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 焼けつくような熱風に吹き上げられた砂が、辺りを真っ黒に覆い尽くす。  これでは巨大な竈で蒸し焼きにされるようなものだ。  砂の中に閉じ込められた二人は、不安で顔を強張らせる。 「だから、わしは海路の方がいいと言ったんじゃ!」  ごうごうと唸る強風の音に、紛れるように響く少女の不満げな声。 「うるさい。その辺りの窪みに入って砂嵐が収まるのを待つぞ」  男の声が、少女の愚痴を無視して遠ざかっていく。  慌てて少女がその後を追う。 ――モラヴィア大陸を南北に分かつ赤竜砂漠。  大陸の南に行くには、この赤竜砂漠を越える陸路と、船で沿岸沿いを進む海路のいずれかを選ばなけらばならない。  新たな『偽りの魔女』を探しに向かう二人は、長い相談の末に陸路を選んだ。  砂漠近くの村を発って三日目。  砂漠越えまで道半ばと言ったところだ。  しばらくして砂嵐が去ると、うず高く積もった砂の中から一人の男が飛び出す。  男は砂漠用のフード付耐熱マントについた砂を丹念に払い落とす。そして被っていたフードをゆっくりと降ろした。  彼の長い黒髪には白いものが混じり、三十五歳という年齢よりも老けて見える。  肌は浅黒く、高い鷲鼻。無精髭を生やした顎はがっしりとして引き締まった顔立ち。  顔の左側には酷い火傷の跡があり、白く濁った左目は眼帯で覆われている。  二ギット(メートル)をゆうに超える巨体には、動きやすいレザーメイルを装備し、右腕の肘から先には、ぴったりとした革の長手袋を嵌めている。  腰のベルトには、片側を尖らせた武骨なスレッジハンマー(戦槌)を吊り下げている。スレッジハンマーの片面には、聖天の女神ミュレイアを象った聖印が施されている。  聖天の女神ミュレイアを信奉する、聖天教会の審問騎士だった頃から愛用していた武器だ。  ダグボルト・ストーンハート。  それがこの一つ目巨人(キュクロプス)めいた騎士の名前。 「大丈夫か?」  ダグボルトは家族を案ずるかのような口調で、砂に埋もれた愛馬を掘りだす。  通常の馬よりも一回り大きめな、フォーラッド地方産の黒毛の軍馬だ。  普段はこの馬に騎乗して移動しているが、今は負担を減らすため、乗らずに手綱を引いて連れ歩いている。荷物もほとんど積んでいない。  ダグボルトに続くように、砂の中からフード付の耐熱ローブを纏った少女が飛び出す。  少女はフードを降ろすと、口の中に入った砂をペッペッと吐き出している。  年は十四、五くらい。肩のあたりまで伸びた黒髪は、くしゃくしゃとしたくせっ毛。  瞳は黒く、気だるげな眼差し。退廃的な美貌の持ち主だ。  肌は不健康な白さで、小柄で痩せぎすの身体。膝上までの革のロングブーツを履いている。 「のう、わしの心配は?」  口の中を貴重な水筒の水で濯ぎながら言った。 「お前は砂嵐くらいじゃ死なないだろう。何といっても魔女様なんだからな」 「そういう問題じゃないじゃろうが。か弱い乙女より馬の身を案じるとか、人として間違っとると思わんのか?」  ダグボルトは黙って肩をすくめる。  少女の静かな怒りに反応するように、長手袋の下で義手の代わりとなっている黒蟻の一群がざわめく。  『金蛇の君(アンフィスバエナ)』との戦いで右腕を失っていたため、この黒蟻を少女から借りていた。  魔力で生み出した黒蟻を使役する。  それがこの少女――聖天の女神ミュレイアに力を与えられし悪の導き手にして、『真なる魔女』である『黒獅子姫』の能力なのである。  とはいえ、今の『黒獅子姫』は本来の力を発揮できないでいる。  いつもは黒蟻で騎乗用の獅子や自分の衣服を創りだしているが、今はダグボルトの義手を維持するだけで手一杯である。  太陽の光には魔女の魔力を弱める効果がある。  従って強い直射日光の当たる砂漠は、魔女の天敵とも言えるのだ。 「大体、『泳げないから船に乗るのは嫌だ』とか、おぬしが言い出さんかったらのう。今頃は船の甲板で柔らかな潮風に吹かれながら、キンキンに冷えたレモンティーを――」  『黒獅子姫』の発言の途中で、今度は砂の中から一頭のフタコブラクダが飛び出す。  砂漠に挑むための食料や水などの荷物を運ばせるために、ダグボルトが砂漠近くの村で買い付けたものである。彼が普段装備している鋼のプレートメイル一式や枯葉色のマント、ヒーターシールド(逆三角形の中型盾)などもその中に入っている。  