遊園地とビール

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「ここにいるから好きなもの乗っていいよ」  お母さんはそう言って外のテーブルの白い椅子をウェットティッシュで拭いて座った。日焼け対策の大きい帽子。片手には大きいビールのカップ。この遊園地のいいところはビールが飲めるところだとお母さんは言う。他に褒めるところはないらしい。幼稚園の時には観覧車に何回も乗ったりして楽しかった記憶があるけれど、あれから人気がなくなったのか、お客さんはわたしとお母さん以外は遠くにちらほら見えるだけだ。寂しい遊園地。こんなんだったっけ。 「あなた今身長何センチ?」  小さなジェットコースターを見て思い出したのか聞いてくる。 「百四十二センチ」  五年生になってすぐに計った数字を言う。あれから少しは伸びてるかな。お母さんは頷いた。 「じゃあなんでも乗れるね」  別に乗りたいものとかないけど、そう言われるとちょっと嬉しくなった。 「お母さんは何センチ?」  お母さんはふっと笑った。 「百六十二センチ」  わたしと、ちょうど二十センチだ。二十センチは大きい。でも、うちのクラスの一番大きい女の子、多分そのぐらいだった。 「行っておいで」  うなずいた。ジェットコースター。特別好きじゃないけど、一人で乗れるなら、乗ってみよう。ぱたぱた走って、列に並んで順番を待つ。列と言っても、他には誰もいない。こんなので大丈夫なのかな。マスコットのクマの男の子が描かれた身長を計る板があった。百三十センチからなら一人で乗れる。お母さんのほうを見ると、ビールのカップを持って私の方に手を振った。私も手を振ろうとして、ちょっと恥ずかしくなって、結局やめた。 「楽しかった?」  おやつに頼んだポテトをつまみながらお母さんが聞く。ちょっと緊張してるみたいだった。そろそろ夕方だ。お母さんはあれからビールを二杯お替りして、私は一人で乗るようなアトラクションにはだいたい全部乗って、ジェットコースターにはもう一回乗った。口の中のポテトをもぐもぐ噛んで、答えを引き延ばす。  楽しくはなかった。  でも、それを言うのは難しかった。平日に、わざわざ仕事を休んでまで連れてきてくれたお母さんのことを思うと。 「お母さんは?」  だからそう聞いてみた。 「楽しかった。昼間からビール飲めたし」 「じゃあ、よかった」  うなずいて、私は青いソーダを飲んだ。青色のソーダなんてあんまり見ないからなんとなく飲みたくなったけど、甘いだけの普通のソーダだ。お母さんのビールはもうカップに少ししか残っていないから、もう一回ぐらいお替りするのかもしれない。聞いてみようと顔を見ると、お母さんは、なんだか困った顔をしていた。 「どうしたの?」 「どうって言うか、うーん。あなたは少し、いい子すぎるね」  びっくりした。全然いい子じゃないから。全然いい子じゃない。そう思うと、お腹の奥のほうがぎゅっとした。 「あのね」  お母さんは一回手を拭いて、膝に揃えて置いた。背筋を伸ばして、わたしをまっすぐ見る。わたしはごまかすみたいにうつむいて、ポテトをくわえた。  明日からはちゃんと学校に行きなさいね。  多分、そう言われる。そう言われたら、はい、って言おう。学校が、そんなに嫌ってわけじゃない。いじめられてるわけじゃないし。ちょっと、好きじゃない先生になって、友達がクラスにいなくて、ちょっと居心地が悪くって、なんだか行きたくないだけ。 「あのね、学校、行きたくなかったら、行かなくてもいいよ」  くわえたポテトが落ちそうになって、あわてて口に押し込んだ。お母さんの顔を見ると、ほっとしたみたいに笑っていた。それで、わたしはなんだか泣きそうになった。 「行くよ」  強がりじゃなくて、そう言った。お母さんがそう言ってくれるなら、行けると思った。 「そう?」 「うん」  お母さんは困った顔で、無理しなくていいからね、と言って、ビールを飲みほした。わたしもソーダを飲んで、ポテトをぱくぱく食べる。最後の一本を、お母さんにどうぞ、ってされて、口に入れた。お母さんは、最後のひとつはいつもわたしにくれる。前に来た時もそうだった。思い出した。 「あのね」 「なあに?」 「最後に一緒に観覧車乗って」  お母さんはふっと笑った。 「いいよ」  観覧車が好きだね、と言いながら、わたしにウェットティッシュを渡してくれる。わたしが手を拭いている間に、テーブルの上のごみを片付けて、荷物を持った。 「行こうか」  わたしはウェットティッシュをゴミ箱に捨てると、お母さんの手を握った。久しぶりのお母さんの手は、前と変わらずあったかかった。 「あのね」 「なあに?」 「わたしは観覧車じゃなくて、お母さんが好きなんだよ」  ちょっとどきどきしながらそう言うと、お母さんは笑って、そのまま少し泣いたから、びっくりした。
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