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街へ
空色の動きやすいワンピースに着替えたラフィがウキウキと前を進む。
その後ろをランチボックスを持ったまま続いた。中は揺らさないように。
「あ、そうだ」
ラフィが立ち止まった。顎が少し上を向いている。
「ダイスケ君の家が近くだったので、念のため見て来てもいいですか?」
裾をふわりと回しながらラフィが僕の方を向いた。
「良いよ」
昨日の夜来た子だよな。
あの子なら、と言うかあの父親のこともあるから気になるのは仕方ない。
「ありがとうございます!」
抱き着くように近づいてきたラフィを、流石に街中ではと止めるが意味はなく。
ランチボックスを揺らさないためにもラフィの抱き着きを甘んじて受け止めた。華のような可憐な匂いが鼻腔をくすぐる。心地よい体温もやわらかな肢体もよくわかってしまう。
「あの、ラフィ?」
一応、小声で。
「良いではないかー。良いではないかー」
妙にはまってるよね。その言い方。
そう思いながらもたっぷり十秒。ラフィは堪能したかのように鼻歌を歌いながら離れた。
いや、すみません。堪能したのは僕の方です。本当にごめんなさい。
「では、行きましょうか」
軽やかにラフィが進んだ。
広いとは言えない道だが、綺麗に清掃されており埃一つない。並んでいる家もどれもこれも綺麗になっており、屋根以外は塗装していないとは言え綺麗な木目が両側にある様子は一種の芸術のようである。区画を形成するかのようにきっちりと家が並んでおり、地図も描きやすそうだ。
時折ある看板は番地が書かれており、分かっていれば迷うこともないだろう。
その道を少し北上すると、内容までは聞き取れなかったが悪意に満ちた声が聞こえた。
ラフィと目を合わせた後、急ぐ。角を曲がって広がった光景は、ダイスケとみられる小さな男の子を同年代くらいの子供が囲んでいる所だった。体の大きな子もいる。
「おやめなさい」
ラフィが叫ばず、されどしっかりと通る声を張った。
暴行が一度止まる。
「何があったのです? いえ、何があったにせよ、そのような多数で一人を叩くなどやってはいけません。そういった心の内から『穢れ』が現れるのですよ」
ラフィが諭す様に子供たちに言った。
その奥に、「死ね」だの「ルールを守れ」「非街民」「恥さらし」「汚物」「とっととくたばれ」と言った罵倒が軽石や泥で書かれている家がある。あれは、ダイスケの家なのだろうか。
「でも聖女様、こいつ、夜の森にいったんだよ。『穢れ』がでたらコイツからだよ!」
子供の一人がダイスケに指をさしながら言った。
「いいえ。森での『穢れ』は私が祓いました。持ち込まれてはいませんよ」
ラフィが言うも、子供たちは『おもちゃ』を放したくないかのように、次々と指をさして反論する。
「でも、コイツはやっちゃいけないことをしたんです。ルールを破ったんです」
「そうだそうだ」
「こいつが悪い!」
「『穢れ』が出たらこいつのせいだ!」
「死んでツグナエ!」
「おやめなさい!」
今度は大きい声で、ラフィが一喝した。
子供たちがすくみ上る。
「でも、お母さんもお父さんも、そう言ってた。決まり事を破ったんだからツグナウべきだって」
「お兄ちゃんも言いふらしてやるって! 知らせるべきだって」
「二度と街を歩けなくしてやったほうがいいって、いってたよ」
ラフィが悲しそうな顔を浮かべる。
「その心が既に『穢れている』とは思わないのですか? 誰から出てもおかしくはないのですよ」
落書きがされた家ではない家から、女性が一人出てきた。
「うちの子が悪いって言うんですか? 約束を破ったのはあの子。私達は約束を破ってないですよ」
ラフィが悲しそうな顔を浮かべて、女性に向く。
「約束を破らずとも、道徳破りを教えています。子供たちのためにも、止めてください」
ラフィが優しく言った。
「聖女様はどこの馬の骨ともわからない輩に誑かされてるからそう言うんじゃないですか?」
女性の目が僕を見た。完全に目が合う。流石に、喧嘩腰はラフィの迷惑になるか。
「そんなものまで用意して。目を覚ましてくださいよ」
女性の目はラフィが丹精込めて作ったランチボックスを捉えている。
「出ていけ!」
衝撃。痛み。
声と共に、頭に硬い物が当たったらしい。地面に落ちたものをみて、それが小石だったとわかった。
「そうだそうだ!」
声の方に目を向けると、バケツを持った男性が見えた。ランチボックスを慌ててラフィの方へ放る。直後に水。水の臭いが酷くないのがまだ救いか。下水をくらった時は流石に酷かったからなあ。
「何を、しているのですか?」
ラフィが物を投げてきた人を睨んだ。
空気が歪んでいると見まがうほどの迫力である。
「死ね!」
「みんな暗くなったら家にいるのに!」
子供たちも同調したのか、ダイスケに石を投げ始めた。