ラクダは『黒獅子姫』の顔に大量の唾を吐き掛けた。 悪臭をこらえながらローブの裾で唾液を拭う。 「……もうよいわ」  物言う気力すら失った『黒獅子姫』は、ラクダを連れてすたすたと歩き出す。  ダグボルトも愛馬を連れて黙って後に続いた。 「見ろ。あれは街じゃないか……?」  七日目。  ダグボルトは虚ろな声を上げた。 「また蜃気楼じゃろ?」 「いや、地図をよく見ろ。あれはタイフォンの街だ。……だよな?」 「わしに聞くな。おぬしがそう言うんなら、きっとそうなんじゃろ」  『黒獅子姫』は冷やかに答える。  砂漠の暑さにやられた二人の間には険悪な雰囲気が漂っていた。  今のような僅かな会話ですら、倦怠期の夫婦のように刺々しい言葉の応酬となってしまう。 「今度こそ間違いない。あそこで冷たい水を嫌と言うほど飲んでやるぞ。胃が破裂するくらいにな」  ダグボルトは地平線の彼方に見える街らしきシルエットに手を伸ばす。  かさかさに乾いてひび割れ、血の滲む唇から熱い吐息が漏れる。水は節約して使っていたが、すでに飲みきってしまっていた。 「待つのじゃ、ダグ。こっちに何か来とるぞ」  不意に『黒獅子姫』が警告を飛ばす。  微かな地響き。  二人の側面から、ラクダに乗った一団が砂を撒き散らしてこちらに近づいている。  十人程の集団で全員戦士風の出で立ちだが、それぞれバラバラな武装をしている。一団はあっという間に二人を包囲する。 (こいつら顔つきは凶悪だが、ごろつきにしては統制が取れている。たぶん傭兵だろうな)  ダグボルトはぼんやりと推測する。 「お前らは何者だ」  一団のリーダーと思しき男が不躾な口調で言った。  日に焼けた筋肉質の大男で、年は五十台くらい。長くぼさぼさの白髪白髭、瞳は濃いブルー。  使い込まれたレザーメイルの上に、砂漠には似合わぬ白狼の毛皮のマントを纏っている。  腰にはバトルアクス。左手には木製のターゲットシールド(中型の丸盾)。こちらもかなり年季が入っているように見える。 「見ての通りの者だ」  ダグボルトは怠そうに答える。  疲労困憊しているように見えるが、右手は反射的な動作で腰のスレッジハンマーに伸ばしている。 「……だったら質問を変えよう。お前らはどっち側の人間だ? 織り手か? 鍛え手か?」  ダグボルトと『黒獅子姫』は無言で顔を見合わせた。今度は『黒獅子姫』が男に答える 「質問の意味が全然分からんのじゃ」 「もういい!! こんな奴らさっさとやっちまおうぜ、ザイアス!」  赤錆色の髪の小男が腰に佩いたシミター(円月刀)を抜く。  釣られて他の数名も武器を抜いた。 「黙れ、シャッコ。俺がいつ貴様に団長の座を譲った? 俺に首を刈られる前にさっさと武器をしまえ」  ザイアスは鋭い目でシャッコを睨み付ける。  挑発するようにザイアスが身体を揺すると、背中からジャラジャラと鈴のような音が鳴る。  シャッコと取り巻きは、青ざめた顔をして、おとなしく武器をしまった。 「わしらは北から来た、ただの放浪者じゃ。今しがた砂漠を越えてきたばかりじゃから、この辺の事情は全く分かんのじゃ。おぬしが興味を抱くような情報なんぞ何も持っとらんぞ」  『黒獅子姫』の説明を受けて、ザイアスは髭を扱きながら軽く頷いた。 「フン。確かに砂に埋もれて今にも死にそうな有様だな。よし。お前さんの言う事を信用して、これ以上尋問するのは止めておこう。……おい、そいつらを通してやれ!」  ザイアスの言葉に従って、他の戦士達は素直に道を開ける。 「この地の情勢には興味あるが、こやつらとこれ以上関わり合うのは面倒じゃ。さっさとここを離れるのじゃ」  『黒獅子姫』がダグボルトの耳元で囁きかける。  ダグボルトも黙って頷く。  しかし彼には、どうしてもひとつだけ確かめておきたい事があった。 「ところで一つ聞きたいんだが、あれはタイフォンの街か?」  ダグボルトは地平線の彼方に見えるシルエットを指差す。 「ああ、そうだ。何なら送ってやろうか?」 「いや、いい。その言葉を聞けただけで十分だ。じゃあな」  それだけ言うと、ダグボルトは『黒獅子姫』を連れてその場を後にした。    ********** 「おい、エリッサ!」  二人の後ろ姿を無言で見送っていたザイアスが唐突に叫ぶ。  一人の女戦士が彼の隣にやって来た。  短く刈り込まれた黒髪、瞳も黒。精悍な顔つきで年は二十台半ばくらい。  砂漠の出身である事を窺わせる赤銅色の肌に、ぴったりとしたレザーメイルを身に着けている。  