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「花っ。花! 」
メグの言葉で花は我に返る。
「あ……すみません。何か夢でも見てたようで……」
花は手のひらで額を押さえて、カウンター内に向かって歩き出す。
「何あれ。格好いいじゃん」
メグが悪戯に笑いながら花の肩を叩く。
「え……何かありましたっけ……あ、呼ばれてる。いかなきゃ」
メグの目を見る事もせずに、鳴り響くランチタイムの呼び出し音に花は機械のように正確に対応した。
「花ー。もうすぐだねぇ。王子さまとの初デート」
ランチタイムも過ぎて時刻は16時を過ぎていた。メグがメニューを拭きながら、浮かれた様子で話しかける。
「いやいや……デートって。お金返すだけです。それに私、彼氏いるじゃないですか」
花はテーブル用の紙ナプキンを補充しながら、メグを横目に溜息をつく。姉御肌のメグはいい先輩だが、男関係は少しルーズだ。
「えー。じゃあ断るのー? 」
「そりゃそうですよ。例え彼氏が居なくても、あそこまで空気読めない人無理ですって」
接客業は好きだけど、好奇な目で見られることは求めていない。花は浴びせられた視線を思い出し、胸の奥をむず痒くした。
「見た目が良ければ良いじゃーん。勿体無い」
メグはテーブルに落ちたお菓子を捨てた時みたいな言い方で笑う。格好いいと思ったことは認めるが、あんなにも常識がない人とどう付き合えば良いのか花には想像できなかった。
「そんな……物じゃないんだから……」
そう答えた時には、メグはキッチン担当の男の子に話しかけていた。ザ、他人事。花の心は一気に病んだ。
「花ちゃーん。もう上がっていいよーお疲れ様ー」
店長からのタイムリミットを知らせる言葉。団体客でも来ないかなと外を睨んだ。
「……はい。おつかれ……した」
思わず体育会系の挨拶になってしまう。
花の勤めるカフェは駅近の大きな道路に面していて、外観はティファニーブルーのような色合いが人気の一つ。店内も目を奪われるようなミントブルーと白を貴重とした色使い。前の小さい店舗からこの大きな店舗に移るとオーナーから告げられてから、店長たちと一緒にこの店を作り上げた自慢の店。華やかな雰囲気に働いているだけで心が弾んで、仕事終わりには充実感でいっぱいのはずなのに、今日はどんよりと重かった。
「花ー報告楽しみにしてるよっ」
メグがご機嫌に手を振る。他人事だ。
更衣室でシャツを脱いで、薄手の白いニットとデニムスカートに履き替える。縛った髪を解くとゴムの跡がくっきりと付いていて、指先でわさわさととかしていく。パンプスは淡い黄色の柔らかな素材に麻が合わさり、ヒール部分はコルクが使われていて歩きやすい。買ったばかりで、今日は気分よく出勤した。
「はあ……」
団体客が来たからと呼び戻されることも無く、退路を絶たれ裏口から店を出た。店から約束の本屋までは徒歩5分ほど。居るかも分からない。悪戯の可能性の方が高い。このまま、しらばっくれても構わなかったが、花の本来の律儀な性格と、もしもまた店に来られたら困ると思い、本屋まで行くことを決意した。
目的地の本屋は古くからある店で、大型の図書店の波に飲まれ客足は減ってはいたが、店内にソファーなどを設置して読書スペースなどを設けるなど、古き良き本屋として根強いファンがいる。
花もその1人で仕事終わりに本の匂いに囲まれ、昼間の慌ただしい時間から身体を解放する為によく利用していた。
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