2人が本棚に入れています
本棚に追加
/7ページ
「いやしかし驚いたな」
外が一望できる家一番の掃き出し窓を前に、父・ハネは感心しきった唸り声をあげた。あごに最新式のひげ剃りを当てながら。
「八十年。覚悟はしていたがここまで変わるとは」
「パパ」
我慢できなくなったソラが口を開く。
「さっきも教えたでしょ。それは直接当てても剃れないの」
「ひげ剃りってのはあごに当てるもんだ」
「ここ数十年はもう違うの。貸して」
専用のスタンドを持ってきて、ハネの前に設置する。スイッチを押すとひげ剃り器から赤いライトが発せられ、ハネのあごを照らし出した。
「こうして位置と剃りの深さを設定すれば」
ぴぴっと微かな電子音がして、ライトの色が緑に変化する。そして、ハネのひげが『自動的』に『消え』始めた。
「レーザーが勝手に焼き切ってくれる」
「ふう、ん。便利なもんだな。けど」
急に銅像か何かのようにしゃちほこばって、ハネは大きなため息をついた。
「身動きしづらいのが玉にキズだ」
「動いたっていいんだってば。最初の位置決めは三次元でやっているんだから、どれだけ顔をずらしたって平気」
「そうは言ってもなぁ」
会話している間につるつるになったあごをなで、ハネは顔をしかめる。
「不思議なもんだ。あれだな、高度に発達した科学技術は」
「魔法と見分けがつかない」
「……格言は八十年経っても変わらないからいいな」
にやり、と子どものような表情をしてハネが笑う。
「馬鹿なこと言っていないで、さっさと支度して。約束まであと一時間しかないんだから」
「ええ? まだ余裕だろ。せかせかしたくないんだよ俺は」
「せかせかしない為に余裕をもって用意するんでしょ」
「ちぇっ」
ぶつぶつ文句を言いながらハネが洗面所に引っ込む。と、すぐに何かの操作を間違えたらしい騒音と悲鳴が聞こえてきて、ソラは思わず額に手をやった。
「これじゃ父親っていうより、息子か孫ね。それもとびきり幼い感じの」
この人って、こんなに情けなかっただろうか。色あせた記憶の隅をあさってみたくもなる。
帰ってきてからずっとこの調子だ。家電を使おうとしては奇声を上げ、公共交通機関を利用しようとしては周囲に迷惑をかける。それならばと正しい操作方法を逐一事前に説明してみているが、どうも今ひとつ効果が薄い。もしや覚える気がないのでは、なんて疑ってしまう自分がいる。
いや、理解しているつもりだった。時間が隔たりすぎたのだと。
彼が発ってから地球では八十年が経った。一方で、光速で移動していた宇宙船では七年しか経過しなかった。
結果、私は父を四十年以上も追い越してしまった。原因はそこにある、と。
「なあソラぁ」
情けない声がすがりついてくる。今度は一体何をやらかしたのだろう。
「やっぱりそんなに急がなくていいんじゃないかなぁ? いい天気だからほら、移動にも苦労しないだろうし」
「絶対に嫌」
(遅れて注目されたら、恥ずかしいのはパパの方なのに)
仕方ない。手を貸すか。歩き出しながらまた、ため息が口をついた。
「私たちの為のお祝いなんだから、絶対に遅刻はしたくないの。それに、今日はいい天気なんかじゃない」
通り抜けざま、壁にとりつけられたスイッチを押す。すると先ほどまで窓から見えていた青空が瞬時に消え、黒雲が空を覆い雨が降り始めた。
「さっきまでのはただの映像。本物じゃない。今日は一日雨の予報、って、さっきも説明したでしょう!」
最初のコメントを投稿しよう!