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プロローグ:夏の色
陽にさらされた肌がちりちりと痛むほどに日差しが強い。首筋を伝う汗は気持ちが悪い。水澄紺はこっそりとため息を吐く。と、それを見逃さなかった一学年上の志田貫太がすかさず頭をどついてきた。
「水澄、手を抜くんじゃねえよ」
思わず、紺は顔をしかめて貫太を見やる。日差しが眩しくて、まるで睨んでいるような顔になってしまった。そしてそんな紺の顔を見て、貫太は堪えきれないといった様子で笑いを吹き出す。
「顔、こっわ」
「……すんませーん」
紺がやる気なく謝罪の言葉を述べれば、貫太はまた笑いながら、今度は紺の背中を叩いた。
「次期部長なんだから、しっかり働けよ」
「働けって、これ、仕事なんですか。仕事なら俺、やりたくない……ていうか、そもそも部長にもなりたくないんですけど」
「とことんやる気ねえな、おい」
放課後の部活動も佳境を迎えた時間帯だ。ラストスパートとばかりに気合を入れている生徒がいる中、紺のように気力をなくした生徒もちらほらと見受けられる、そんな時間帯である。
紺は野球部に属しており、次期部長候補だのなんだのと、妙なプレッシャーをかけられている。部室には「目指せ甲子園」などという目標が荒々しい文字で掲げられているけれど、それはまるで素足で雲の上を覗きに行こうとするような無謀な目標だと紺は思っていた。紺の通うこの学校の野球部は、予選も初戦で敗退するような、弱小を極めに極めたチームだった。
(まあ、やる気がないわけじゃないんだけど)
声を張るチームメイトをぐるりと見回しながら、紺は思わずまたため息を零した。
と、ふと、校庭を見回す紺の視線は、そのまま校庭に面した校舎に吸い寄せられる。校舎の壁には整然と四角い窓が並んでいる。その上から二番目、右から三番目の窓に、紺の視線は自然と定まる。
もう幾度となくその窓を見上げてきた。窓の数を数えなくとも、紺の視線は当たり前のようにその窓に止まるのだ。その窓はたいてい開いている。今日も窓は開いていて、白いカーテンが教室の中に吸い込まれたり、吐き出されたりを繰り返している。さすがに中までは見えない。けれどそれでも、そこにいるであろう人物を見透かそうと、紺はじっと目を凝らす。
そのとき、その窓から白い腕がにょっと飛び出した。そしてその手は、紺に向かってふるふると振られる。その手を見て、どくん、と紺の心臓は高鳴った。ちかちかと視界が眩しくなる。日差しの痛みも、汗の不快さも、部活動の疲れも、それから次期部長という憂鬱でさえも、今このとき抱えているすべての負の感情を紺は忘れた。頬がひくりと引き攣る。気を緩めれば微笑んでしまいそうだった。
その手の主を、紺は知っている。放課後、たいていあの教室にいるのだ。そして窓を開け校庭をぼうっと眺めているのを、紺は知っている。紺のひとつ下の学年で、やけに色素が薄い男だ。
紺の、好きな人だ。
紺はにやけそうになる顔を隠すために野球帽を深くかぶり直した。
紺の好きなその人は、紛うことなく男である。けれど紺は、別に同性愛者であるわけではない。ただ、知らなかったのだ。これほどまでの感情を紺は他に知らなかった。その感情は『恋』であると言いきれた。それは、紺にとってあまりにも鮮烈な『恋』だった。
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