その上に砂漠用のフード付耐熱マントを羽織り、奇妙な形の大型クロスボウ(石弓)を背負っている。 「何?」 「あいつらどう思う?」 「そうだねえ。さっきのやり取りや装備を見るに、砂漠を越えてきた旅人って言うのは間違いないと思うよ。ここに来た事情までは分からないけどさ」 「違う。そういう意味じゃねえ。俺が言ってるのは強さの話だ」  ザイアスの問いかけに、エリッサは考え込むように目を細める。 「大男の方は、あんたと殴り合いの喧嘩をしても、いい勝負が出来るくらい強いだろうね。それにあんたと話している間、ずっと腰の武器に手を掛けて殺気を漲らせてたよ。あれは大勢殺してきた人間の目だね」 「つまり、かなりの腕利きって事だな。俺も同じ感想だ。で、女の方は?」 「フードを目深に被ってたせいで顔は分からなかったけど、えらく痩せててひ弱で、ちょっと触れただけで骨がポキポキ折れそうな感じだったね。でも……」  そこでエリッサは一瞬言葉を詰まらせる。 「でも正直言うと、あの女には何か得体のしれない気配を感じたよ。心底ぞっとするような恐ろしい気配をね。もしかすると、あの女の方が大男より強いのかもしれない。不用意に戦いを挑まなくて正解だったよ」 「ほう。そいつは女の勘か?」  エリッサは黙って頷く。  するとザイアスはけたたましく笑い出した。 「ガハハハハハハハ!! だとさ、シャッコ。あいつらと戦ってたら、お前さん死んでたかもなァ!!」  他の者もザイアスと共に笑い出した。  シャッコだけは苦々しげな顔をして下を向く。  笑い過ぎて溢れ出た涙を太い指で拭うと、ザイアスはエリッサにだけ聞こえるように囁く。 「久々に面白い奴らが現れやがったな。あいつらはどんな手を使ってでも俺が手に入れてやるぞ」    **********  『黒獅子姫』はベッドに寝そべると、身動き一つとらず胎児のように丸くなっている。  タイフォンの街にたどり着いた二人は、街外れの宿『法螺吹き親父亭』の一室を借りた。  旅の初めの頃は別々の部屋に泊まっていたが、グリフォンズロックで相部屋になって以降は、自然と一緒の部屋に泊まる事が多くなっていた。  ダグボルトは全ての窓のカーテンを閉め切り、日の光が部屋の中に入らないようにする。真っ暗になった部屋でランプの火だけが唯一の明かりだ。 「ここなら太陽の光が入らないからゆっくり休め。いずれ魔力も元に戻るだろう」 「ありがとうじゃ、ダグ。じゃがわしの調子が悪いのは、日光だけが原因じゃないみたいなのじゃ」  『黒獅子姫』はゆっくりと上半身を起こした。  左手を開くと、掌に黒蟻がわらわらと生み出されていく。  だが次の瞬間、その黒蟻がまるで泡のように次々と破裂して消滅していく。あっという間に全てが消えてしまった。 「魔力がうまく制御できん。たぶん『偽りの魔女』達から返ってきた大量の魔力に、まだ身体が馴染んでないんじゃろうな。空腹のお腹に、一度にたくさんの食事を詰め込んでしもうたような感じ、と言えば分かるかのう?」 「ああ、何となくな。順調に魔女を倒していったのが、かえって仇になったか。ペースが速すぎたんだな」 「そうじゃな。半年で三人じゃからな。ちょっと順調すぎて怖いくらいじゃ」 「四人だ。グリフォンズロックで俺が倒した蠍使いの魔女(『緋蠍妃(パビルサーグ)』)を含めるとな」 「待っのじゃ。そんな話は初耳じゃぞ」  『黒獅子姫』は『石動の皇(コロッサス)』との戦いのさなか、謎の魔力が身体に注ぎ込まれたのを思い出した。  あの時、知らず知らずのうちに命を救われていたのだ。  大事な話を今までしていなかったダグボルトに呆れつつも、心の中では密かに感謝する。 「どうやらわしらの間には、深刻なコミュニケーションの途絶があるようじゃな。じゃがこれで十三人中、四人の魔女から魔力を回収出来た。残りは九人。今のペースなら割と早く片がつきそうじゃ」 「待て。十三人ってのは何だ?」 「わしが力を貸し与えて生み出した『偽りの魔女』の数じゃ。前に言わんかったかのう?」 「いや、全く聞いてない」 「じゃあこれでお互い様って事じゃな」  『黒獅子姫』はからかうように微笑む。  ダグボルトも釣られて僅かな微笑みを返す。 「ところで少し買い物に行ってくるが、何か買ってきて欲しいものはないか? 疲れがとれるような甘いものとか……」 「わしは甘いものが嫌いなんじゃ。知っとるじゃろう?」 「ああ、そうだった。蟻使いのくせにな。だったら代わりに冷たい物なんかを調達してくるから、そこでおとなしく寝てろ」  『黒獅子姫』は力無く頷くと、またベッドで丸くなった。  