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速く走るものほど、時が経つのは遅くなる。
ウラシマ効果と呼ばれる、童話のような現実の現象。たとえばほぼ光速で移動する物体の中では、流れる時間は物体の外より十倍ほど長くなるという。
「ええ、我らが大冒険家シラクモ=ハネ氏を宇宙に駆り立てたのは八十年前、地球で初めて観測された小天体です。そう、アラクラン彗星ですね」
朗々と正装の司会者が語る。
その隣で、スポットライトを浴びたハネは実に照れてデレデレしていた。せっかくあつらえた一張羅に身を包んでいるのに、ゆるんだ表情が全てを台無しにして見える。注目されるのに慣れていないことが傍からもバレバレだ。
(人の気も知らないで)
祝いの料理を口に運びながら、ソラは気が気でなかった。
宇宙から無事帰還した親戚をひと目見ようと、小さな会場は一族郎党でひしめき合っている。こんな中であの骨董品が何かしでかしはしないかと思うともう、そわそわして落ち着かない。
「太陽系の外から飛来したアラクランは、地球上には存在しない未知の成分を含んでいる可能性がありました。そこで彼は単身、アラクランを追跡する宇宙の旅に出たのです」
「……本当、狂気の沙汰」
頬杖をついてぼそり呟く。と、向かいの席に座っていたツムジが大きくかぶりを振った。ソラにとっては姪孫、義妹の孫にあたる青年だ。
「ロマンすよ、ロマン。ね。人生を賭して、地球から何光年も離れた彗星を追いかけていくなんて。俺には真似できないな」
「バカだっただけよ。ピンときてなかったんでしょ絶対。実際、遭難しかかったわけだし」
地球時間五十年で到達しなければ、諦めて帰還する。その約束だった。資金援助してくれた施設からも出立を許可した国からも、何度もそう念を押されたはずだ。
(それなのに、あの男ときたら)
それをすっかり忘れて航行を継続したのだ。おかげで食糧も燃料も底を尽き──捜索に乗り出した宇宙救急隊が見つけてくれなかったら、二度と生きて戻れなかったかもしれない。
「その代償がこの、八十年の差」
しわだらけの手をこすり合わせる。ふと目をやったハネの肌は、みずみずしくつやつやと輝いていた。
「……それだけ美しかったのかも」
小声でツムジが言った。
「ええ?」
「宇宙がさ。それにきっと、ソラばあちゃんなら絶対に待っているって信じていたんだろうし」
屈託なく笑うツムジの顔をまじまじと眺めて、ソラは大きくため息をついた。
「あんたは頼むから、あれみたいにならないでよね」
「それではここで皆様お待ちかね。本日の真打、シラクモ=ハネ氏にご登壇いただきましょう!」
司会者の言葉でソラはハッと我に返った。
きた。心臓が早鐘を打つ。この緊張感、まるで自分がスピーチでもするみたいだ。
「お、おうッ」
声を上ずらせながらハネが立ち上がり、歩き出す。
(イヤだ、何あのへっぴり腰。情けない)
目を覆いたくなるのを必死にこらえる。そう、ライトの中央に立って。かかとをそろえておじぎ。原稿は胸ポケットに入っているから。
「ええ、コホンコホン」
タブレット端末を手に、ハネはしかつめらしく咳払いをすると
「では僭越ながら……」
(あっ)
ソラの顔から血の気が引いた。
(しまった。あれは教えていない──!)
「パパ!」
とっさに叫んだが遅かった。きょろきょろ辺りを見回したかと思うと、彼はふと得心した様子で周囲に漂う立方体のひとつに手を伸ばす。
「マイクマイク、と、多分これだな」
「パパ待って! それは持って使うんじゃなくて」
だって仕方ないじゃない。マイクを手に持って集音するなんて時代遅れなやり方、ここ五十年程ですっかり廃れてしまっていたのだから──。
緊張のあまり聞こえていないのか、ハネはこちらの方を見ようともせず、手にしたキューブに顔を近づける。
そして腹の底から叫んだ。
「ええぇ! 本日はあぁ! お日柄もよくうぅぅ!」
次の瞬間、その場にいた全員が耳を押さえてうずくまった。
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