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 『黒獅子姫』が宝剣ゼーレン・イスラファーンを強引に鞘から抜こうとすると、柄頭から黄色い毒ガスの雲が発生する。  壁を覆っていた木の枝や蔦が、まるで逃げ出すように通路の奥に後退していく。 「この毒ガスには植物を枯らす成分が含まれているみたいじゃな。これなら安全にダグの所まで行けるはずじゃ」  『黒獅子姫』は毒ガスを撒きながら足早に前進する。残りの者はガスを吸い込まないように距離を開けてついてくる 「それにしても彼女は毒ガスを浴びて大丈夫なのでしょうか?」  最後尾について背後に警戒しつつ歩くフレデリクが心配げに言った。 「ああ、『黒獅子姫』殿なら問題あるまい。何といっても魔女だからな」  アルディーン二世はけろりと答える。 「ま、魔女ッ!?」  驚いたフレデリクとホノリウスは一歩後ろに退いた。  そして互いにぶつかって派手に転倒する。その姿にアルディーン二世は呆れる。 「貴公ら、何をやっておるのだ……。心配せずともよい。『黒獅子姫』殿はこの城の主とは違って我らの敵ではない。事情はよく分からぬが、貸した魔力を回収する借金取りのような仕事をしているらしい」 「はあ……借金取りですか……。しかしそんな魔女が本当に存在するのでしょうか? いえ、もちろん陛下がそういうのであれば信用いたしますが……」  フレデリクは困惑した眼差しで『黒獅子姫』を見る。 「おぬしら!! 早くこっちに来て手を貸すのじゃ!!」  『黒獅子姫』が叫んだ。  曲がり角の壁に寄りかかるように倒れているダグボルトの姿があった。身体からは力が抜けぐったりとしている。  『黒獅子姫』はダグボルトの腕を掴んで引っ張ろうとしている。  他の者も次々と手を貸した。ダグボルト本人の体重に加えプレートメイルの重みもあり、四人がかりでも引きずっていくのがやっとだ。  それでも何とか地下の酒蔵庫までダグボルトを運び込んだ。  酒蔵庫の床に横たえられたダグボルトの身体はぴくりとも動かない。  『黒獅子姫』が何度も名前を呼ぶが返事はない。 「まさか植物に血を吸われ過ぎて、ミイラ化してしまったのでは……」  ホノリウスはぼそりと呟いた。が、フレデリクに睨み付けられ慌てて口をつぐむ。 「大丈夫じゃ。こやつはこんな所でくたばったりはせん」  『黒獅子姫』は冷静な口調で答える。  しかしどちらかと言えば、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。 (なぜならこやつは『黒の災禍』を生き延び、『金蛇の君』との戦いを生き延び、グリフォンズロックの剣闘士生活でも生き延びたんじゃからな。じゃからこんな所で死ぬはずがない。絶対に絶対に死んでも死なないんじゃ)  不意に熱いものがこみ上げ、『黒獅子姫』はぐっとこらえる。  だが切れ長の目からは一筋の涙が流れ落ちる。 (頼む。生きててくれ、ダグ……)  『黒獅子姫』は震える手でダグボルトのフルフェイスヘルムを外した―― 「俺のために泣いてくれる人間がまだ残ってたとは……。嬉しいね……」  かすかな呟きがダグボルトの萎びた唇から洩れる。  血の気の引いた青ざめた顔をしているが確かに生きている。 「ダグ!!」  『黒獅子姫』はダグボルトの首に思い切り抱きついた。  とめどなく溢れ出す涙を抑える事が出来ない。  ダグボルトには抱きしめ返す気力がないので、『黒獅子姫』の背中を軽く撫でた。  周りにいた者たちも思わず目を潤ませる。 「無事で良かったぞ……。本当に良かった……」 「こいつらのおかげだ」  ダグボルトのプレートメイルの隙間から黒蟻の群れが這いだしてきた。