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「やっぱ、ピアノ、弾いていいぞってことなんだよね。」
私は第二音楽室に置かれているアップライトピアノの前に座る。
本校舎の第一音楽室や体育館にはグランドピアノが置いてあるけど、この部屋にはアップライトピアノが1台だけ置いてある。
そして古そうな楽譜がたくさん詰め込まれている棚が1台。
他にも古ぼけたり壊れたりしている楽器や譜面台が適当に放置されていて、椅子や机もいくつかバラバラと置いてある。
壁をぐるりと昔の音楽家たちの肖像画が張り巡らされているのは、音楽室ならではって感じだ。
先生たちの準備室と言う割には、片岡先生がこの部屋を訪れることはほぼなかった。
片岡先生は使ってないということなんだろう。
こんなにほったらかしの部屋に置かれているくせに、このピアノの調律だけは定期的にちゃんとされているみたいで、音の狂いはほぼなさそうだった。
毎日というわけではないけれど、気が向いたらピアノに触れて、その時の気分で弾いてみた。
他の時間は宿題や翌日の予習をやることに費やし、帰宅後は家事に専念する。
それが私の毎日になった。
「去年の夏休みは家にこもりきりだったけど、今年はどうしようかな。」
私はピアノの前に座って、ポロンポロンと音を出した。
何か弾こうか。何を弾こうか。
曲とも言えない曲を弾きながら、そんなことを考えていた時に、突然背後で教室の引き戸ががらっと開けられる音がした。
びっくりして振り返ると、そこには松葉杖をついた男子生徒が立っていた。
「……是方……くん?」
同じクラスの是方大樹。
話をしたこともないクラスメートだったから、呼び捨てにするのもどうかととってつけたように「くん」を付けた。
「一宮? ……あぁ、そうか。一宮は。」
是方はブツブツ言いながら、松葉杖をついて第二音楽室に入ってくる。
「お前、ピアノ、うまかったよな。去年、合唱コンクールの伴奏していたの覚えてるんだけど。」
是方はまっすぐに私を見つめる。
その視線の強さに私は押される。
「……うまいかは知らないけど、弾けはする。」
「あのさ、この曲知ってる? ……チャンチャ、ランチャ、ランチャ、ランチャ、チャンチャ、ランチャ、ランチャランチャ。チャラーン、チャラーン。」
調子外れな突然の歌に思わず小さく吹き出してしまう。
「うわ。俺、真面目なんだよ。笑うなよ。」
是方が頭をかきながら照れくさそうにそう言う。
その拍子に松葉杖が一本、是方の前方に倒れた。
「あ、ごめん。ちょっとびっくりしちゃって。」
私はくすくす笑いながらそんな言い訳をし、是方の側にかけよると、松葉杖を拾い上げ、是方に渡した。
「さんきゅ。」
是方も笑顔だ。
「それって、『乙女の祈り』?」
私はまたピアノの前に戻り、『乙女の祈り』の最初のフレーズを弾いてみる。
ちょうど是方が歌ってくれたところまでだ。
「あ、それそれ。」
是方が頷きながらピアノの方に近づいてくる。
「一宮、頼みがあるんだ。」
是方の声に私は横を向いて是方を捉えた。
首を傾げると、是方は言葉を続けた。
「夏休みの期間で、俺がその曲を弾けるように指導してくれ。」
いたって真剣な顔で是方が私を見つめている。
また、その視線の強さにぐっと押される気分になり、私は言葉に詰まった。
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