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駅からバスに乗って15分、バス停から歩いて5分、自宅のマンションにたどり着いた。
オートロックなんて洒落たものは付いていないエントランスを抜けて、エレベーターの前を通り過ぎ、階段を登り始める。健康の為、3階の自分の部屋までは階段を使うことにしていた。
自分の部屋の前にたどり着いた。妻が作った可愛い表札がかかっている。全部100円ショップで買った材料で作ったと、誇らしげに話していた品だ。
インターホンを押す前に、少し深呼吸をする。緊張している自分がいる。
意を決してインターホンを押すと、返事の前にガチャっと鍵を開ける音がした。そのままそっとドアを開けると、そこには妻が生まれたばかりの小さな命を抱いていた。初めて自宅で、自分の分身を抱く妻を見た。
忘れる訳が無い。今日は妻が無事出産を終えて、病院から初めて子供と自宅に帰ってくる日だ。
世界が変わって見える。守るものを抱いている妻は、いつもとは違う人に見えた。いつもの自分の家も、新しい住人が1人増えただけで違う世界だ。
でも、悪い気分では無かった。
むしろ知らない土地に旅行をして、初めてのホテルのロビーに入り、チェックインをする時の様な高揚感。これから、楽しい事が沢山待っていると期待している自分。
「お帰りなさい。ちょうど今寝た所。インターホンの音で目が覚めるかと思って、ドキッとしちゃった」
「明日から自分で鍵を開けるようにするよ」
「そうね、色々習慣を変えていかなきゃね」
「1人で大丈夫だった?」
「さっきまでお母さんがいてくれたから。先にお風呂に入ってきて。そしたら、抱っこさせてあげる」
悪戯っぽく、妻が笑った。
「はい、お風呂に入ってきます」
スーツの上着をハンガーにかけながら、子供をベビーベットに寝かせようとしている妻に話かけた。
「今日和弘にあったよ」
えっ、と妻が振り返った。
「どこで?」
「駅のホームで・・・。この人大丈夫かなって顔をしない」
「これから家族も増えたのに心配するわよ。で、どうだった、元気そうだった?」
「うん、相変わらずだったよ。しっかりしろって、励まされた」
「大丈夫、あなたはしっかりしているわよ。和弘くんも心配性ね」
妻は子供をベットに寝かせてから、台所に行き、夕飯を温め始めた。
僕は子供の顔を見てからお風呂に入ろうと、ベビーベットを覗き込んだ。
「パパですよ。これからよろしくな」
僕の挨拶に、寝ていると思った娘は、右の口角が上がるクセのある笑顔を浮かべた。
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