普段は右腕の義手となっている蟻だ。 「気絶した俺の身体から血を吸おうとする蔦を、こいつらが噛み切ってくれてたらしい。おかげで干からびたミイラにならずに済んだ……」  『黒獅子姫』はローブの裾で涙を拭う。  若干充血して赤いがいつもの気だるげな瞳、いつもの穏やかな『黒獅子姫』に戻った。 「じゃあ後でそやつらにはお礼をせんといかんのう」 「ああ。この城を出られたら甘いものをたくさん食わせてやろう」    **********  フレデリクは、切り取って乾燥させておいた木の根を使い焚火を起こした。この城の植物は、樹液さえ乾けば火を点けられるらしい。  皮と内臓を取り除き木の串を刺した鼠を、その焚火でちりちりと炙る。この城は鼠がたくさんいるので、最低限の食糧は手に入るらしい。城の植物は鼠には関心を払わないようだ。  『黒獅子姫』とアルディーン二世は断ったが、ダグボルトは体力を回復させる必要があるため、フレデリクやホノリウスと共に、炙った鼠肉をがつがつと貪った。身は固く骨が多く、おまけに臭いが食べられない事はない。  幸い、近くの食糧保存庫からフレデリクが調味料を持ってきていたので、味付けには不自由しない。そこに保存されていた食糧は、残念な事に古過ぎて食べられなかったらしい。  食事を終えて皆が落ち着くと、ホノリウスは身の上を語りだす。 「あれは一年ほど前になります。私めが焦土と化したデルシスで、滅びし都の儚き運命を詩に書き留めていた時の事です。突如私の目の前に樹木に覆われた城が現れたのです。私めが唖然としている間に、その城は忽然と姿を消してしまいました。正直悪い夢でも見てたのかと思いましたよ」  ホノリウスはそこで話を中断してワインを一口飲んだ。そしてまた話を続ける。 「その後、いろいろな村や街の酒場でその話をしているうちに、あれが『膏血城』と呼ばれている恐ろしい城だと知りました。しかし私めにはどうしてもあの城が別のものに見えたんです。つまりイスラファーンの王城エイン・デルシスにね。しかしその話をしても皆、鼻で笑うばかりでした。デルシスが滅したのに王城だけ残っているはずはない、とね。ですがとある酒場で一人の方がこの話に食いついてきました。その方がそちらにいるサー・フレデリクなのですがね」  そこでホノリウスはフレデリクを指差す。  しかしフレデリクは無言のまま焚火の炎をじっと見つめている。 「サー・フレデリクはその城に行ってみたい。出来れば中に入りたいと言い出されました。最初は反対したのですが、どうしても決心は固かったようですので、案内を兼ねて私めも同行する事にいたしました。正直いい詩が書けるかもしれないという気持ちもあったんですがね。それから準備を整え、デルシスの跡地で野営をして城が再び現れるのを待ちました。そして十二日目に再び城が出現したのです。以前と全く同じ場所にね」  ホノリウスはまた話を中断してワインを一口飲んだ。  そして話を続けようとした時、今度は急に城全体が長い振動を始めた。『黒獅子姫』達は驚いているが、フレデリクとホノリウスはまるで動じていない。 「この揺れは地震? それにしてはずいぶんと長いけど」 「『膏血城』が血を求めて動き出したのですよ、蟻の魔女殿。城に絡み付いた木の幹を触手代わりにして、まるで陸に上がった蛸みたいに移動しているようです。そうやって村や街を襲って血を啜り、またデルシスに帰ってくるのです」  フレデリクが唐突に口を開いた。  無表情だが瞳の中で炎が揺らめいている。 「後は私が話しましょう。私はこの城に巣食うものを殺し、王城エイン・デルシスを取り戻したかった。王家の人間を守れなかった近衛騎士のせめてもの意地、というものでしょうか。