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また同じ悪夢だった。
小学校の教室。数人の男子が一人の女子を取り囲んでいる。手拍子と同時にステップを踏んで、女子の周りをぐるりとまわる様子は、どこかの部族みたいに原始的で錯誤がはなはだしい。
男子が愉快に踊りながら声をあげる。中心の相手を泣かせるために、傷つけるために。女子の足元には筆箱が落ちていた。新品で、アルミ製のスポーツメーカーのロゴが貼られたカッコいいやつ。それがひっくり返っている。
傍観者と、加害者と、被害者がいる空間で。繰り返される時間を終わらせたのは他でもないその女子だった。歯を食いしばって、彼女は足を上げる。そして、筆箱の蝶番を目指して、一気に。
踏みつける前に、私は目を覚ました。
これで何度目だろう。しわしわのまぶたをこすって、肺から熱い空気を吐き出す。背中の汗がひどい。手でパジャマをつまんであおぐと、私はベッドから立ち上がって部屋を出た。
ここ数日、私の夜は五度寝ぐらいしないと朝にならない。どんな夢を見るかは七対三の割合で、大半はさっきの悪夢がリピートされて残りは真っ暗を眺めるだけのつまらないラインナップだ。睡眠欲があるくせにおちおち眠らせてくれないのかこの体は。私は肩をいからせて、ただし母親の部屋の前は足音に気をつけて、ひざ下までのガウンコートを羽織ると玄関に向かった。近くの河川敷を眺める、軽い散歩のつもり。
あいにく外は星のない曇天だった。
生類寝静まる丑三つ時。こんな夜更けに出かけるとは、なんという異端児だろう。そう思うとなんだか胸が踊る。夜は、何者だろうと受け入れてくれる優しさがある。光は私の輪郭を描いて形を作ってしまうけど、暗闇に溶ければ形を持たない本当の私が現れる。
要するに、誰もいない道を歩くのはとても気持ちいいってことだ。
住宅街の坂道をのぼると県内有数の一級河川が見えてくる。向こう岸まで150mはある大きな川だ。視界のすみをこまごまと横切るのは、車のライト。ここから数百m歩くと歩行者兼自動車用の橋がある。そこまで行けば街灯が立っているけど、私がいるところは明かりのない完全な闇だった。
ぼんやり、どす黒い川の流れを眺めていると私の意識までもが遠くへ押し流されていく気がしてくる。夢の内容とか、リアルがどうとか。消化しきれない感情がせり上がってきては飲み込むのを繰り返す、私の醜さ。全部、この川に捨てられたらいいのに。
乾いた風に吹かれて、みじめな気持ちに駆られてポケットに手を入れた。すると、小さな箱に指があたる。なんだろうと顔の前まで持ってくると、タバコだった。母親が出し忘れていたんだろう。どっかに落としてしまったと早合点して、コンビニへ行く姿を想像して少し笑う。
タバコって、どんな感じがするのかな。
ポケットには使い捨てライターも入っていた。誰が見てる訳じゃないし、今なら。そう思って箱から一本抜こうとしていると、すぐ横で咳払いが聞こえた。
「夜遊びは感心しないな、お嬢さん」
年寄りぶった割に幼い声がして、私はそちらに顔を向けた。
「私より年下な子どもに、言われたくない」
「僕は子どもじゃない、シロだ」
そう応えた相手は、小学生くらいの身長をした男の子だった。シロって名前? というけど服装は真っ黒だ。
「あっそう。子どもがなにか用?」
「用というほどじゃないけど、君に呼ばれた気がしてね」
「呼んだ覚えはないね」
「いいやあるはずだ。だって君は、悪夢に苦しめられていた。だから僕らにお願いしたんでしょ? 食べてくださいって」
悪夢だって? 私は驚いた。どうして私の事情を知っているんだ。それに今日、厳密には昨日の昼休み、アヤメちゃんに教えられた私はたしかに悪夢を見ないようにお願いをしていた。中国から伝わる妖怪、名前は。
「もしかして、獏?」
「そのとおりだよお嬢さん。僕は人間じゃない」
シロは歯を見せて笑った。
「へぇ、本当にいたんだ。実際に食べてくれるの?」
「食べるというか、収集して僕らの世界に届けているんだけどね。とくに最近、このあたりで悪夢を見る人が増えてるらしくて。君もその一人ってわけ」
「そう」
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