アレの噂

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アレの噂

「なあなあウヤマエ、お前知ってる?」  ガヤガヤと騒がしい、帰りのHRが終わったばかりの教室。ぼくの隣の席の小野坂の所へアイツの友達の山田が大きな声をあげながら興奮した様子で駆け寄ってきた。 「知ってるも何も、何がだよ?」  ウヤマエと呼ばれた小野坂は山田が走り込んできた時にぶつかってずれた机を直しながら、少し迷惑そうな顔をしてそう答える。しかし、山田の次の一言で、一瞬にして小野坂のテンションがあがった。 「例のアレ!先週、隣町の倉庫で出たらしいぜ?」 「うっそ!?マジで?!」 「マジマジ!嘘じゃないって!でさ、本当なら今日行きたいところなんだけど、俺今日塾があってさ。だから、明日ウヤマエの予定が無ければ一緒にどうよ?」 「明日か……。んー。明日なら大丈夫」 「よし、じゃあ明日の夜、絶対に予定入れんなよ!約束だからな!」 「わかったわかった」  ぼくはしっかりと二人の話を聞きながらも、何も聞いていないふりをする。そして教科書を詰めたカバンを持ち上げると、小野坂と山田に背を向けてドアに向かって歩き始めた。2年5組の教室を出るとき、小野坂の目がじっとぼくを見つめていたような気がしたけど、多分気のせいだろう。  学校を出たぼくは駅に向かう他の学生の流れとは逆方向に15分ほどのんびりと歩いて、桜川の河川敷までやってきた。  この町の中心を流れる桜川は、川幅が30メートルほどある水深の浅い穏やかな大きな川で、両岸にはサッカーコートや野球のグラウンドが複数並んでいる。それだけでなく、遊歩道やランニングコース、スケボーが出来る区画などもあり、市民の健康に無くてはならない場所だ。  今日は平日だということもあって、河川敷には休みの日ほどの人出はなく、ポカポカと太陽の日差しを浴びてのんびりするには最高のロケーション。夕方になれば少年野球や少年サッカーの子どもたちが集まってくるけど、まだその時間には1時間ほどあり、辺りにはのんびりとした空気が流れている。  河川敷に並んでいるベンチのひとつに腰掛けると、ぼくは背負っていたリュックを降ろし隣に置いた。 「なぁ。どう思う?」  目の前に広がる芝生と川の流れをぼんやりと眺めながら、ぼくはリュックにぶら下がっている白いマスコットに話しかける。 「どうって言われてもネ」  リュックにぶらぶらとぶら下がっている白いソレは、ぼくの方にくるんと顔を向けると『そんなことを言われましても…』といった様子で身体を少し左に傾けながらそう答えた。  ぼくの名前は保志 結(ほし ひとし)。  一回で正確に呼んでもらえることがほとんどないこの名前を、どうして両親が採用したのかはよくわからないけど、ぼくはこの『(ひとし)』という名前が気に入っている。  たいていの人はぼくのことを『ゆう』だと思っているし、ぼく自身もそれを否定しないどころか『ゆう』と名乗ることも多い。ぼくの本当の名前を『ひとし』だとしっかりと把握している人間が少ないということが、何だか真名を隠している特別な人間であるような気持ちにさせてくれるのも、この名前が気に入っているポイントでもある。  ぼくは自分自身がとてつもなく平凡で凡庸な、どこにでもいるありきたりなモブみたいなものだという気持ちをずっとずっと思いながら生きているので、自分が特別な人間だと(勝手な妄想であれ)思える瞬間がとてつもなく嬉しいのだ。 「ユウは何かあると思ってるんでショ?」  リュックにぶらぶらとぶら下がっている白いソレは川の方へとクルリと顔を向けると、なんの感情も持っていないような声でそう続ける。  リュックにぶらぶらとぶら下がっている、白いてるてる坊主のマスコットのコイツは『テル子』。てるてる坊主だからテル子。なんでこんな安直な名前を付けたのかは、小さい頃のぼくに聞いて欲しい。ぼく自身、もうちょっといい名前があっただろう……と、過去の自分に突っ込みたい気持ちが無いわけでは無いのだ。
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