しかし樹の魔女にはまるで歯が立たず、やむなく私はホノリウスと共にここに逃げ込みました。そしてじっと反攻の機会を窺っていたのです。正直そんな日は来ないと諦めかけていたのですがね。……我らがここに来て何日ぐらいたったかな、ホノリウス?」 「確か今日で九十六日目になりますな」 「……そういう事です。これ以上、我らはここに引き籠るつもりはありません。樹の魔女を倒す時はあなた方と一緒に戦います」  夜も更けて全員が寝静まる中、『黒獅子姫』は部屋の隅に座りぼんやりと物思いにふけっている。蝋燭の明かりに照らされる繊細な顔立ちは、コケティッシュな美しさを秘めている。 「考え事か?」  暗がりからダグボルトの声。  鎧を脱いで身軽な服装になっているが、肌寒いのか身体にマントを巻きつけている。それでも顔色は大分良くなっている。  彼の長い黒髪には白いものが混じり、三十五歳という年齢よりも老けて見える。肌は浅黒く、高い鷲鼻。無精髭を生やした顎はがっしりとして引き締まった顔立ち。顔の左側には酷い火傷の跡があり、白く濁った左目は眼帯で覆われている。右腕の肘から先には、ぴったりとした黒の長手袋のような黒蟻の義手がついている。 「起こしてしもうたか?」 「気にするな。どうせ腹が減って眠れないからな」 「さすがにあんな小さな鼠だけじゃ、おぬしの腹は膨れんじゃろうな」  『黒獅子姫』は優しく微笑んだ。ダグボルトもつられて軽く微笑む。 「わしの能力は『翠樹の女王』の能力とは相性が悪すぎて、正攻法では戦いづらい。じゃから何か方法がないか考えとるんじゃが……」 「力押しが無理なら絡め手を使えばいい」 「絡め手?」 「例えば城攻めだ。エイン・デルシスみたいな堅牢な城を落とすとしたら力攻めより、城を包囲して補給線を断って兵糧攻めにした方が早い。そんな風に力押しではなく絡め手を――」 「それじゃ!」  『黒獅子姫』は突然大きな声を上げる。  それから彼女はそっと部屋の反対側を見るが、他の者は目を覚ましていないようだ。  今度は声を潜めて話を続ける。 「まさしくそれじゃよ。さっきフレデリクの話を聞いて思ったのじゃが、わしの蟻が糖分を魔力に変換するみたいに、『翠樹の女王』の植物も人間の血液を魔力に変換しとるんじゃ。この大きな城を覆い尽くす植物を管理するとなると、膨大な魔力が必要になるはず。きっと自分の魔力だけじゃ足りないんじゃよ。じゃから定期的に村や町を襲って人間の血液を補給しているんじゃ。その補給を断つ事が出来れば、魔力が枯渇して植物を動かせなくなるはずじゃ」 「いいアイデアだ。だがそうなると次の問題は、どうやって補給を断つかだな」  二人は口を閉ざして考え込む。しばらくしてダグボルトが遠慮がちに口を開いた。 「足の部分になってる木の幹を潰して移動を止められないか? いや、幹の数が多すぎるかもしれんな……」  彼はまた押し黙る。  しかし何かを閃いたのか、『黒獅子姫』の顔がぱっと輝く。 「それなら足の部分の幹を全て潰す必要はないぞ。もっと手っ取り早い方法があるのじゃ」  部屋の隅からぬっと黒き獅子が姿を現した。獅子は『黒獅子姫』の足元にごろりと寝転んだ。 「魔力が回復したのか」 「こやつをまた造り出せるくらいにはのう。それでさっきの話じゃが、わしはこやつらの身体を構成している黒蟻を使役しておるが、蟻一匹一匹に指示を出しているわけではないのじゃ。そんな事をしてたら魔力がいくらあっても足りないからのう。じゃからわしは蟻を役割ごとに幾つかの大きなグループ、群団(クラスター)に分けておるのじゃ。普段は武器、鎧、盾を形作る三つの群団にな。こやつは普段はライオンの姿じゃが、戦闘時には盾になるのじゃよ」 「そういえばお前のラウンドシールドには獅子の顔がついていたな。