暫くすると、僅かに開いた口から小さな寝息が漏れる。  外はもう薄暗い。ダグボルトは部屋の鍵を閉めると、建物の明かりを頼りに商業区へと出かけて行った。  翌朝、目を覚ました『黒獅子姫』は、昨晩ダグボルトが彼女のために買ってきた物を見て、目を丸くする。 「これは何じゃ?」 「見ての通り髪染めだ。それよりお前、もう立ち上がって大丈夫なのか? 昨日部屋に戻ってきた時には、ぐっすり寝てたから起こさなかったんだが」 「うむ。一晩休んだら身体の方は元気になった。魔力の方は相変わらずじゃがな。じゃからその右腕の蟻は大事にするのじゃ。しばらくは代わりを生み出せないからのう」 「ああ、分かってる」  ダグボルトは昨晩の買い物で一袋の角砂糖を調達していた。  左手で器用に袋の紐を外す。暑さでべとついた角砂糖のひとつを自分の口の中に放り込み、もう一つをテーブルの上の皿に乗せる。  すると右腕の義手が形を失い、黒蟻の一群となって皿の角砂糖に群がる。  『黒獅子姫』の黒蟻は糖分を魔力に変換出来る。  『黒獅子姫』本体が魔力を回復できないので、こうやって定期的に甘いものを与え、魔力を補給させて黒蟻の実体を維持させる事にしたのだ。 「それよりこの髪染めじゃ。これをどうしろというんじゃ?」 「話せば長くなる。昨日、買い物ついでに店の主人にここいらの状況を聞いたが、どうやら面倒な事になってるらしい。何でも二人の魔女が、この辺りの支配権を巡って争ってるらしいぞ」 「その二人とは、たぶん『碧糸の織り手(アルキニー)』と『紫炎の鍛え手(ファヴニル)』じゃろ?」  ダグボルトは一瞬沈黙する。 「……どうして分かった?」 「昨日会ったザイアスとかいう男が、織り手と鍛え手の話をした時から、何となくそんな予感はしてたのじゃ。あの場では何も言わなかったがの。あやつらは魔女になる前は双子の姉妹だったんじゃが、その頃から死ぬ程仲が悪かったのじゃ。お互いを魔女として告発するぐらいにのう。わしに魔力を与えられた時点で、人間だった頃の記憶は消えとるはずなんじゃが、深層心理に敵対心が焼きついとるようで、いつも喧嘩しておったわ」 「だったら話は早い。その二人をうまい事同士討ちさせれば、労せずして魔力が回収できるんじゃないか?」  『黒獅子姫』はすぐに首を横に振った。 「それは難しいじゃろうな。あやつらは自分の代わりに傭兵や『異端』を戦わせとるじゃろうから、なかなか決着はつかんじゃろ。あやつらが自分の手で直接戦わない限り、延々と不毛な戦争が続くだけじゃよ」 「そうか。確かにそうだな。二人纏めて倒せれば楽だったんだがな……」  ダグボルトは残念そうにぐったりと椅子に身を沈めた。 「ところで、そろそろこの髪染めの説明をしてもらえんかのう?」  『黒獅子姫』は金色の染髪剤が入った小瓶を手で弄びながら言った。 「そんなにそれが気に入らないのか?」 「気に入らんとかそういう話じゃなくて、なぜわしにこれを買ってきたのか知りたいのじゃ。今のわしの髪の色が嫌なのか?」 「そういうくだらん理由じゃない。今回もグリフォンズロックの時と同じで二人の魔女が相手だ。しかも傭兵や『異端』が周りを固めてる以上、一筋縄じゃいかないだろう。前みたいに情報を集め、魔女に近づく方法を慎重に探る必要があるわけだ。ところでお前、グリフォンズロックで情報収集の時に重大なミスを犯さなかったか?」  今度は『黒獅子姫』が沈黙する。 「……そうじゃったか?」 「おい。目を逸らすな。確かお前、素顔のまま堂々と街をうろついて、敵に顔がばれる失態を犯したよな。今回はそうならないよう、ちゃんと変装させておこうって思ったわけだ。それとついでに伊達眼鏡も用意してやったから、これもかけてみろ」  仕方なく『黒獅子姫』は、染髪剤と眼鏡を手にして寝室に姿を消す。  ダグボルトは買い物袋から取り出したサンドイッチを摘まみながらのんびり待つ。 「どうじゃ……?」  『黒獅子姫』が寝室の戸口からそっと顔を出す。  くしゃくしゃの地味な黒髪が明るい金色に染め上げられ、小さな顔には少し大きい銀縁眼鏡をかけている。  よく見ると、いつもは病的に白い『黒獅子姫』の肌が、僅かに赤く染まっている。珍しく照れているらしい。 「まあ悪くは無い。まずまずの変装だな」 「じゃが金髪なんて、全然わしらしくない。こんなの全然似合わないのじゃ」 「だからいいんだろ。