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第4話・キャバ嬢口説き術(その2)
次は常連客の斉藤で、ことのほか花梨に熱くなっていた。
レストランの調理場で三十歳の若さながら料理長(シェフ)として仕事中も、花梨のことが頭から離れないらしい。貯金を使い果たしてもなお、サラ金から借りてプレゼントを買い、通い詰める日々である実態を花梨はヘルプで付いた友達(キャスト)から訊いていた。
来店したばかりのときは落ち着かないほどに気分が昂っているが、花梨以外のキャストが接客すると無視を貫き通すように本を読みだす……やっと、指名の花梨が席に着いたら「待ってました」とばかりに、毎回考えてきたようなダジャレと格好をつけた言動で気を引こうとする。考えてきたようにというのは、棒読みの台詞から窺えた。それに、ときおり言葉を咬んだり、思い出そうとしたりする。
花梨にしてみればダジャレは単なるオヤジギャグで、面白いけれど連発されると辛い。しかし料理が上手で仕事ができるのは尊敬できるし、過去にモデルをしていただけあってルックスも素敵だけど、昔の女の悪口はもう訊き飽きた。モテるんだっていう、自慢の裏返しなんだろうけど。
あと、男性スタッフに対する態度が横柄なのはいただけない。お金を使い込んでるから、切羽詰まった思いや焦りがあるのだろうか? いや、生き方や性格が表れるに違いない。仕事に対する厳しさがあるのは分かるけど、それを他人に押し付けるのはどうかと思う。
そんなこんなで、花梨は斎藤の誘いには先延ばしの結論に終始する。一度だけアフターで焼肉に付き合ったけれど、店の女の子と一緒であることを条件にした。
結局、いいように花梨にあしらわれて帰路につく斎藤の背中には男の哀愁が漂っていたが、それでも三日と空けずに花梨に逢いにきた。
「彼がこのままエスカレートしたら、ストーカーになるのでは?」
花梨は警戒感を募らせたが、悪い人ではないし付かず離れずの位置をキープしよう、と心がけた。
3
「これにサインして……」
今日の斉藤は思い詰めたような表情でいきなり婚姻届を持ち出した。
彼にしてみれば、清水の舞台から飛び降りるような覚悟であったに違いない。紙を持つ指が、微妙に震えている。
「今まで花梨ちゃんに好かれようと、色々努力してきたつもりなんだ。
俺の気持ちを分かって欲しい」
花梨は、母親になったつもりで諭した。
「いい人になって私を癒してくれても、いい人=いいお客さんでしかないの。
それ以上の関係にはなれない。マニュアル本を見れば誰だって、私たちに嫌われないようにすることはできるよ。本来お客様である斉藤さんがホス
テスになって私を楽しませて喜ばせても、結局はそれまで……惚れさせられ
ないの。だから、変に気を遣わずに自分が楽しく呑めれば、それが一番じゃ
ない?」
「楽しく呑むコツって?」
斉藤が傷つくことは分かるし花梨も辛かったけれど、今日だけは鬼になる
必要がある。もうこれ以上、先送りはできなかった。
「無理して通わないことだよ。見返りを求めるのが人情だから。でも、私に
は情けはないよ、はっきりいって仕事だから。百回通っても駄目なものは駄
目だし……通い詰めるだけ散財して、仮にイケたとしても、そこに愛はない
んだよね。枕営業する子もいるから。でもそれって悲しくない?
だから逢いたいのをぐっとこらえて、その分仕事や趣味を頑張ればいいと思うよ。そんな姿が、女から見れば好かったりするんだから」
今にも泣き出しそうな彼の横で、花梨は毅然と煙草を吸った。
しかし、その心情は胸が張り裂けそうに痛かった。
「花梨さん、お願いします」
付回しに呼ばれて席を立つ花梨と入れ替わりに、ヘルプの麗愛(れあ)がついた。
花梨のような姉御肌の綺麗系とは違う、妹みたいな可愛いタイプの女の子だった。一五〇センチの小柄ながらEカップの谷間が見える。しかし、斉藤は今まで通り全く気にもかけていないようだ。自ら壁を作ったように、麗愛とは逆のほうを向いて脚を組むと自前のライターで火をつけて喫煙を始めた。
口から吐く煙を見上げる目は、怖いほどに冷めている。
彼にはヘルプは無用なようだが、キャバクラでは鬱陶しい客として歓迎されない。斉藤からしてみれば花梨一筋であることを強調したいし他の女には興味がないのであろうが、ヘルプにも気配りができないと店の雰囲気が悪くなる。
二十分後。
あれっ、どうしたんだろう。
他の席から帰ってきた花梨は、斉藤を見て意外に思った。何かが吹っ切れたような、さっぱりとした表情で安堵感と嬉しさを漂わせながら、麗愛と歓談している。
花梨は、静かに端の丸椅子に座った。しばらく斉藤が他のキャストと意気投合している姿を見ていたかったのだ。せっかく彼が楽しそうにしているのに、勿体無いと思った。
しばらくして、斉藤は花梨の存在に気づいた。
「あれ、花梨ちゃん。戻ってきてたんだ」
やがて三人は一つの輪になるとともに、斉藤は麗愛を場内指名して会計を済ませた。
花梨は、麗愛と一緒に彼を見送った。
「ありがとう御座いました」
そのまま、二人は店内に戻った。
「どうしたの、斎藤さん?」
疑問の花梨に、麗愛が答えた。
麗愛はヘルプとして席につくなり、斉藤の目が潤んでいることに気づいたらしい。ここで銀座あたりの高級クラブだったら、客の気持ちを慮って、琴線に触れない接客を心掛けるだろう。たとえば、ホステス自身の失敗談や笑い話である。
しかし、麗愛は直に訊いた。
「何で泣いてるんですか」
やはり斉藤は無視をした。
それでも彼女はしつこく尋ねると、斉藤は怒り出した。それまで麗愛に対して斜め四十五度ぐらい反対方向だったにもかかわらず、今度は正面から睨んだ。一重瞼の目尻が釣り上がっている。感情が昂ぶっているように、顔の皮膚を赤らめて怒鳴った。
「うるさい、男が必死で涙をこらえているのに。お前に何が分かる?