そういう意味があったのか」 「うむ。そしてそれぞれの群団にはリーダーとなる指令蟻を配置して、わしはそやつらに指示を与えておる。そやつらはわしの指示を元に末端蟻を動かしていくわけじゃ。実はおぬしの右腕の蟻もひとつの群団なのじゃよ。ちなみに主となる者の指示がない時は、指令蟻は独自の意志で判断して群団を動かしておるのじゃ」 「じゃあこいつは自分の意志で俺を助けてくれたのか。感謝しないとな」  ダグボルトが右腕を撫でると、それに応えるように蟻がざわめいた。 「きっと『翠樹の女王』も同じように、この城を覆う樹木を役割ごとに幾つかの群団に分けて、それぞれに指令樹を配置しておるはず。全ての樹木にいちいち自分で指示を与えてたら、いくら血液を補給しても魔力が持たんからんな。じゃから……」  そこで『黒獅子姫』より先にダグボルトが結論を述べる。 「足の部分になっる移動群団の指令樹を潰せばいいんだな。それで動きを止められるはずだ。いいぞ、それでいこう」  翌朝、朝食の席で計画を聞かされた三人もすぐに賛同した。 「では我らは、まず何をすればよろしいでしょうか?」  まずい鼠肉を齧りながらフレデリクが尋ねる。 「まずは移動群団の指令樹を探さないといかん。城全体を見渡せる場所があればいいんじゃが……」 「それなら屋上がいいと思います。ただ植物に覆われた廊下を抜けてそこまで行くのが難しいのですが。宝剣の毒ガスが残っていれば良かったのですが、使い切ってしまったんですよね?」  『黒獅子姫』は黙って頷いた。  すると隣にいたアルディーン二世がどんと自分の胸を叩く。 「それなら余に任せるがよい。余はこの城の隠し通路をいくつも知っておる。隠し通路の中は植物が入り込んでいないようだから、そこを使えば楽に屋上まで行けるだろう」  フレデリク達が食事を終えると、全員でアルディーン二世の後をついて隠し通路を抜け、無事屋上にたどり着いた。  城の周囲は濃い霧に覆われていて、外部の風景は全く見えない。  それでも屋上は強い風が吹いているため、他の場所よりは霧が晴れているようだ。城の外壁部分までは何とか視認出来る。  外壁を覆う大樹の幹は屋上のさらに上まで伸びている。頭上の枝から緑の葉がぱらぱらと屋上に零れ落ちている。屋上の石床には落ち葉が溜まっていて枯葉色の絨毯のようになっている。  下を見ると、城の下部に絡み付いた太い木の幹が集まって触手のように蠢いている。  五人は手分けして屋上から下を覗きこみ、城の外壁に移動群団に繋がる手がかりがないか観察する。  すると唐突にホノリウスが叫んだ。 「み、皆さん! あれを見てください!!」  ホノリウスが指差す先には、外壁の中ほどの窓から伸びた一本の長い蔓があった。その先には巨大なモウセンゴケが生えている。  一見、モウセンゴケの蔦は風に揺られているだけように見える。しかし蔦が不意に左に大きく揺れた途端、城もそれに合わせて動き左に進路を変えた。 「……ホノリウス、おぬしの剣を貸しとくれじゃ」  何かを察した『黒獅子姫』は、手渡されたショードソードで左手の人差し指を軽く切った。  傷はすぐに塞がるが一滴の血が流れる。それをモウセンゴケの蔦の上からぽとりと落とした。  すると蔦は血を追尾するかのように大きく上に振れた。  足場がガクンと大きく揺れる。  城全体が斜めに傾き、危うく全員が屋上から転げ落ちそうになる。 「何をやってるんだ、ミルダ!! 俺達全員を殺す気か!?」  屋上の手すりに掴まって落下を免れたダグボルトが叫ぶ。  しかし『黒獅子姫』はそんな事などお構いなしに嬉しそうな声を上げる。 「こうやって鮫みたいに血の匂いを辿って、獲物になる村を探しとったんじゃ。