第3話・キャバ嬢口説き術

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第3話・キャバ嬢口説き術

        1 一条花梨が在籍する『ラブリーズ』は、歌舞伎町では中堅どころのキャバクラだった。 在籍数は三十三人で常時二十人ほどの女の子が出勤するが、常時客を呼べる戦力となるのは五人だけである。 ラブリーズは、男心を持てなせる店の看板を一人でも多く獲得するため色んな雑誌に広告を出してあった。 営業前に花梨は雑誌の撮影を店で済ませると、同伴の時間まで店内の隅で休むことにした。 しばらくして若い女の子が店に入ってくると、隣の席のソファに座った。若い男性スタッフの佐藤がA4サイズの白い紙を持って、彼女の目の前のテーブル上に置いた。どうやら面接のようだ。 花梨は腰のあたりまで壁で仕切られている隣の席を、ソファに深く凭(もた)れながら身を低くして覗き見た。頭の位置を低くすると、仕切りの台に置いてある間接照明が障害物となるために、向こうの席から花梨は見えにくくなる。 それをいいことに、花梨は面接の場面を見学することにした。 女の子は自分の経歴や履歴を、店側が用意した紙に書き込んでいる。 ブーツ、ミニのワンピース、長い髪を黒で統一しているけど、日焼けした顔は精悍で、濃い目のアイシャドウがよけいに力強さを感じさせる。目元をくっきりさせるためだろうが、少し無理がある。体格もいい。 村上店長がテーブルを挟んで、筆記が終わった女の子の前に座った。 三十代後半の痩せ形で色白、七三分けの髪型と銀縁の眼鏡をかけた店長は、神経質そうな教師といった印象だが、やはり女の子を扱う仕事をしているから冗談も上手いし無邪気な子供のような一面も持ち合わせている。 しかし上座の彼女を見る店長は、冷めたような表情に見えた。夜の仕事に向いているかどうか適性を推し量っているようだ。 その後で、店長は女の子が書いた紙を見た。 「美咲さん、百六十五センチ、百六センチの胸囲……Iカップ……」 戸惑いながら、彼は口ごもった。 美咲は可愛らしいけど逞しい。いかんせん華奢で妖艶な感じとは程遠かった。 「時給は、初めから五千円もらえるんでしょうか?」 静かな口調の美咲は心配そうだった。やや表情も暗い。 店長は質問には答えずに、興味本位な表情をした。 「ちなみにベンチプレスなんて、やったことあります?」 微かに店長の口元が緩んだが、美咲は真面目に答えた。 「一応、六十キロまで」 すると、店長の意思は決まったようだった。口をむすんで用紙を見ながら 大きく頷いた。 「わかりました。うちのスタッフに系列店を案内させますから」   系列とは、デブ専のキャバクラ『脂肪遊戯』だった。佐藤が店長から用紙 をあずかると、美咲を先導するように店の出口に向かった。 一人で座ったままの店長は溜息をもらすと、あらぬ方を見ながら煙草をく わえた。 思わず花梨は目を閉じて寝たふりをした。 店長に話しかけられることを避けたかったし、面接とは無関係を装うため でもあった。別に面接を覗き見たとしても問題はないが、これから仕事だし、あまり従業員とは関わり合いたくない気分だった。 静まり返った空気の中で、店長のボヤき声が聞こえてきた。 「最近、いい子が全然入ってこないな。開発(スカウト)も連れてこないし。雑誌に載せて広告費をかけるより、HP(ホームページ)を充実させたほうがいいかもしれない。今の時代、面接に来る女の子も客も、そのほうが手っ取り早いだろうし……何より実際の店を見たり女(キャスト)と話したりしないと分からないだろ? キャバ嬢は芸能人と違って、直に逢える先輩でありアイドルなんだから」   店長とキャストでは立場が違うけれど店を繁盛させたいという目的は同じだから、自分なりにお客さんを楽しませて、リピーターになってもらえるように頑張らないといけないと思いつつ……花梨は薄眼を開けて時計を見ると、同伴の時間が迫っていた。   ちょうどよかった。   立ちあがった花梨は、店長に一言告げて店を出た。 「同伴してきます」 「頑張ってね」 店長の送りだす言葉が後ろから聞こえた。先ほどまでの現実じみた管理職的な口調とは違い、明るい感じの音調(トーン)が、やる気にさせてくれた。         2 客と居酒屋で、食事という営業をしてきた花梨は八時半に同伴を終えた。 私服の花梨は、仕事をするための着替えと化粧とヘアメイクを済ませる前に、いったんホールの状況を確認した。 店は八時に開店しているにもかかわらずノーゲストで、本来は客席である待機席は十人あまりの新人やキャストで占拠されていた。   