感じる探偵 エピソード1 レインコートを着た死体

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 柳町さんは自分は有名になりたくはないと言っていた。小説はあくまでも趣味や息抜きであって、柳町さん曰く、本来の役割ではなかった。ならば、本来の役割とは何だろう?  定食屋で客に料理を振る舞うこと?それは役割というより仕事だ。小幡圭のゴーストライター?それも違う気がする。ということは先代の遺志を継ぐこと?  まるで男性版、マザーテレサのような人間が殺される理由が見当たらない。 「ああ、思い出したよ。柳町さん、言ってたなあ。コロナ禍で客足が減っているからお金がやっぱり必要だって。結局、お金がなければ本来の役割は果たせないって...」  確かに昨今の情勢を鑑みれば、どこの飲食店も苦境に立たされている。補償金だけではやっていけない店も出ている。 「ありがとうございました。あの、本山さん、また伺ってもよろしいですか?」  私が作り笑いをして言うと、本山さんは咳ばらいをして言った。 「次は村松さんもいっしょだったら歓迎するよ」      十一月八日  日曜日  今朝から土砂降りの雨が降っていた。思わぬ白驟雨だ。バケツをひっくり返したような雨と急激に下がった気温に、私は思わず押し入れからストーブを引っ張り出した。  今日は雨天のため、テニス教室は閉鎖となった。  私はノートを広げて、一連の経緯をまとめた。  まず、事件があった十月七日、雨の降る日、柳町さんは出来上がった原稿を封筒に入れて家を出た。  その日、柳町さんは右手に麻痺が残り、傘を握れなかった。そこで仕方なく、レインコートを着ていくことになる。  指定された工事現場に赴いた柳町さんは、建物の真ん中に立った。後述するが、柳町さんは真ん中に立つことを好んだ。  その頭上にぽっかりと大きな口を開いた箇所があった。足場が組まれていた。そこに立って柳町さんの頭上を見下ろしている犯人がラケットを手にしていた。  頭上にまさか、殺人犯がいるなんて思わない。気配や物音は雨の音でかき消されていた。  犯人はラケットを振りかぶり、テニスボールを打ちおろした。頭頂部にボールが命中した柳町さんは脳内出血を起こし、その場に倒れる。その拍子に抱えた原稿を手放してしまう。  犯人はボールを見失うが、目当ての原稿を手に入れ、現場を立ち去る。  私はスマホのメールに添付されていた柳町さんのスナップ写真を見る。柳町くんに無理を言ってメールに送ってもらった。どの写真も建物をバックに写っている。建物の中央に立った柳町さんの姿がある。  私は緊急連絡網に記された坂本くんに電話をかける。そして、大切な話があるから、至急、四丁目の工事現場に来るように言った。
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