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その解放感に包まれた私は、いつの間にか屋上へと駆け上がっていた。彼はいないかもしれない。でも、それでもいい。行かないと気が済まなかった。そして、屋上への扉を開いた。
――”彼”がいた。私がずっと逢いたかった峯部長が、ただそこに佇んでいた。
師走の冷たい風が、肌を打つ。峯部長は少し驚いた顔をした後、ふっ、と微笑む。
「期日守れたのか、ご苦労様、千夏」
私は逢えなかった約4ヶ月間の想いを伝える。
「ありがとうございます、部長。流石に疲れたし、……辛いほど逢いたかったですよ」
すると、私の髪に彼が手櫛を通した。それを慌てて私は振り払う。
「あ、あの、昨日帰ってないんです。もちろん、お風呂なんか何日……」
実際、顔はノーメークで、髪は括り癖が付いてしまって、全身ぼろぼろの状態だ。ここに来て初めてこんな有様だったことを思い出し、よくもこんな格好でこの人に逢いに行こうとしたなと嘆きたい気持ちだった。
そんな私の顔を見て、彼は笑った。
「愛しい女が一番疲れているときに抱き締めてやるのが、男の務めのひとつだと俺は認識している」
彼は吸っていた煙草を途中で消してしまい、手早く黒革の携帯灰皿に入れてしまった。そして、急に距離を詰めてきて、強い力で抱き締める。一瞬、私の身体は強張ったが、すぐに心の壁は脆く崩れ、その身の質量を全て彼に投げ出してしまう。そして、彼の腰に手を回し、その胸に顔を埋める。いつもの煙草の香りが鼻から全身へと沁みてくる。
「峯部長、逢いたかった……」
彼の低く渋い声が胸から直接その動きを通して伝わってくる。
「開発が佳境に入ってから、お前は昼休みに社食すら来なくなった。俺はこの約4ヶ月間、一度も千夏の顔を見ていない。だから森の奴にラインで、千夏のことを訊こうとすらしようとしていた」
彼は自分のことを自傷的に嗤う。
「『何かを決められた期間で製品開発する』のが『研究開発部』に属している千夏の本分と解っていても、毎日千夏は元気にしているのかと心配した。だから、今は安堵の気持ちしかない。俺の腕の中に千夏がいるこの感触だけで安心している。おかえり、千夏」
私は自分の涙で、彼のオートクチュールのスーツを濡らさないように堪えながら、強気に強請ってみる。今日はクリスマスだ、愛する人からプレゼントは貰えないだろうか?
「今週の週末、私久しぶりにひとり暮らしなんです。もし、部長にご予定がなければ、私を外に連れ出して下さいませんか?でないと、寝て終わってしまう……」
彼はまた、ふっ、と柔らかく笑う。
「……ったく、千夏は相変わらず強請るのが上手い可愛い奴だな。ああ、頑張った千夏のためなら、どんな予定もなかったことにしてやる」
私は思った。この憧れの人に愛されていると。そして、今私は満たされていて、幸せの杯が満ち満ちている。クリスマスの夜に起きた奇跡を感じ、「もう、明日死んでも惜しくはない」と心から思えた。
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