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「人前でデートだなんて言わなくてもいいのに」
高畑から十分に離れ、声が聞かれる心配がなくなったところで、ミナは有理に思いっきり毒づいた。
「だって、気を遣わせたら悪いし」
抗議の声を有理はヘラヘラと受け流す。そんな悪魔の態度に、ミナは顔をしかめた。
「プライベートって言った方が気を遣わせたんじゃない。あーもういいです。さ、帰ろう」
「え、帰るの?」
「仕事は終わりでしょ?」
「観覧車は乗らなくていいの?」
驚いたように有理が言う。その驚きに、ミナはむしろ驚いた。しかしミナは有理の驚きに気づかないふりをする。
「別に乗りたいなんて一言も言ってないんだけど」
「でもミナ、乗ったことはないでしょう?」
「それはないけど。でも、空からの景色なんて、天にいた時に嫌というほど見ていたし。なんだか今日はもう疲れたし、それに」
それに。カップルだらけの観覧車の列の中に、二人で並ぶなんて、本当にデートしているみたいではないか。
「ねえ、有理、帰ろうよ」
ミナは帰ることを主張した。有理は何故か少し寂しそうな顔をした。
「確かに、結構並んでいる人もいるし、帰ろうか」
永遠に結ばれるという観覧車。二人の背にライトアップされたゴンドラが夕闇を背に浮かんでいた。
帰り道。辺りはすっかり暗くなっている。照明に浮かび上がる港湾のプラント群を横目に見つつ、駅へと歩く。
祭りには行ったことはなかったが、きっと祭りのあとのような気分とはこのような気分なのだろうなとミナは思った。高揚した後の満足感の混ざった疲れを感じつつ、歩みを進める。ミナの隣では、有理が押し黙っていた。何を考えているのか、悪魔の表情からは何も読み取れない。少し俯き加減で真面目な表情をしている横顔を、ミナは綺麗だと思った。悪魔にこのような形容をすることが許されるのかは分からないが、無垢な美しさを感じさせる。
ふいに、二人の間を風が吹き抜ける。冬の匂いがした。ミナはふと、水族館で繋いだ指先の暖かさを思い出した。人間染みた暖かさ。
もう一度、は、ないだろう。ミナは思う。水族館の魔法は解けてしまった。もう手は繋げない。二人は天使と悪魔で、二人が歩くこの道は現実だった。
だけど。
電車に乗り込んだ。空いている電車に来た時と同じように並んで座る。
有理が相変わらず自分の世界に引きこもっているので、ミナは自然と今日の出来事を思い起こしていた。
押し付けられるようにして貰った服を着て、慣れない化粧をした。有理と待ち合わせをして電車に乗った。友人同士のように昼ごはんを食べて、水族館に行った。そこで、一人の女の恋が終わる瞬間を見た。
箇条書きにしても盛りだくさんの一日だった。
その盛りだくさんを有理と過ごした。振り回された。それでも振り回されたことは、決して不快なだけではなかった。観覧車だって、乗っても良かったかもしれない。
悪魔が何を思って今日という日を、天使と過ごすことに決めたのかは分からないが、それでも総括すれば楽しいといえる日を送ることができたことを、感謝してもいいだろう。
電車が最寄駅に滑り込む。
「着いたね」
「うん、着いた」
ホームに吹く風はまだ冷たい。
「あー、また明日から仕事か」
有理が愚痴った。
「珍しいこと言うね」
「悪魔だって、偶には愚痴るよ。悪魔は天使と違って勤勉ではありませんので」
「そう? 有理は働き者だと思うけど」
ミナは有理の横顔を見た。視線を感じた有理が振り返る。瞳が混じり合う。
「でも、いいじゃない」
不思議な色の瞳を見つめて、ミナは言葉に力を込めた。
「だって、二人で一緒に働けるんだから」
「え?」
有理の瞳が大きくなる。その反応に、ミナは大いなる満足感を覚えた。どうやら自分は、だいぶ悪魔から影響を受けているようだと自覚しながら、次の言葉を放った。
「有理、動揺した?」
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