これなら知り合いの魔女が近くで見ない限り、お前だとは気づかないはずだ」  『黒獅子姫』は不満たらたらのようだが、満足したダグボルトは椅子から立ち上がった。 「今度はどこに行くんじゃ?」 「外でもう少し情報を集めてくる。お前も元気になったみたいだから、部屋の外に出てもいいが、無理はするなよ。まだ魔力が回復してないんだからな」  タイフォンの街は、砂漠ほど乾燥してはいないが、それでも地面のあちこちが罅割れている。  街は石造りで一階建てのシンプルな構造の建物が多い。よく見ると無人の建物もいくつかある。  無人の建物の窓から中を覗いてみると、比較的最近まで生活していた跡がある。  この街はまだ戦場にはなっていないようだが、家を捨てて街から逃げ出した住人も多いようだ。  ほこりっぽい大通りでは、傭兵と思しき柄の悪い戦士達が道の真ん中を闊歩している。街の住人は、彼らに目をつけられないよう端を歩いている。  ダグボルトも、極力目立たないようマントのフードを目深に被り、市民に紛れて歩道の端を歩く。  通りに並ぶ街路樹には、顔に袋を被せられた死体が幾つも吊るされ腐臭を放っている。しかしこの街では当たり前の光景のようで、誰も気に留めないようだ。  街のいたるところに『碧糸の織り手』と『紫炎の鍛え手』の両陣営が、傭兵を募集するポスターが貼られている。 「ヘヘヘ。この辺じゃ見慣れない顔ですね」  ダグボルトが何気なくポスターを見ていると、近くの道端に座っていた乞食の男が、垢塗れの顔に卑屈な笑みを浮かべて話しかけてきた。  ボロボロの服の下の細い身体は、真っ直ぐ歩くのも難しそうなくらいひどく捻じれている。 「ああ。放浪の旅の途中でここに立ち寄っただけだからな」 「そうですか。ヘヘヘ。ところで、さっきからポスターをチラチラ眺めてやしたけど、どっちかの軍に入る気ですかい?」 「別にどちらにも興味はない。ただ、二つの陣営の募集ポスターが一緒に貼られているのが面白いと思ってな」 「ヘヘッ。この街は戦闘区域の外にあるおかげで、どっちの軍にも占領されずに中立が守られてますからね。それで今は両軍の傭兵の保養地みたいになってるんですよ。まあ傭兵どもの横暴さに耐え兼ねて出て行った奴らも多いですがね」 「お前は出て行かないのか?」 「あっしには行くあてなんてねえですからねえ。それより旦那がどっちかの軍に入る時は、あっしにも声を掛けて下せえよ。優秀な戦士を斡旋すると紹介料を貰えるんですよ。ヘヘヘヘヘ」  乞食のニタニタ笑いにうんざりしたダグボルトは、無言で視線を外し再びポスターを眺める。  すると石壁にべたべたと貼られた無数のポスターの中に、一枚奇妙なものが紛れているのを見つけた。  ポスターには大きく劫罰修道会(ピルグリム・ファウスツ)と書かれている。  その下に描かれているのは聖天の女神ミュレイアの肖像画。  聖天教会の聖印にも似ているが、こちらのミュレイアは人間の頭蓋骨を胸に抱いている。  生の象徴である慈母神と、死の象徴である髑髏を併せてモチーフとした絵には、見る者に不気味な違和感を与える。  さらに肖像画の下には赤文字で『魔女を滅ぼせ』と書かれている。 「これはどこの陣営のものだ?」  ダグボルトが指差したポスターを見て、乞食の顔がさっと青ざめる。 「こ、こいつらはどこの軍でもありませんよ」  乞食はすぐにポスターを石壁から引っぺがし、びりびりと引き千切る。 「ポスターをそんな風に扱っていいのか?」 「いいんですよ。こいつらはレジスタンス気取りの忌々しいテロリストですからね。こんな物をどっちかの軍の人間に見られたら大変な事になりますよ。スパイ狩りと称して、住民を片っ端から捕まえて拷問するに決まってますからね。傭兵どもは何か口実があれば面白半分に住民をいたぶるんですぜ」  乞食はすっかり怯えた顔をして、辺りをきょろきょろと窺っている。  それを見てダグボルトは暗澹たる気持ちになる。 (……戦場になってもいないのに、住民が逃げ出す理由が分かった気がする。この街は完全に傭兵どもの遊び場になってるんだな。考えようによっては、魔女よりも同じ人間の方が残虐なのかも知れん) 「しっかし『魔女を滅ぼせ』なんて笑っちまいますよね。聖天教会が聖女様を処刑しちまったせいで、もう誰も魔女を殺せないのにねえ」  乞食は侮蔑するような口調で言った。  そして急に鋭い目でダグボルトを見据える。 「そうでしょう、教会の旦那?」  ハッとするダグボルト。  どうやら腰に吊るしたスレッジハンマーの聖印に気づいたらしい。  ダグボルトは不快な顔をして乞食を睨み付ける。 