遅いか早いか

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遅いか早いか

 ラフィの手が僕の手首に移動し、強く掴んでくる。  どのような感想よりも先に驚きが来て、思考が止まってしまった。  痛いぐらいの強さは、正直初めてだ。風呂を覗いてしまった時ですら殴られなかったのに。 「暁さんがこの街から出ていく、と言うことですか?」  らしくない圧のある言葉。  この街に来た当初、ヴィーネ様の街で起こったことをかいつまんで話したことはある。ヴィーネ様と外で遊んだ話は特に良く話した。  だからこそ、僕があいつを恨んでいるのは、良く知っているだろう。  恨みは『穢れ』を育てる。使穢者として内包する『穢れ』を、僕がそうやって育てていると思えば、先の嘘も別の読み方ができる、か。 「追い払うだけだよ。そしたら、戻ってくるから」 「わざわざ犯行予告をするような方が、一度追い払われたくらいで諦めるのですか?」  殺すからそんなことにはならないのだけど。そうは、言えない。 「アイツも使穢者だから。内包している『穢れ』を食らいつくせば簡単には動き出せないよ」 「使穢者の皆さんは、力を吸収し、等量以上の『穢れ』でもって『穢れ』を打ち消すと聞いております。そこだけ聞けば可能なことにも思えますが、吸収しつくすことを『食らいつくす』と言うからには殺さないと『穢れ』を全て吸収することなどできないのではないですか?」  誤魔化して、と言うのは無理か。 「流石だね」 「聞いた情報から組み立てて、街の皆さんのために活かさないといけませんから。その上で言わせていただきます」  ラフィが元々綺麗だった姿勢を、さらに正した。  掴まれていた手首は、いつの間にやら全く痛くない。触れているだけに近くなっている。 「暁さんも、私にとっては既に街の人です。街の人は聖女が守るべき存在。ですから、私が迎え撃つのが適切だと思うのですけど、暁さんはどう思いますか?」  目を逸らす。  ラーミナはハラハラした様子でこちらを見ているが、ハスタは何も気にしていないかのように悠然としていた。 「僕は余所者だよ。どこまで行ってもこの街の人じゃない。それに、僕の信念は『聖女を守ること』。ラフィが奴と戦うのは、僕の信念に反している」 「私が私の傍に暁さんがいないと駄目だと言ったらどうします? 初めて対等で接してくれた暁さんが傍にいないと駄目だと言ったら、私の意見を飲んでくれますか? それとも、それは『聖女』を守ることでは無く『ラフィエット』を守ることでしかないからと断りますか?」 「それは」  こうなる前に、離れるべきだったか。  居心地が良いからと、余所者だと言い続けながらも第二の故郷のように扱いつつあったのは、僕のミスだ。 「私がカンパーナと名乗る彼の『穢れ』を祓います。聖女は少ない力で多量の『穢れ』を祓えますから。暁さんが行うよりも、私が行う方が適任ですよ」 「奴が落とした街は一つや二つじゃない。何をしてくるか分からないんだ。どう仕掛けてくるか、何をするつもりなのか。予測がつかないのにラフィを戦わせるのは、気が進まない」 「仕掛けてくる、と言うのはあの可愛い子が先兵ということですか?」  言葉とは違って敵意なく、ラフィが空を指した。  目で追えば、若草色が大部分を占めた鳥が見える。頭頂部は山吹色で、黒い嘴は体の割には大きい。知り合いに似ているな、と思えば、向こうも見られているのが分かったのか近づいてきた。ハスタが道を開け、ラーミナが遅れて反応する。  間違いなく、奏雨(かなめ)の連れのウラガーノだ。 「この子は?」  机の端に止まったウラガーノに、ラフィがゆっくり手を伸ばす。  ウラガーノが綺麗な翼を広げて一度威嚇した。ラフィの手が止まる。それでも、彼女は楽しそうに笑ってウラガーノの頭を撫でた。ウラガーノもされるがままになる。 「ウラガーノ。ほら、たまに話している奏雨の連れの一人」 「ご友人の! えっと、初めまして。ラフィエットと申します。暁さんにはいつもお世話になっております」  撫でる手を止めて、ラファが丁寧にウラガーノに頭を下げた。 「別に今奏雨に伝わってるわけじゃないよ」 「でも、帰った後、聞き取ることはできるのですよね?」 「何となくだけどね」  ラフィに返してから、ウラガーノに手を伸ばす。  ウラガーノも奏雨からの伝言だと言わんばかりに嘴を僕の手のひらに当ててきた。内容は、先程の話題と同じくカンパーナが近くに居ると言うもの。奏雨はロコ・リュコスの足で一日二日の距離でずっと追っているという話。『穢れ』を受け入れた巨大な狼の足で一日二日の距離で追われても気づかなさそうだが、ずっと追われていれば流石にカンパーナも分かってはいるだろう。  