結局、お前たちは客(おとこ)を騙してナンボの商売だ。騙される俺たちの身になって考えたことがあるか」
「私でよければ、何でも罵ってください」
麗愛は、気持ちはすっかり萎えながらも相談に乗ろうとした。
「花梨に、金と愛を注ぎ込んでも見返りはない……と、頭で分かっていても
心の歯止めが利かない。貢ぐのが、思いを伝えるのが快感になってしまって
いる。にもかかわらず、花梨に断られたんだ。私は、あくまで仕事だから無
理しないでって」と、顔を歪めて唇を噛んだ。
麗愛は、斉藤の立場になって花梨の言葉を代弁した。
「花梨さんの正直な言葉は、きっと斉藤さんに対する思いやりなんです。これ以上、無駄使いしてほしくないから。花梨さんは、たまに私と話しながら泣いちゃうの。お客さんが私を想ってくれるのは嬉しいけど、それに全部応えられないし、そのことを思うと心が病んでしまうって」
と麗愛がいうと、斉藤はしばらく思い詰めた後で態度と表情を一変させた。大きく口からでた吐息は、清々しいともいえる風だった。
「考えてみたら、俺が勝手に熱くなってるだけだもんね。彼女は何も悪くない、他にもいっぱい客はいるし、それだけ魅力的だから当たり前のこと。でも俺は花梨ちゃんが大好きだしまた逢いに来るよ。これからは負担にならないくらいにね。なんたって花梨は、俺の人生のカンフル剤だから」
花梨は麗愛に、お礼をいった。
現実を受け止める余裕ができた斉藤は、ヘルプと談笑しながらキャバクラ遊びを楽しめるようになった。
これで、花梨も楽しく斎藤と呑めると思った。
次の生徒は、同伴客で大学の准教授である小林先生だった。
五十歳を過ぎる小林は白髪にオールバックの髪型が特徴で、広い肩幅と突き出た腹が、貫録を漂わせている。彼には輝かしい経歴や肩書き、守るべき幸せな家庭があった。
若い頃から勉学と仕事に勤しむ生活を送ってきた小林は、花梨と知り合うまでは遊びというものを知らなかったらしい。同僚たちと、歌舞伎町の割烹料理店で打ち上げした後の流れでキャバクラへ足を運んだ。
当時、小林は私生活で妻と不仲だったこともあって、半ば鬱憤晴らしと酒を呑んだ勢いで行ったのだが、自分の価値観とは違う若い女の子たちの生態は少なからず彼には刺激が強くカルチャーショックを受けた。なかでも花梨の無邪気な言動には、気がついたら悩みごとなど吹き飛んで、すっかり彼女のペースに引き込まれた。
それ以来小林は年甲斐にもなく、花梨と逢っているときが至福の極みであるという。
今現在、奥さんとの仲は元通りになったと彼はいうが……もしそうだとし
たら、家庭の団欒とは異なる刺激と幸を、キャバクラで受けているということになる。
今日も小林は理論派の彼らしく、いつも通り理詰めで口説いた。
「時に女は好きな男に対して悪魔になる。素直になれなくて……しかしそれ
とは裏腹に、何とも思っていない男を弄ぶこともある。思わせぶりな態度で
ね。無意識か、確信犯的にかはともかく。男からすればどちらも同じ悪魔な
んだが、君の場合はどっちだ? 私に対して時に優しく、時に冷淡に受け取
れるが」
「冷たくされて愛情の裏返しととるか、脈なしと悟るか……いずれにしも、
いかに女を客観的に見極められるか、だと思いますよ」
計算通りにいかない……と思ったであろう小林は、大学で教える数学とは
違う女心の難解さに困惑したように、深く腕組みをして黙り込んだ。
問題を提起した花梨は、以前付き合っていた年下のホスト・徹夜に直撃されたことがあった。
「お前は、俺を見るときは瞳孔が開いてるよ。欲情してるときは、肉体の火
照りも見て取れるし、一緒にいるときは顔の皮膚から幸せ感が漂ってる。
女の本気の感情が、それらを生み出すんだよな。女は皆女優とかいうけど、そ
れは演技でも芝居でもない。だから女は男に勝てねぇ。つまり、お前は俺に
は勝てないんだよ」
「何でよ?」
ムキになった花梨は、さらに手玉に取られた。
「女って、惚れた男に対しては分かりやすいんだよな。常に感情的だから。
男からしてみれば、笑わせたり怒らせたり泣かせたり……女を意のままに操
れるようになる。だから、お前は可愛いんだよ」
心の仮面を剥がされた花梨は思わず恥ずかしくなって、それでも口だけは否定した。
「徹夜って馬っ鹿じゃないの、まじムカツク」
花梨には憎らしい気持ちが湧き起こるが、同時に、それが好きな証拠だと思えてしまう過去の恋愛を小林との会話で思い出した。
小林は花梨に対して盲目だが、逆に徹夜は花梨の深層心理まで見透かして鷲掴みにできた。
つまり恋愛に関しては大学の准教授より、小僧ホストのほうが上なのだろうか。
花梨の客に、流離のギャンブラーがいた。
【つづく】
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