大人もやっているという大義名分を得たからか、激しく、強く。
「やめなさい」
ラフィが近づいた。
それでも石は投げられ続けており、ダイスケの頭から血が流れる。
ラフィが近づいても、彼らなりにラフィには当てないようにして投げ続けられている。それどころか、ラフィが『穢れ』ないようにとでもいうのか、ラフィの進行も邪魔する始末。
「ラフィエット様!」
僕の呼び声の直後、一瞬ラフィが悲し気な顔をして見てきたが反応は返さない。
代わりに、僕がダイスケの元に歩き出す。着くまでに妨害はなかった。石や物は相変わらず投げつけられているが。
「大丈夫かい?」
ダイスケを護るように子供たちに背を向けるが、囲まれているから全部は防げない。
ダイスケの小さな体に、いくつもの悪意が突き刺さる。悪意は血を噴き出させ、ダイスケを追い詰めていくようだ。
「俺は、みんなが度胸試しだと行ったから外に行かされただけなのに」
昨日、ダイスケが外に出た動機だと聞いている。
ただ、『よろしくない』。
「みんなやったことがあるって。そんなこともできないのかって。馬鹿にしてきたから見返してやろうとしただけなのに」
ラフィの声も周りの罵声も大きくなっているが、ダイスケの声がやけに鮮明に聞こえてくる。
「いつもいつも俺ばかり。……みんな、死んじゃえばいいのに」
ついに、ぼそりとダイスケが呟いた。
ずるりと、『ソレ』が現れる。
人々の間に、足元に、影と同化するように。罵詈雑言を言った大人、石を投げつけた子供。そして、明確な殺意をもったダイスケの足元から、次々と湧き出てくる。
瞬間的に静かになったが、一気に阿鼻叫喚が吹き出し空間を満たした。我先にと逃げ出すが『ソレ』が狙うのは悪しき心。ダイスケの明確な殺意、恨みが最後の引き金になったとはいえ、育て上げたのはここの人たち。
次々と黒が人にかかり、足を止めさせる。親が子を見捨て、兄が弟を蹴り、姉が妹に近づくなと石を投げる。
その感情を基に、さらに黒が大きく昏く育つ。
「ラフィエット様!」
ラフィに声を掛けながらダイスケを黒から引きはがすように持ち上げて、『ソレ』を踏む。蹴る。
形を得ていない『ソレ』に物理的な攻撃は無効であるが、少なくともダイスケを護ろうとする人はいるという意思で、『ソレ』の成長を防がねばならない。
ラフィは、逃げ惑う街の人をぼんやりと眺めていた。
「ラフィ!」
弾かれたように、ラフィの眼の曇りが晴れた。
「神威顕現!」
凛とした声と共にラフィが右手を空に向かって伸ばした。
清浄な気が通路を駆け、人間に襲い掛かっている黒を剥がす。
「穢れよ、鎮まりたまえ。私達の悪感情は一時の気の乱れに過ぎない。そなたらが望むものはこの地には存在しない」
更なる聖なる力が満ちて、広がる。抑えつけるように、消していくように。
「友を信じ、隣人を愛し、手を取り合って生きていける。悪感情は、あくまでも一時のモノに過ぎないのです」
祝詞を述べていくラフィに向かっていくように、バケツで水をかけてきた男性の家から黒く細い腕が伸びてきた。枯れ木のような腕には鋭い鉤爪がついている。
「聖なる守りよ」
空中で黒が何かにぶつかったように止まった。
漆黒の液体が零れ落ち、ラフィの展開した聖域に沿って垂れながら、徐々に消えていく。
「何だアレは」
人々の恐怖が増長した。
出てきた『ソレ』は黒く硬そうな六本脚であり、体の上部、胸のあたりは大きな骨のような物体が肋骨のような形で飛び出ている。
対して下腹部はがらんどうで、骨と皮だけにも見えるし、あるようにも見える。確かなのはそこから黒が零れ落ちていることだ。細く硬そうな尻尾も黒で塗りたくられている様であり、触れた部分から『ソレ』が広がるようなおぞましさがある。皮を剥いで内臓を取り出し、骨にこびりついた肉をそのままに乾燥させたような見た目であるため、余計に恐怖心を煽っているだろう。
『ソレ』の顔は面長で、口の中には細長く小さく鋭い歯のようなものがずらりと並んでいた。眼は頭蓋骨の眼孔のように大きく、されど人の動きに合わせて動いているようにも見える。横から見える背中は背骨のような形で張り出ており、毛のようなものが汚く生え散らかしている。骨と皮だけの黒い脚が六本。全てに鋭い鉤爪がついている。
黒い『六つ脚』が大きく口を開けた。
大気は震えない。音は出ていない。でも、心の内には腹の底から冷やして中から膝を折ってくるような、恐ろしい叫び声が聞こえている。
「いやあ」
「食べないでえ」
と街の人の叫び声が大きくなるたびに、六つ脚は愉しそうに体を揺らし、黒を垂らす。
『ガギギギィイギギ。グゲグゲ』と、汚く嗤っている。
「聖女、ラフィエットの名において。武力の行使を宣言します」
ラフィが両手を組んで祈りをささげた。
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