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閉じ込めていた想い
「結構広いじゃん」
部屋に入るなり隼人が言った。
まるで初めて来たかのように。
でもきっと違う。
隼人はここが初めてなんかじゃない。
心のモヤモヤはホテルに着いても、部屋に入っても、消えない。
もうここまで来たら腹くくるしかないのに。
モヤモヤしててもどーにもならないのに。
「なに飲む?」
冷蔵庫からビールを出しながら隼人が聞いてきた。
内心ホッとした。
ヤるためだけに来たんだと思ってたから。
着いた瞬間に始まって、終わったらすぐ解散。そうなるんだと思ってたから。
風俗嬢経験が長すぎた。
私にとってラブホは仕事する場所だった。
一時間ないし二時間、限られた時間の中でお客をイかせることだけを考えて過ごす場所。
ヤるためだけに来て、着いた瞬間に始まって、終わったらすぐ解散。
お客相手にラブホに来ていた私にはそれが当然だった。
「一緒にビール飲む?」
私が冷蔵庫からチューハイを取り出したタイミングでグラス片手に隼人が言った。
「もー取っちゃった 笑」
「じゃぁここ座って」
大きめの二人掛けソファーに腰掛け、乾杯する。
場所がホテルになっただけで、居酒屋さんにいたときと変わらないはずなのに、何を話していいか分からなくなる。
テレビの音がやけに響く。
隼人はいつもと変わらない。
ホテルに向かう時のタクシーに乗るまでの淡々とした隼人ではなく、いつもの余裕のある隼人。
変に色々考えてるのは私だけ?
何かしゃべらなきゃ。
焦れば焦るほど、話題が浮かばない。
隼人が何も話さない訳じゃない。
隼人の話題を私が広げられないだけ。
心のモヤモヤと、罪悪感と、ドキドキと、緊張が私の思考を停止させている。
私の口数が少ないのに気づいているのか、いないのか、私の心を分かっているのかいないのか、隼人の視線を感じる。
隼人の方を見れない。
隼人と目を合わせられない。
居酒屋さんにいたときは、ずっと隼人を見て話していたのに。
今はそれができない。
平常を装うなんて無理。
隼人に聞こえてるんじゃないかって思うくらいドキドキが強い。
缶チューハイを持ったまま、テーブルに置きもせず口に運ぶ動作を繰り返す。
ずっと無言な訳じゃない。
隼人が何か話しかけてくれる。
他愛ない話。
でも会話は続かない。
私の思考が停止しているせい。
いろんな感情に押し潰されそうになっている。
好きな人に抱かれるのに、ずっとずっと願っていた事なはずなのに、ここに来てモヤモヤしてる自分が嫌だ。
なんとかしてモヤモヤを消さなきゃ。
なんとかして罪悪感を消さなきゃ。
今この時間だけは、幸せな気持ちで過ごしたい。
私が自分の心と向き合っていると、隣に座っている隼人との距離が近くなった。
私が隣を見るよりも早く、隼人に唇を塞がれていた。
隼人は私の手からまだ半分程残っている缶チューハイを抜きとり、テーブルに置く。
優しくて、柔らかくて、深い。
このキスが大好き。
人目を気にせず二人っきりの空間でまたこのキスができるなんて夢みたい。
隼人の左手が私のカーディガンのボタンに手をかけた。
「待って」
「なに?」
まだだめ。
まだモヤモヤが消えてない。
このままヤりたくない。
「何で会わなくなっちゃったか、話してもいい?」
「あ、それ!聞きたい!」
忘れているならそのままで良かった。
はずだった。
けど、話せばこのモヤモヤが少しは楽になるかもしれない。
そんな気がした。
「俺のせい?」
「んーん」
「じゃぁなに?」
隼人はソファーに座ったまま、私を後ろから抱き締めた状態で聞いてきた。
「私が好きになっちゃったの。隼人のこと。」
「うん」
知ってたって反応。
好きだった話は7年振りに再開したあの日に話したんだった。
「それで、言ってみたの。好きになりそうって。」
「まじ?そーだったっけ?」
「うん。そしたら...」
「あー。あの頃の俺最低だったからなー。」
私を後ろから抱き締めていた隼人は、突然私を解放し、ソファーに倒れた。
「ごめん。傷つけたよね。」
話の続きを聞くことなく隼人は謝ってきた。
気が付くと私の目には涙が溜まっていて、今にもこぼれ落ちそう。
隼人の手が私の頭に乗せられたその時、私の目から涙がこぼれた。
だめだめ。ホテルにきて泣くとか最低。
一番やっちゃいけないやつ。
分かってるのに。
必死で涙を隠す。
隠せてないけど。
7年間誰にも言えずに自分の心の中に閉まって閉じ込めていた想い。
他の誰でもなく、隼人に分かって欲しかった。
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