Poker Face

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その週の土曜日、私たちは大阪にいた。 早朝の東京駅6:30発の大阪方面行き「のぞみ」のチケットをリザーブし、ふたりで乗り込んだ。当然のように、グリーン車に乗りふたり並んで座るが、厚手のグレーの硬く、しかし、しなやかな生地のトレンチコートを脱いだ、彼の服装は私服ではなく、いつものスーツ姿であった。女性らしい私服を彼に見せたいと思う一方、師走の寒さに負けた私は、黒のタートルネックに同じく黒のスキニージーンズ。それにローヒールの黒革のニーハイブーツを合わせ、そこまでしてなお膝上のダウンコートを羽織っていた。対照的である。 私は彼に「なぜ?」と視線を送ると、答えが返ってきた。 「今日と明日の二日分の仕事を終わらそうと金曜の夜から脇目もふらずにこなしてたんだが、夢中になりすぎていたせいで、気が付いたら今日の朝4時。急いで家に帰って仕度するのはいいが、服を選んでいる余裕がなく……、という下らない顛末だ」 私はそこまで無理をしてくれたことに言葉がなかった。予定をなかったことにしてくれたことに対して嬉しくて涙が滲む。静かに滑るように発車した新幹線の座席に押しつけられるような感覚を気持ち良く味わいながら、隣の人を見た。すると、その端正な顔の目蓋が閉じられていた。睫毛が思ったより長く広がっている。そんな彼の寝顔を堪能したあと、申し訳ないが、肩を揺らした。彼は、はっ、として目を覚ます。 「……寝ていたか?済まない、千夏」 私の意図を誤って汲み取った彼に、私は提案をした。 「部長に無理をさせたのは私です。せめて、私に何かさせて下さい。部長は背もたれでも熟睡できる方ですか?私は新幹線で熟睡できたことってないんです。良ければ、『ここ』をお使いください」 そうして私は、自分の揃えた脚をとんとん、と軽く叩いた。彼は理解し、笑みを零す。 「生憎職業柄、俺はどこでも眠れる質だ。しかし、何処も自分のベッドの上とまではいかない。きっと、心の底から安心していないと最高の眠りは得られないのだろう。その点、千夏の膝枕なら、千夏に俺の全てを預けて眠れる。……二時間半熟睡しても、いいのか?」 私はふふ、と笑う。 「ええ、ずっと部長の寝顔を見ていますから。退屈なんてしません」 すると、彼はダブルボタンの束縛を解き、ジャケットを脱いでから、ネクタイを緩める。そして、私に体重を任せてきた。私は自分のダウンコートを手に取り、彼の上に掛ける。程なくして、彼の規則正しい寝息が聞こえてくる。ふと見遣ると、彼の寝顔はいつもより幼く見えた。その端正な顔を注意深く確認していくと、やがていつもとの違いが分かった。深く刻まれていたはずの眉間の皺がほとんどなくなっていた。私は彼の素顔を見た気がして、胸が熱くなる。そんな愛しさを抱えながら、新大阪に着くまで彼の寝顔を飽きずに見ていた。
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