「魔女が世界中で暴れまわってるのは、全部俺のせいだとでも言いたいのか?」 「いえいえ、別に旦那を責めてるわけじゃねえですよ。ただね……」  そこで乞食は急に声を潜める。 「……実は劫罰修道会を率いているのは聖女様だって噂がありましてね。もしかしたら教会に処刑されたのは別人で、実は聖女様は生きているなんて事は……」 「それは絶対にありえない」  ダグボルトは断言する。  彼の脳裏に、磔にされ炎に包まれるセオドラの顔が映る。  巻き毛の金髪、整った卵形の顔立ち。  業火にその身を焼かれてもなお、ターコイズブルーの瞳は静かに穏やかに輝いていた……。 「俺は聖女セオドラが処刑されるのをこの目で見ている。それに世界各地を放浪して、聖女を自称する輩を大勢見てきたがすべて偽物だった。聖女が生きているなんて夢物語だ。そんな妄想は捨てろ」  身も蓋もないダグボルトの言葉に、乞食は落ち込んだ風もなくただ黙って肩をすくめる。  そんな事は分かっているとでも言いたげだ。  それでも何かしらの希望に縋らなければ、やっていられないのだろう。  ダグボルトは無意識のうちに、先程の言葉にこう付け加えていた。 「……だがそれでも希望だけは捨てるな。聖女がこの世にいないとしても、救いは必ずやって来る。あるいはそう遠くない日かも知れんぞ」 「と言うと?」  乞食に尋ねられてダグボルトは言葉に詰まる。  まさか自分が『真なる魔女』と共に、『偽りの魔女』達から魔力を取り戻す旅を続けているなどとは言えない。どこに二人の魔女のスパイがいるとも限らないのだ。 (チッ。今の発言は不用意だったな。あいつの諦めに満ちた顔を見てたら、つい余計な事を言っちまった……)  ダグボルトは咄嗟に財布から古王銀貨を一枚取り出し、乞食の干からびた手に握らせる。 「つまりこういう事だ」  すると曇っていた乞食の顔がぱっと輝く。 「うへへへヘヘヘ。こんな近くに希望があったなんて、ちっとも気づきませんでしたぜ。さすがは旦那。いやあ、ありがてえ、ありがてえ」  乞食はようやくダグボルトから離れていった。  ほっとしたダグボルトはどっと疲れに襲われる。 (正直、情報収集を続ける気分じゃないな。ひとまず宿に戻ろう……)    **********  ずっと部屋の中にいては気が滅入る。  気分転換のため『黒獅子姫』は市街をぶらついてみた。  だが陰鬱な街の雰囲気に、かえって暗い気分になる。  すぐに『法螺吹き親父亭』に戻ってきてしまった『黒獅子姫』は、一階にある酒場に入った。  昼間だというのにテーブル席は酔客で全て埋まっている。奥の衝立の向こう側にもテーブル席がありそうだが、そこまで見に行くのも面倒だ。  仕方なく、空いていたカウンター席に座る。 「紅茶はあるかのう?」  陰気な顔をしたバーテンは無言で首を横に振る。 「じゃったら、アルコールの入っとらん冷たい飲み物で、お勧めのを一杯くれんか」  カウンターに古王銅貨を一枚置く。  バーテンは何も答えずに金を受け取ると、手際よくレモンを絞り一杯のレモネードを作った。  最後に一つまみの岩塩を加える。  差し出されたレモネードを口に含むと、強い酸味と少し苦みのあるしょっぱさが舌にピリッと刺激を与える。続いて少量の蜂蜜のさっぱりとした甘身が口の中に広がる。  甘いものは苦手なのだが、思わず一気に飲み干してしまった。 「うむ、これは悪くないのう。同じのをもう一杯くれんか?」  バーテンは古王銅貨をもう一枚受け取ると、やはり無言のままレモネードを作る。  『黒獅子姫』が二杯目を口につけたところで、バーの入口に新たな客が現れた。  長い赤毛の髪の若い女で、赤銅色の肌を見るに、この街の住人のようだ。  砂漠用の黒い衣服を身に着けているが、肌はあまり露出していない。大きな空の水差しを、両手で抱えている。  席が全て埋まっているのを見ると、『黒獅子姫』と同じようにカウンター席に向かう。  しかしその途中、柄の悪い四人の傭兵の男が座るテーブル席の椅子に躓いて転んでしまう。  床に落とした陶器の水差しが大きな音を立てて割れる。 「危ねえッ!! 何しやがるんだ、このアマ!!」  陶器の破片を避けるように傭兵の一人が立ち上がる。 「す、すみません!! いますぐ片付けますので……」  女はしゃがみこんで、ひとつひとつ破片を拾いだす。  すると服の胸元が弛み、豊かなふたつの膨らみが傭兵の目に飛び込んでくる。素朴だが整った顔立ちの美人だ。  傭兵はにんまりと邪な笑いを浮かべる。 