ある夜の人生相談室

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 ミナは慣れた足取りで、飲食店が並ぶ繁華街から少し奥まったところにある古いマンションの階段を昇る。  四階建てのマンションの四階のフロアにある部屋のドアをノックもせずに開ける。鍵がかかっていないことは分かっていた。そのドアの前には表札の代わりに、「悪魔の人生相談室」と書かれたプレートが掛かっている。  ドアの向こうにはごく一般的な玄関があり、腰ほどの高さの作りつけの靴箱がある。靴箱の上には、ファミリーレストランに置いてあるような銀色のベルと「御用の方はこちらを押してお知らせください」との表示。もちろんミナはベルを無視して、廊下を進む。  短い廊下の突き当たりには、リビングダイニングへと続くドアがある。ドアを開けると、会社の事務所にあるような応接セットが目に入る。ごく普通のマンションにその応接セットはいささか不釣り合いだ。ローテーブルを挟んで向かい合う二人がけの黒いソファーが二つ。ミナが部屋に入ったとき、ソファーは無人で、部屋の主は、十畳ほどの部屋の隅にうずくまるように座っていた。 「有理、何してるの?」  問うと部屋の主はゆっくりと顔をあげ、ミナに微笑みかけた。いつも通りの完璧な笑顔だった。 「ああ、いらっしゃい。寒いからストーブ出したの」  言葉通り、部屋の主、有理の前には円柱型のストーブが置いてあった。微かに石油の燃える臭いがする。 「石油ストーブなんて持ってたんだ」 「実は持ってたんだな。ミナ、初めてだっけ? 先に言っておくと、部屋、冬は物凄く寒いから」  そろそろ秋の終わりだった。有理はいかにも寒そうに、仕事着である灰色のスーツの上から、黒のコートを羽織っている。 「それにしてもミナ、その格好寒くないの?」 「たしかに寒いけど。慣れてるし」 「そんなもん? 信じられない」  ミナはといえば、赴任時に支給された天使の制服である灰色のロングワンピース一枚である。夏も同じ格好を通していた。それで何ら不自由はない。 「他の服、あんまり持っていないし」  ミナは肩を竦めて見せる。服装のことは事あるごとに有理に指摘されていた。有理は衣装持ちだった。しかしミナは、今まで服を自分で選んで買った経験がない。節制を美徳とする天使でも珍しいとはいえる。しかしミナとしてみれば、今更、どんな格好をしたら良いのか分からないのだ。 「デートするとき、どうするの?」 「デートなんてしないから」 「天使なのに?」 「天使だから」 「ふーん。まあ、いいや。それより、寒いでしょ? ミナもストーブあたりなよ」  ミナは少し迷った末、有理の隣に並んでしゃがみこんだ。有理を真似て、手のひらをストーブにかざす。たしかにストーブの前は暖かく、居心地が良かった。 「今度、ストーブでおでん作ろう」 「ストーブで?」 「この形のストーブの良いところは、天板の上で煮物が出来るとこだから」 「有理、おでん作れるの?」 「榊さんに下拵えをお願いする」 「部屋、おでん臭くなりそう」 「出汁の香り、私、好きだよ。いいじゃない、人間どもにもおでんの匂い嗅がせておけば」  有理がミナに笑いかけた。丁寧に塗られた口紅の色が目に入り、どきりとする。ミナが見たことのない色だった。少し青みがある赤色。きめ細かい白い肌によく合っている。
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