あの蔦が生えている場所の近くに移動群団の指令樹があるはずじゃ」  傾いていた城が元に戻ると、五人は再び酒蔵庫に帰って来た。  いよいよ作戦決行の時が近づいてきたのを感じ、全員無言で装備を整え始める。  ダグボルトとフレデリクはプレートメイルを身体に装着し、お互いの装備に不備がないか確認し合う。  アルディーン二世はバスタードソードを背負うと床にどしんと座り込み、落ち着かなげに宝剣を手の中で弄んでいる。  ホノリウスは旅行鞄を部屋の隅に置くと、蔦の異端の死体から奪ったサイズの合わないチェインメイルを身に着けた。背中には城のどこかで拾ったというタワーシールド(長方形の大型盾)を背負う。さすがに詩を書くような気分ではないようだ。  『黒獅子姫』だけは穏やかな表情で、床に寝そべっている黒き獅子の背中を撫でている。  準備が終わると五人は床に円座を組んだ。  中央にはエイン・デルシスの見取り図が描かれた羊皮紙。  フレデリクは見取り図の一点を指差す。 「あの蔦が生えていた場所は兵士用の大食堂です。かなりのスペースがあるので敵からすれば守りにくい場所のはずです」 「だが少人数の俺達からすれば包囲されやすい場所でもあるな。さらに援軍が来れば手に負えなくなる。となると、ここは奇襲をかけて一気に指令樹を叩くしかない。移動群団の指令樹さえ潰せれば、魔力が枯渇して『翠樹の女王』は行動不能に陥るはずだからな」 「し、しかしそれには大きな問題がありますぞ。指令樹がどんな形をしているのか、具体的にどこにあるのか、私達には何も分からないではないですか。それで果たして奇襲がうまくいくのですか?」  ホノリウスの手痛い指摘にダグボルトとフレデリクは黙り込む。  するとアルディーン二世が膝を叩いて立ち上がった。 「それでもやらねばならぬのだ、ホノリウスよ。物事を成功に導くものは、綿密な下準備や緻密な作戦だけではない。何より重要なのは強い意志だ。過酷な運命に抗い、それを乗り越えようとする強い意志の力が、歴史を動かし世界を動かすのだ。今までも、そしてこれからもな。この混沌とした世界に立ち向かい先に進むためにも、我々はこのような場所で立ち止まるわけにはいかぬ。だから皆の強い意志の力を合わせ、この戦いに打ち勝とうではないか!!」  いつの間にか全員が演説に聞き入っていた。  今度は『黒獅子姫』が軽い拍手をしながら立ち上がる。 「さすがは一国の王じゃな。素晴らしい演説じゃったぞ。大丈夫。おぬしらならきっと指令樹を倒せるはずじゃ」 「あなた達? まるでお前は行かないみたいな言い方だな」  ダグボルトの指摘に『黒獅子姫』は無言で微笑みを返す。  瞬時にダグボルトは理解した。 「……まさか囮になるつもりか?」 「全員で移動群団の指令樹を倒しに行ったら、『翠樹の女王』はすぐに意図に気づいて援軍を差し向けるじゃろう。じゃからこの作戦を成功させるためには、誰かが『翠樹の女王』の注意を引きつけておかないといかんのじゃ」 「…………」 「それに指令樹を倒しても『翠樹の女王』に十分な魔力が残ってたら、別の群団を移動役に切り替えるか、あるいは新しい指令樹を創りだしてしまうじゃろう。じゃから誰かが『翠樹の女王』と戦って、出来るだけ魔力を消耗させておく必要があるのじゃ」 「……それが出来るのはお前しかいないという訳か」 「うむ。ついでに言っておくと、わしは負けっぱなしなのは性に合わんのじゃ。戦うからには前回と同じような無様な敗退はせんからな」  『黒獅子姫』の決意が宿った瞳を見て、ダグボルトはそれ以上何も言えなかった。  すっくと立ち上がると無言で『黒獅子姫』の肩を軽く叩く。それが承認の印だった。 「ではそろそろ参りましょう」  フレデリクの言葉に全員が頷く。  