待機している女の子たちを見る黒服の小川は、失笑気味だった。ボーイの佐藤に、冗談とも本気とも取れる愚痴をこぼす。 「こいつらは、店にとっては焦げ付きの不良債権だぜ。客も呼べないし、ただいるだけで時給が発生するんだから……夜の蝶じゃない、蛾だな」   訊いている佐藤も、下を向いたまま頬を膨らませて笑いをこらえている。 花梨はNO.1だし、別格だと思っているから、聞こえても問題ないと思っているのだろうが、やはり同じ店のキャストとしてあまりいい気はしなかった。   スタッフは誰のおかげでオマンマにありつけると思っているの?  私たちが頑張ってお客様を接客したり、来店させているからでしょ。お客は金玉目当てに来ていないからね。 小川は、隅のほうにいる店長に歩み寄った。 花梨は携帯を見る振りをしながら、会話に耳をそばだてた。店をリードしていくNO.1の立場としては、男性スタッフの内輪話には少なからず興味があったのだ。 「キャバクラやクラブは女の付回しが重要ですけど、回転寿司と同じで、ど んなに回しても女(ネタ)が悪けりゃ、客は手を付けませんからね」   客の好みのタイプを見抜き、キャストを選んで相手をさせるのが、付回しである小川の仕事だった。 基本的に客は指名や場内指名以外ではキャストを選べないのだが、得てして人気キャストは指名が重なっているために、必然と一人の客に付く時間は短くなる。だから、女の子の付回しいかんによって客の満足度が大きく左右されてしまう。それは当然、店の売り上げにも影響してくる。通説では三〇%違ってくるらしい。   しかし、キャストと客の思惑には相違があった。 客にしてみれば指名している女以外にも、いろんな美女と話をしたいと思うのが普通である。だが、指名されているキャストにしてみれば、自分と同じタイプの女の子に思わせぶりな態度を取られたら指名替えにもなりかねない。 だから、自分が留守の間はできる限りブスな子に接客して欲しい。   そんな両者の思惑を上手く切り抜けるには、相応のセンスが必要になってくる。しかしあくまで男性スタッフは黒子であり、店の主役は蝶であるキャバ嬢なのだ。さしずめ客は、蝶に蜜を与える花である。 そんなキャバクラ嬢にとっては、株や信託、不動産よりブランド品のほうが確実な投資先といえた。で、その蜜を客から吸い取った。 毎日いろんな人と話ができて楽しいから、この仕事は花梨にとって天職かもしれない。 でも多くの人間は、ギャンブルやキャバクラ、ホストに依存しないと生きていけない淋しい生き物である。いったい何のために働いているんだろうと思いながら、花梨は仕事用のメークと着替えを済ませると、同伴した客とは違う、他の指名客についた。 「三田村さん、いらっしゃ~い。久しぶりぃ」 花梨が座るなり、三田村は彼女の細くて括れた腰に手を回すと、すぐに本来の目的である臀部に手を滑らせた。 太り気味の公務員である彼は、三十六歳の独身だった。色白で童顔の三田村は、厚い掌で尻を撫で回して揉みだした。三田村の笑いながらも痴漢まがいの行為に、花梨は違和感を覚えた。 内心、悪寒が溢れだしてきた花梨は微笑みながら訊いた。 「三田村さ~ん、私を口説きにきたの? 触りにきたの?」 「もちろん、口説きにきたんだよ」 「こんなとこで女の尻(ケツ)触るような男を好きになることなんか、ありえないからね」   いわれるまま彼は手を退けるなり、すかさず口撃してきた。鼻の下が伸びている。 「俺、花梨ちゃんのこと大好きだからさぁ、付き合おうよぉ」と、今度は肩 を抱いてきた。 「今日は、軽々しく口にしてはいけない口説き文句を教えてあげるね。それは「付き合おう」と「好きだよ」なんだよね。愛情は二人の間に自然と生まれ、醸し出されるものよ。だから、その雰囲気を作り出す努力をして欲しいな。 男女の間で一番大切なものは、情と信頼なんだから」 と花梨は上目使いで、期待させる笑顔を見せた。   言い包められたような三田村は、しかし納得した笑みを浮かべている。 客に嫌悪感を与えるような説教ではない。たとえ言いたいことを言っても、 受け入れられるだけの会話のセンスと素人っぽさが、キャバクラの接客では求められることを花梨は知っていた。若くて可愛いから何をいっても許されるというものでもなく、最後は「この女だから、仕方ないか」と諦めさせるだけの個性(キャラ)作りが勝負といえた。 自己主張だけでなく、ときには訊き上手にもなって、男の遊び心を持てなす懐の深さも必要である。男はいくつになっても、ヤンチャな子供のようなところがあるから、母性で包み込んであげれば自然と手中に収まってくれるのだ。   