ウラガーノからは、奏雨自身がカンパーナの話を僕に伝えることに乗り気ではないと言うこともひしひしと伝わってきている。 「何と言っていますか?」  ラフィに尋ねられ、左の口角が持ち上がっていたことに気が付いた。  口元を戻してから、手を放す。 「カンパーナが近くに居るって話と、奏雨が追っているって話。あとは、あまり僕に伝えたくなかったってことかな」 「何故でしょう? 奏雨さんは、暁さんの兄弟子なのですよね?」 「奏雨の信念は『強い存在と闘いたい』だから。複数体とエンゲージしているカンパーナは自分が戦いたいんじゃないかな」  まあ、強ければ『穢れ』じゃなくて何でも良かったのだろうけど。 「エンゲージ、とは何ですか?」  ラフィの声がやや重く湿った。  きっと嫉妬だな。可愛い奴め。 「使穢者の基本的なその場にいる『穢れ』から力を奪って突き返すっていう戦法は不確定要素が多いからね。だから、『穢れ』を取り込んでいつでも力を使えるようにする方法が欲しいと考えた人がいて。その極致が『エンゲージ』ってわけ。まあ、制御は難しいし、使穢者本人を呑み込もうとしてくるのもいるから抑え込まなきゃいけなくて難易度は高いけどね」 「二人は一生を共にするから『エンゲージ』なんて名前を付けたのですね」 「まあ、そうだね」  じ、とラフィが僕の左手を見てきた。何となく、薬指に一番強い視線を感じる。 「まあ、失くしにくいからってことで誰かが指輪を使ったのも始まりっちゃあ始まりか。使穢者になった時からずっと身に付けておけるし、一応、大きさも変えられるし」  右手親指の指輪を指して、言う。 「『穢れ』に奪われるくらいなら、私が無理矢理……」 「やめようね、ラフィ。聖女様がしちゃいけない顔になってるよ」 「も、もちろん冗談ですよ」  ラフィが慌てた様子で立ち上がり、ウラガーノの前に新しいカップを置いた。 「少し冷めてしまいましたけど」と言いつつ、ウラガーノのために新しいスープを注いでいる。ウラガーノは嬉しそうに鳴いて、カップに嘴を突っ込んだ。 「ラフィなら大丈夫だと思うけど、エンゲージをしているからと言って『穢れ』を持ち込むわけじゃないから。『穢れ』を内包しているからと言って使穢者が街に入ったから街が穢れるわけでもないし」 「それぐらい知っています。私を正しいことも知ろうとしない人と同じにしないでください」  ラフィが拗ねたように言った。 「ごめんね」 「怒ってはいませんけど……」  ラフィが小さくなりながら、ウラガーノの頭をなでた。ウラガーノが気持ちよさそうに目を細め、ラーミナが自分も自分もとラフィに近づいていく。 「でもラフィ。奏雨が近くに居るってことは、やっぱり僕が一度外に出た方が良いと思うんだ。連携も取りやすいし、聖女と戦線を張るとなると互いに全力では戦いにくいでしょ?」  ラーミナの求めにも応え始めたラフィが、眉を寄せた。 「暁さんって、頑固ですよね」 「使穢者は皆そうだよ」  信念も言い換えればエゴだ。  自己中心的に動いてこそ、それに罪悪感を抱かないからこそ『穢れ』を制御できる。  その道が間違っていると思えば、すぐに『穢れ』の核となり異形になり果てるのだから。  皆、頑固だ。 「わかりました」  ラフィがため息を吐きたげな表情で顔を上げる。 「お詫びとして、今日は一日私に付き合ってもらいます。この街の良いところをもっともっと、暁さんに知っていただきます。それで、良いですね」 「そのくらいでお姫様の機嫌が直るのなら、喜んで」  ラフィが頬を膨らませた。 「悪化しました」 「ごめんって」  一転して、顔に華を咲かせる。  無理矢理かもしれないけれど、全くそんなことは感じさせない太陽の笑みだ。 「冗談です。今日は立てこんだ予定もありませんので、このまま外に出てしまいましょう! お昼ご飯も外に出ませんか? きっと素敵な昼食になると思うのです! 昨日結婚式を執り行った池の近くに花畑を作りましたから。今頃、満開だと思います!」 「いいけれど、今から準備すると大変じゃない?」 「ノン。そんなことありません。むしろワクワクしちゃいます」  薄紫の髪の毛を左右に揺らして、ラフィが楽しそうに料理の名前を挙げ始める。  今日の昼ご飯を何にするか、挙げられている中から作られるのか、あるいはまったく別のものになるのか。  先を考えれば暗澹たる気持ちにもなるが、この時ばかりは楽しく思っても良いだろう。  そんな浮ついた気持ちを自覚しつつも、カップに口をつけて。残っていたスープを飲み干した。
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