イスラファーンの再建、そして『翠樹の女王』との因縁に決着をつけるための戦いが今始まろうとしていた。    **********  『翠樹の女王』はまどろみの中にいた。  愛する城の全てを己が身体と繋ぎ合わせ一体化した姿は、子宮の中ですやすやと眠る胎児のようである。  今や植物にわざわざ細かい指示を与えずともよいのだ。  役割ごとに分けられた群団の指令樹が、設定された行動パターンに基づいて自働的に行動する体制を、すでに彼女は完成させていた。  魔力が減少すれば移動群団が自働的にこの城を人間が大勢いる場所に移動させ、攻撃群団が人間を襲って血液を補給する。さらに城内に侵入者がいれば防衛群団が自働的に排除してくれる。  だから彼女はこうして何もせずに、ただまどろんでいればいい。  だが不思議な事に、この城は人間の血液を補給し終わると焦土と化したデルシスの地に勝手に戻ってきてしまうのだ。そんな行動パターンを設定した覚えはないのだが。  それがなぜなのかは彼女にも分からない。ただデルシスの跡地に戻ってくると、故郷に帰ってきたような懐かしい気分になるのだ。  一体なぜだろう……。  ぼんやりと思考を続ける『翠樹の女王』の目に黒い影が映る。  それが『黒獅子姫』であると気づき、深いため息と共に『翠樹の女王』はまどろむのを止め、脳を正常な思考に切り替える。 「……うっとおしい蟻じゃな、そなたは。潰しても潰しても、また巣穴から這い出して来おるのじゃからな」 「『蟻であると同時に獅子でもある』 それがわし、『黒獅子姫』なのじゃよ。この胸に猛き獅子の心がある限り、わしは戦う事を止めたりせんぞ」 「ホホホ、お笑い種じゃな。いくら獅子の心を持とうとも、所詮蟻は蟻。獅子にはなれぬのじゃぞ」 「じゃったら、その身体で確かめてみればよいぞ、『翠樹の女王』!」  背後に現れた獅子に跨ると、『黒獅子姫』は謁見の間を一直線に駆け抜ける。  全方位から襲いくる無数の枝の触手。  それは矢衾のように彼女の身体をぶすぶすと串刺しにせんとする。  しかし枝を振り切る速さで走る獅子は、漆黒の矢となって玉座に達する。  『黒獅子姫』のブーツとなっていた蟻が右手に集まり、瞬時に漆黒のシミターに姿を変える。  『翠樹の女王』と融合している玉座の大樹を切り付けようとした瞬間、足元から網の目状に細かく編まれた蔦のネットが生えてきた。蔦のネットは玉座の大樹に巻き付いて主を守る。  何重にも編まれた蔦は高い防刃効果を持ち、シミターの一撃では断てない。  動きが止まった『黒獅子姫』の身体を三本の巨大ハエトリグサが襲う。  だが『黒獅子姫』を乗せた黒き獅子は、踊るような動きで巧みにその攻撃をかわす。 「ホホホホホ! 妾のハエトリグサに蟻を喰われぬように、防御はせずに回避に徹するつもりか。獅子の心を持つくせに、つまらぬ戦い方をするものじゃな!」  ハエトリグサはなおも執拗に黒き獅子を追尾する。だんだんと後退させられていく『黒獅子姫』。  攻撃が黒き獅子の身体を次々とかすめ、少しずつ蟻を喰われていく。 「ホホホホホホホ!! 今度こそそなたもお終いじゃ!!」  『翠樹の女王』は高らかにあざ笑う。タイミングを見計らい、三本のハエトリグサが一斉に『黒獅子姫』に迫りくる。  次の瞬間、『黒獅子姫』は黒き獅子から転がるように飛び降りていた。  同時に身に着けていた漆黒のローブとシミターも捨て去る。  ローブとシミターは混じり合い、もう一頭の黒き獅子に姿を変える。  三本のハエトリグサは軌道を変え、二頭の獅子に狙いを定める。ターゲットから外された裸体の『黒獅子姫』は、ハエトリグサの一つに拳を叩き込む。  拳に伝わる鈍い感触。  口のように開いた二枚の葉の中から、涎のようにダラダラと樹液が溢れ出す。