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通り雨が校庭を濡らしていく。
職員室の窓を開ければ若い草と土のにおい。
つい先日まで咲いていた桜の花は、今や見る影もなかった。
もう季節は5月―
「全く、歳をとると本当に嫌になっちゃうわ」
「ね!食べるものにも気をつけなくちゃ…」
サラサラと赤ペンを走らせていたテスト用紙の上に、水色の質素な封筒が置かれた。顔をあげれば、事務員のおばさんの大きなお尻が机の合間をぬっていくのが見える。
“千々木 はな様”
封書には、私の名前とクリニックの名前が書いてあった,つまりは健康診断の結果らしい。
私は封書をすぐに机の引き出しへと閉まった。
変わりに個包装されたチョコレートを2つ取り出し、1つは自分の口へ,もう1つは隣りに座る後輩の席へ置く。
「すいません、はな先生」
「どういたしまして」
隣りにいる絵里先生とは、年の差も経歴の差もある。
しかし出会って1ヶ月で、私達はもはや竹馬の友のように親しくなっていた。
「どうです先生、新しい学校は」
「うん。前いた学校も別に悪くなかったけど、駅から遠かったんだ。ここはいいね、坂を一本下れば、すぐ電車に乗れる」
「そうですよね。あとはもっと本数があれば…ではすいません、お先」
「はい、お疲れ様」
チョコレートを握り締めて出ていく彼女は、いつも定時きっちりに退勤する。これから保育園へ向かう母親は、忙しいながらにも活き活きとしていた。
“いいなあ”
つい、そんな思いがこぼれる。
私も絵里先生の歳に、もっと色々なことを経験しておけば良かったなんて今更。
重い雲を仰ぎながら、暗い坂道を下る。
たまに私の脳裏を無駄な後悔が駆け巡る。
小学校教師になって8年目。
否、正確には一度教員採用試験に落ちて、産休代替をしていたから9年目になるかな。
あの時から後ろを振り向く暇もなく、自分なりに一生懸命駆けてきた。
30歳をすぎて、ようやく少しだけ腰を据えられる教師になったと思うけど、これまで多くの時間を一体何に裂いてきたのか、最近、自問自答する。
別に考えたところで、どうにかなるわけじゃないんだけど。
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