりたいと思ってたけど、そう思ってたのはもうずっと昔の話で……怨みはもちろん残ってるんだけど、この国が好きな気持ちも残ってて……」  摩鬼は難しいねと目を細める。 「よくわかんないけどさ、私もあんたと似たような気持ちなのかも」  ナビが考え込んでいたのは沈黙が気まずいから。摩鬼が話始めれば解決するはずだったのに、ナビは相変わらず難しい顔をしたまま考え込んでいる。難しい顔のまま、摩鬼のように話し始める。 「私は、城人って立場が楽しくないからよく抜け出して怒られてるし、神女たちも気に食わないし、この国がなくなったらどうなるかなんてわかんないけど、私にとって今の不満な生活が変わるかもしれないって希望があるから、ちょこっとだけ嬉しい」  ナビも摩鬼も難しい顔をしたまま水平線を真っ直ぐ見つめ続ける。お互いに顔を見ようとしてないけど、何となく、お互いに同じ様な顔をしているというのはわかるらしい。 「でも、幼い王様や役人の人たちが頑張ってるのを見てるから、そんな頑張りが水の泡になっちゃうのは嫌だなって思うの。変わってほしいけど、変わってほしくない。なんて思ってるから、私たちは似た者同士ってことになる……かな? なんて思ったけど実際はわからん。ってか、あんためちゃくちゃなことばっかりだから、やっぱり似た者同士とか嫌だわ。断固拒否する」 「何それ!? ナビが似た者同士とか言い出したくせに断固拒否って酷すぎる」  ナビは摩鬼をうるさいと足らいつつ、まだ何か考えているらしい。 「ナビ? 何考えてんの?」 「ん……いや、何でもない」  摩鬼は問いつめたい気持ちをぐっと我慢する。さっき、ナビは摩鬼のことをあまり深く聞いてこなかった。  王女だとか、神女だとか、尚泰王の名前を聞いた時だとか。  気になることはたくさんあっただろうに、ナビはそれについて質問してこなかった。それなのに、自分が聞いてしまってはナビに申し訳ない。  我慢しないがモットーだが、今回は我慢する。摩鬼は自分にそう言い聞かせる。 「……ってかさ、結構長話しちゃってるけど、あんた海に入らなくて大丈夫?」 「あっ……まずい! そろそろ干からびちゃうかも!」  摩鬼は器用に体をくねらせ、浜を進んで海に入る。  太陽(ティダ)の光できらきらと輝く海と同じように、摩鬼の濡れた真っ白な尾びれはきらきらと輝いている。ギラギラという方が合ってるかも、と思うぐらい目に刺さる。 「そろそろ私も首里城に帰る。と言っても、帰る頃には真っ暗だろうけどね」 「首里城は遠いからね。そんじゃ、お互い気をつけて帰りましょっ!」  摩鬼はひらひらと手を振ると、ちゃぽんと音を立てて海の中に姿を消した。 「人魚が帰る場所って……どこ?」  ナビは思ったことを言葉にすると、ふと笑ってから浜を歩き始める。  次の琉歌は摩鬼のことにしようか。人魚を歌うって……何をどうすればいい?  なんて呑気なことばかり考えているナビが、首里城に着いた途端、かんかんに怒っている女官長に迎えられるのは、もう少し先のこと。
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