動きが止まったハエトリグサの茎を手刀で切断すると、それは瞬く間に枯れていった。  無防備な『黒獅子姫』に無数の枝が触手を伸ばすが、二頭の獅子が主を守るようにその枝を噛み千切っていく。  貪欲な食虫植物がその隙をついて獅子の黒き身体に牙を立てる。一頭の獅子は下半身を喰われ、バランスを崩して無様に転倒する。  だがもう一頭の獅子を喰らおうとしていたハエトリグサは、『黒獅子姫』の回し蹴りで壁に叩きつけられていた。喰われずに済んだ獅子は痙攣するハエトリグサの葉に噛みついて容赦なく茎から引き千切る。  『翠樹の女王』が唖然としている間に、『黒獅子姫』の手でとうとう三本目のハエトリグサも切り落とされてしまった。 「こんな莫迦な……」 「今までのこの城の植物の行動を見てて、おぬしが指示を与えて動かしてない事はよく分かっておった。確かに群団の指令樹にあらかじめ行動パターンを設定しておいて、自働的に行動させれば魔力の消耗は抑えられるが、その代わりに単純な行動しか出来ないという欠点が生まれる。枝の触手はわしを狙い、ハエトリグサは虫、つまりわしの蟻を狙う。あらかじめそれが分かってれば、対策を取るのは簡単な事じゃよ」 「ぐぬぬぬ……」 「そして天敵を始末したわしは、安心してこの姿になれるというわけじゃ」  『黒獅子姫』は二匹の黒き獅子と混じり合う。そして獅子の顔を象った漆黒のラウンドシールド、巨大な漆黒のバトルメイス(戦棍)、流麗な漆黒の鎧の三つの武具を纏った姿を敢然と現す。 「おぬしの身体に巻き付いている蔦のネット、防刃効果は高いみたいじゃが、打撃への防御はどうなのかのう? ひとつ試してみるか?」  『黒獅子姫』が振り下ろしたバトルメイスが玉座の大樹に叩きつけられる。『翠樹の女王』を傷つけないよう手加減したつもりだが、メキッという音がして幹に小さな罅が入る。 「さあ、どうする? 身体をへし折られたくなかったら、おとなしく降伏するのじゃ。さもないと――」  すると急に『翠樹の女王』が笑い出した。  人を小莫迦にするような下品な笑い声。 「ホホホホホホホホホホホ!! 妾がこの程度で屈服すると思うたか、蟻女め!! これはとんだお笑い草じゃ!! ならば妾の本当の力、その目にとくと焼き付けるがよいわ!!」  急に謁見の間の天井を覆う木々がざわめき出し、木の幹や無数の枝が集まり始める。  やがてそれはひとつの巨大なオブジェを形作る。  すなわち巨大な『翠樹の女王』の顔を――。 「驚いたか、蟻女? これが妾の真の姿じゃ。ちっぽけな蟻が強大な妾を倒せるか試してみるがよいぞ!!」  左右の壁の木々が寄り集まり、それぞれが巨大な拳となる。軽く右の拳を振るうと、『翠樹の女王』本体が入っているはずの玉座の大樹を粉々に吹き飛ばす。 「まさかこれはダミー!?」 「ホホホホホホホ!! 当然じゃ。妾は下賤の輩に容易くこの玉のような肌を晒したりはせぬわ!! 今度こそそなたの命運は尽きたようじゃな!!」  全方位から響くような凄まじい声に壁がビリビリと震える。 (……ついに自働行動を解除して、自分の手で防衛用の群団を操作し始めたのう。こっちに攻撃リソースを集中させるから、わしはきつくなるが、代わりにダグの方は少し楽になるはずじゃ)  『黒獅子姫』の手の中の漆黒のバトルメイスが、ランスへと形を変える。  それが彼女が最も得意とする武器。  つまり今の『翠樹の女王』は本気で戦わねばいけない相手という事だ。  『黒獅子姫』はランスを掲げ、一騎打ちに挑む騎士のように高らかに叫ぶ。 「ふむ、よかよう。じゃったらこっちも獅子の心を持つ蟻の本気、おぬしに見せてやろう!!」    **********  ダグボルト達は激戦のさなかにあった。  