講義を終えた花梨は、他の生徒が待つテーブルへ移った。 次は後藤という、やや強面の元キックボクサーだった。 現在はジムのトレーナーをしながら運送会社に勤めていて、自分の選手が試合で勝つことが何よりの楽しみらしい。 しかし今は、思い詰めたような表情をしている。 「俺、いつも疑問に思うんだけどさ。こういうところで高い金払って女を口 説く醍醐味って、何? ただエッチ目的だけ? 俺は恋人を探しに来てるん だけど……それ以外の楽しみって何だろう」 「それはね、女のミステリアスな部分を探ったり、駆け引きをしたりして色んな感情を引き出させるの。そしたら、女は男に感情移入するから。そんな仲になれれば二人で楽しい時間を共有できるよ。そこから信頼関係ができれば、付き合うことだってあるかもね。ただヤルだけだったら、ソープ行ったほうがいいでしょ?」 「ミステリアスな部分って?」 後藤は、困惑したように眉間にしわを寄せている。 「だって、それを教えたら、ミステリアスじゃなくなっちゃうじゃん。神秘的とか不可解っていう意味なんだから」 「じゃぁ、どうすれば感情移入するわけ?」 「女は男より感受性が強いから、喜怒哀楽の……いろんな感情を引き出させるの。それができれば女の中で、その男の存在がだんだん大きくなっていくから。そうしたら、私に恋心が芽生えるかもしれないし夢中になるかもよ。そんな駆け引きがキャバクラやクラブ遊びの面白さだと思うんだけど。まっ、人それぞれだけどね」 「感情移入させる意味って何?」 「擬似恋愛って、心理ゲームで遊び心を育む修業の場だと思う。セックスは、あくまでその延長なんだよ。私を本気にさせた男だけのご褒美っていうか。 それにはまず、自分を知る必要があると思うよ」 「自分を知る、どうやって?」 「自分という男は、若いコにどういう風に見えているのか……私たちを鏡にすれば、知ることができると思うよ。私たちの接客で勘違いする人もいるけど、結局スレ違いで終わっちゃう。やっぱり、お客さん全員を満足させられるわけないから難しいよね」   花梨の正直な言葉を耳に当てられた後藤は、身に抓まされたような顔をしていた。微笑の中にも淋しさが感じられる。 キャバクラ嬢が客である自分に対して好意的に振舞うのも、あくまで仕事なんだという、後藤の思いだろうか。疑心暗鬼であろう彼は、さらなる質問をぶつけた。 「指名替えされたことってある?」 「いっぱいあるよ。それはお客さんの反抗っていうか、相手にされない腹いせっていうか、彼らの最後の権利だけど……小さい店の中だし、女の子同士はツーカーでつながりがあるからね。そんなことするぐらいなら、他の店に行ったほうがよっぽど利口だよ。指名替えって金と時間の無駄使いだし、遊び人としては未熟だよね。でも今まで指名してくれたわけだから、複雑だし悲しいけど。自分にも至らないところがあったと思って、冷めた目で見てるッス」 「でもタイプのお客さんが指名替えしなくても他の店に行ったりしたら、やっぱり嫌じゃないの?」 「だって、男ってそういう生き物だから。最後に、私のところへ戻って来てくれればいいと思って待ってるよ」 「花梨は、本気で恋をすることってある?」 「恋はするものでも落ちるものでもない、成就させて昇り詰めるものなの。 それでも私にとって、好きと嫌いは紙一重なんだ」 「どういうこと?」 「今まで付き合った男って、後になって考えたら最低な奴ばっかなんだよね。何であんな奴を好きになったんだろうって」   淡々と明け透けに打ち明ける花梨を、後藤は驚くような目で見たあとで、ため息を洩らしながら俯いた。 「結局、掴みどころのない女ってミステリアスっていうか、魅力的に見えるものなんだな……ますます分からなくなった。俺がここで呑む意味が」   納得がいかないようなまま会計を済ませた後藤は戸惑いを見せながら席を立つと、霧がかかった表情のまま店を後にした。 後藤は花梨の顔を振り返ることもなく、繁華街風景のパズルのピースとなって暗い一角を埋めようとしている。 「後藤さん、ありがとう御座いましたぁ」 励ますために笑顔で見送った花梨は、迷う彼のくすんだ背中に、さらに一声掛けた。 「でも、楽しけゃいいじゃん」   最後の一言で、後藤の肩の荷が下りたに違いなかった。足取りが軽くなったような背中には躍動感が漲って、彼は振り返ると笑顔で手を振った。 暗い色だった風景の一角のピースは、街灯がついたように明るくなった。 【つづく】
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