「そんなのは後でいい。それより少し俺と楽しもうぜ。金ならたんまりあるんだ」  傭兵は女の腕をぐいと掴んだ。  女は驚いて腕を外そうとするが、掴んでいる傭兵はさらに力をさらに強める。 「い、いけません!! 夫と子供がいるんです。お願いです。許して下さい!」 「だったらなおさら金がいるだろう。俺と遊ぶだけでたっぷり稼げるんだぜ」  他の傭兵達も一斉に立ち上がった。皆、凶暴な顔ににたにたと下劣な笑いを張りつけている。 「おいおい、ペイジー。ひとりで楽しもうとするなよ。俺らも一緒に遊ばせろや」 「分かってるって、ブロアード。俺が楽しんだ後はちゃんとお前らに貸してやるよ」  傭兵達は下劣な声で笑い出す。他のテーブル席の人間は皆、目を背け関わり合いにならないようにしている。バーテンも無言のままグラスを磨いている。 「ちょっと待つのじゃ」  『黒獅子姫』はカウンター席から立ち上がると、すたすたと四人の傭兵に歩み寄る。気だるげな瞳に冷たい光が宿っている。 「下種」  ペイジーの顔をじっと観察した『黒獅子姫』は、吐き捨てるように言った。 「はああッ!?」 「悪には悪の規律があるのじゃ。悪の導き手であるわしとしては、おぬしらみたいな唾棄すべき下種な輩が、悪の品位を穢すのを黙って見逃してはおけんわい」  傭兵達は顔を見合わせぽかんとする。  次の瞬間、ペイジーが『黒獅子姫』の頬を激しく引っぱたく。華奢な身体が弾き飛ばされ、隣のテーブルに叩きつけられる。 「ケッ、気違い女め! 訳の分かんねえ事言いやがってよォ。空気も読まずに正義の味方を気取るとこういう目に合うんだぜ。他の奴らもよォく覚えておけよ」  ペイジーはドスを効かせた声で言った。周りのテーブル席の人間は、青い顔をして下を向いている。四人は嫌がる赤毛の女を連れて酒場を出ようとした。 「おぬし、わしの話を全く聞いとらんかったようじゃな」  いつの間にか、酒場の入口に『黒獅子姫』が立ち塞がっている。  先程、力強くはたかれた頬には傷ひとつ無い。 「わしは正義の味方じゃないぞ。悪の味方じゃぞ」 「うるせえええッ!!」  ペイジーの怒りが爆発した。  拳を固め、『黒獅子姫』に殴り掛かる。  骨が砕ける音が静かな酒場に響き渡った。    ********** (二人の魔女の勢力争いに加え、聖女を騙る女が率いるレジスタンスまでいるとはな。想像以上にこの辺りの情勢は複雑だな。まずはミルダ(『黒獅子姫』の人間名)と相談して、次の一手を慎重に――)  突然、大きな音がしてダグボルトの思考は中断する。  『法螺吹き親父亭』の一階の酒場から、一人の傭兵が吹き飛ばされてきた。  見ると顎が砕かれているようだ。酒場の中から激しい怒号が聞こえてきた。 (やれやれ、傭兵同士の喧嘩か? 巻き込まれると面倒だな。ここは避けて宿に入ろう)  そう考えてダグボルトは裏口の方に回り込もうとする。  すると別の傭兵がふらふらと通りに出てきてばったりと倒れた。今度の男は両手で股間を押さえ口から泡を吹いている。 「まだやる気か? おぬしら、本当に救いようがないのう」  嫌というほど聞き慣れた少女の声が酒場の外に響く。  急にダグボルトの目の前が真っ暗になる。 (救いようがないのはお前だろうが……。あいつは大人しくしてると死ぬ病気にでも罹ってんのか?)  嫌々ながらダグボルトは酒場に向かう。入口の両扉の隙間から中を覗くと、金髪の『黒獅子姫』が二人の傭兵を相手にしているところだった。 (ひとつ確かなのは、変装させておいて正解だったって事だな……)  ダグボルトは酒場の入口の両扉を力いっぱい蹴り開けた。  目の前にいた傭兵が、扉で背中を強打して近くのテーブルまで吹き飛ばされる。男が叩きつけられた木製のテーブルが真っ二つに割れる。 「言っとくが、わしの方から問題を起こしたわけじゃないぞ」  ダグボルトに気づくと『黒獅子姫』は先に言った。 「こやつらに絡まれとった娘を助けただけじゃ。これは正当防衛なのじゃ」 「分かったからもう黙ってろ。今更ごちゃごちゃ言っても仕方ない。さっさとこいつらを片付けてここを出て行くぞ」  テーブルに叩きつけられた傭兵がふらふらと立ち上がろうとしたところで、今度はダグボルトの手刀が首筋に叩き込まれる。男の身体は力を失いぐったりとする。  最後に残された傭兵のブロアードは腰に佩いたシミターを抜いた。  戦場で幾多の人間の血を吸ったであろう白刃が、窓からの陽光でぎらぎらと輝く。 「てめえら二人ともブッ殺してやるッ!! 