隠し通路を経由して食堂にたどり着いた四人は、入口を見張っていた三体の『蔦の異端』を一瞬で倒し中に踏み込む。  そこにはさらに十体の『蔦の異端』がいた。  武装がまちまちな所を見ると、城の兵士の死体だけでなく、フレデリク達より前にこの城に足を踏み入れた侵入者の死体も、『異端』として再利用されているようだ。  四人は背後を突かれないよう壁を背にして戦う。  プレートメイルを装備した防御力の高い『蔦の異端』は、ダグボルトがスレッジハンマーの突部を右胸に叩き込んで倒す。  チェインメイルやレザーメイル(革鎧)を装備した防御力が低めの『蔦の異端』は、フレデリクとアルディーン二世が相手をする。  ホノリウスには中途半端に攻撃をさせず、タワーシールドを両手持ちさせて防御に専念させる。あらかじめ決めておいた作戦だ。  厄介なのは壁から触手のように襲って来る無数の木の枝だ。四人の足や腕にしつこく絡み付いて動きを封じようとする。だがその枝が急に力を失い動かなくなる。 「ミルダが『翠樹の女王』の注意をうまく引きつけてくれてるようだな。こいつはチャンスだぞ」  ダグボルトのスレッジハンマーが一体の『蔦の異端』を打ち砕く。  残りは三体。戦いはこちらの優位に傾いていた。 「しかし彼女は一人で大丈夫なのでしょうか? あるいは戦いに負けて殺されてしまうなどどいう事は……」  ホノリウスはぼそりと呟いた。が、フレデリクに睨み付けられ慌てて口をつぐむ。 「いや、それはない」  ダグボルトはきっぱりと断言する。 「『翠樹の女王』の魔力はミルダから貸し与えられたものだ。ミルダを殺せば奴も魔力を失う。だから捕える事はあっても殺す事はないはずだ」 「ふむう。では彼女はそれを計算した上で囮に志願したのですな」  ホノリウスは納得したように言った。  しかしダグボルトは首を横に振る。 「いや、それだけじゃない。あいつは『翠樹の女王』との一騎打ちに勝つ気でいる。無様な敗退などしないって、自分で言っていたぐらいだからな。単なる囮役に収まるような奴じゃないんだ、あいつはな」 「あなたは蟻の魔女殿の事をとても信頼しているのですね」  思いがけないフレデリクの言葉に一瞬戸惑うダグボルト。  考えてみれば不思議なものだ。  『黒獅子姫』と北の城で出会ってからまだ四ヶ月しか経っていないのに、すでにお互いを信頼し切っているのだ。これまでに幾多の修羅場を潜り抜けてきた仲だからだろうか。  そうしているうちに四人は、部屋の中にいた『蔦の異端』を全て倒した。  今度は力を合わせて食堂の長テーブルを動かし、二ヶ所ある入口に立てかけて援軍を食い止めるバリケードにする。食堂の入口は扉が無いため、こうして防ぐしか手立てはないのだ。  ひと段落つくと四人は改めて部屋の中を見回した。 「あれが指令樹ではないですか?」  フレデリクが食堂の窓際を指さす。  そこには毒々しい紫色の巨大な花が咲いていた。花の先から一本の蔓が窓の外に伸びている。  その先には巨大なモウセンゴケ。  屋上で見つけたものに違いない。  これが血の匂いを嗅ぎ取って城の進路を決定しているのだ。  ダグボルトはスレッジハンマーの狙いを定める。  全力で叩き込まれた一撃は、巨大な花をぐしゃりと押し潰す。樹液が辺りに飛び散り、蔓が切れてモウセンゴケが落ちていく。  だが城は動きを止めない。ただひたすらに直進を続けている。 「……違う。これじゃない」  ダグボルトが悔しげに呟いた。  同時に片方の入口からガタッと大きな音がする。見るとバリケードの隙間から無数の腕が伸びている。大量の『蔦の異端』が食堂になだれ込もうとしていた。
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