俺らは『碧糸の織り手』様に仕える白豹傭兵団の団員なんだぞ。こんな事して、ただで済むと思うなよ!!」  ダグボルトと『黒獅子姫』は無言で視線を交わす。  もはや喧嘩騒ぎでは済まないようだ。ダグボルトは腰のベルトに吊るしたスレッジハンマーにそっと手を掛ける。 「止めなッ!!」  酒場の奥の衝立の向こう側から、しゃがれた声が飛んだ。  衝立が蹴り倒され、三人の傭兵が現れる。そのうちの一人は砂漠で会ったザイアスだ。  ザイアスは殺伐としたこの場には似つかわしくない笑みを浮かべ、両手を開いて敵意のない事を示し、ゆっくりとブロアードに近づく。 「喧嘩だけなら好きにすりゃあいいが、さすがにこんな所で殺し合うのは大人げないぜ、ブロアード。この辺で止めときな」 「うるせえぞ、ザイアス!! この喧嘩はてめえにゃ関係ねえ!! 黙って引っ込んでろ!!」 「いいや、大いに関係あるね。こいつらは俺んとこの大事な兵隊だからな」  そう言ってザイアスは親しげにダグボルトの胸を軽く叩く。  『黒獅子姫』とダグボルトは訳が分からず困惑する。 「こいつらがただの一般市民なら、お前らの好きにすりゃいいだろう。だが俺と同じく『紫炎の鍛え手』に雇われた傭兵となれば話は別だ。形式の上とは言えこの街は中立地帯だ。ここで両軍の兵士が殺し合うのは得策とは言えないぜ。そうだろ?」  ザイアスは大きな身体を揺すって笑う。  背中からジャラジャラと鈴のような音が鳴った。  ブロアードは悔しそうな顔をしつつも、渋々シミターを鞘に納める。 「戦場で会ったら、こうはいかねえからな」  捨て台詞を吐いてブロアードは立ち去った。  ザイアスと一緒にいた二人の傭兵が、ダグボルトの手刀で気絶した傭兵を酒場の外に放り投げた。 「そういう訳だから、成り行きとは言え、あんたらは今日から北狼傭兵団の仲間だ。俺は団長のザイアス・デイ・バーンズ。よろしくな」  ザイアスは笑顔で『黒獅子姫』の手を取り、強引に握手を交わす。次にダグボルトの手を取ろうとしたがさっとかわされる。 「俺達に選択の余地はないのか?」 「おいおい。あんたらは『碧糸の織り手』んとこの兵士に目をつけられちまったんだぜ。身の安全を考えるなら、ここで俺達の仲間になるのが得策だと思うがなあ」  ダグボルトは黙りこむ。  ザイアスの言葉に納得したからではなく、頭の中で考えを纏めるためだ (厄介な連中に目をつけられたのは事実だし、こうなったら傭兵になって、敵の懐に飛び込んでみるのも一つの手か。出来ればミルダの魔力が回復するまでは、派手な行動は控えたかったんだが仕方ないな)  結論に達したダグボルトが承諾すると、ザイアスは嬉しそうに両手を揉み合わせた。 「飲み込みが速くて助かるぜ。これから俺達の拠点(アジト)に案内するからついて来な」  そう言うとザイアスはすたすたと酒場の入口に向かう。  彼が背中を向けると、ジャラジャラと鈴のような音を鳴らしていた物の正体が判明する。  それは十二個の頭蓋骨だった。大きさは様々だがいずれも人間のものだ。  白狼の毛皮のマントには何本もの革紐がつけられ、穴を空けた頭蓋骨を吊るしている。鈴のような音は頭蓋骨がぶつかり合う音だったのだ。 「それとエリッサ! いつまでぼーっと突っ立ってる気だ。用は済んだからさっさと帰るぞ!」  急に振り向いたザイアスは、傭兵のペイジー達に絡まれていた赤毛の女を怒鳴りつける。  女が赤毛の鬘を外すと、その下から短く刈り込まれた黒髪が現れる。 「あたしは副団長のエリッサ・モーズリー。あんたが困った人を放っておけない性格で良かったよ。おかげでこうして仲良くなれたんだからね」  鬘を外したエリッサは、『黒獅子姫』にいたずらっぽくウインクをする。  そしてザイアスと一緒に外に出て行った。 「……うーむ、まんまと嵌められてしもうたようじゃ。わしらを仲間に加えるために、わざと騒ぎを起こして『碧糸の織り手』側の連中と敵対するように仕向けるとはのう」  『黒獅子姫』は悔しげに唇を噛んだ。 「向こうの方が一枚上手だったって事だ。だが前向きに考えるなら、これは魔女の情報を集めるいいチャンスだ。今はそう思って我慢するんだな」  ダグボルトは、金色に染められた『黒獅子姫』の髪をくしゃくしゃにかき混ぜる。  普段はこうしたスキンシップを恥ずかしがる『黒獅子姫』だが、さすがにこの時ばかりは何も言えなかった。
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