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ザイアス一行の案内で、二人はタイフォンの街から馬で二日程の、寂しい荒野にある禿鷹砦にやって来た。
こじんまりとした砦で、古びた石造りの城壁には蔦が絡み付いている。砦の東側には樫の木で造られた大きな門がある。
上空には砦の名前通り、無数の禿鷹が飛び回っている。
砦には三つの旗がはためいている。
一つ目は赤く濡れた牙を見せて笑う狼の旗。
二つ目は長い槍で串刺しにされた全身鎧の騎士の旗。
そして三つ目の一際大きな旗こそが『紫炎の鍛え手』のものに違いない。
それは炎に包まれた大きな握り拳だった。
ザイアスが監視塔の見張りに手を振ると、ぶ厚い門が音を立ててゆっくりと開いた。
城壁の中には石造りの建物が四つある。建物に挟まれた中庭では、六人ほどの傭兵達が木製の人形を相手に訓練を行っている。
ダグボルトは先頭を歩くザイアスに尋ねる。
「ここには傭兵が何人ぐらいいるんだ?」
「今は五十人ぐらいだ。俺の北狼傭兵団のメンバーがお前達を含めて十四人。残りはここで一緒に生活している百舌鳥(もず)傭兵団の連中だ」
「あんたの傭兵団はずいぶんと人が少ないな」
「俺と弟のグレイが北狼傭兵団を率いていた頃は、団員が二百人ぐらいいたんだぜ。『黒の災禍』の遥か前の話だがな。けど魔女の軍勢との戦いで仲間をみんな失っちまった。今の団員は『黒の災禍』の後に集めた連中だ。その俺が、今は魔女に雇われてるんだから皮肉な話だよな」
ザイアスは遠くを見るような目つきで淡々と語る。
「しかも弟とは『黒の災禍』の少し前に喧嘩別れしてそれっきりだ。まあ、あいつの事だからどこかで生きてるとは思うけどよ」
ザイアスは宿舎となっている建物の前で一行を解散させた。団員達はわいわいと雑談をかわしながら建物に入っていく。
「ダグとミルダは俺について来い。百舌鳥傭兵団の団長のマティスにお前らを紹介したいからな」
ザイアスはダグボルトと『黒獅子姫』を引き連れ、一番大きな建物に入る。
二階にある一室に二人を案内すると、ノックもせずに部屋に入る。
三ギット(メートル)四方の狭い部屋には窓が無く、天井から吊るされた大きなランプが光源となっている。家具はモラヴィア大陸南部の地図が置かれた大きな樫の木のテーブルと八脚の椅子のみ。
石壁には汚い字が書き殴られたメモがべたべたといくつも貼られている。どうやらここは作戦室のようだ。
部屋の中では椅子に腰かけた髭面の男が、小さな羊皮紙をじっと見つめてうんうんと唸っている。生え際の後退した額には汗が滲んでいる。
男は部屋に入って来たザイアスを見てすぐに立ち上がる。
「ザイアス! ちょうどいいところに戻ってきたな。『紫炎の鍛え手』から新たな指令書が届いててな。困った事になってるんだ」
「どんな指令だ?」
「『百舌鳥傭兵団並びに北狼傭兵団の諸兄に告ぐ。銀木犀(ギンモクセイ)の月(十月)七日未明から八日早朝の間にガルダレア城塞を攻撃し、これを早急に陥落せしめよ』だとさ。あの堅牢な城塞を我々だけで落とせとは、とても正気とは思えんよ」
男は青ざめた顔をしてぐったりと椅子に座り込む。
だがザイアスは豪快に笑い出した。背中の頭蓋骨がジャラジャラと鈴のような音を鳴らす。
「ガハハハハハハハ! 魔女が正気なわけないだろ、マティス。あいつらみんな頭がイカれてるんだぜ。この調子だと来月には、俺達に『碧糸の織り手』の居城に乗り込んで首をとってこい』とでも指令を出してくるんじゃないか?」
「笑い事じゃないぞ。どうする?」
「そうだなあ。とりあえずは先にうちの新人を紹介しておこうか。ダグボルト・ストーンハートとミルダ・シュトラウスだ」
気まずい雰囲気の中、ダグボルトと『黒獅子姫』はマティスに挨拶する。
マティスは軽く手を振っただけで目を合わそうともしない。さすがにこの状況では、新人の傭兵など気にかける余裕もないようだ。
「そんなに腐るな、マティス。給料泥棒なんて言われない為にも、ここらで大きな仕事をこなしておくべきだろ。それより『異端』は使えるのか?」
「一体は前の戦いで使ったばかりだから、まだ活動に必要な魔力が回復してない。だがもう一体なら今すぐにでも使えるよ」
「そいつはいい。一体でもあれば十分だ。これで僅かながら勝機は出てきたわけだ。ガハハハハハ!」
再び笑い出すザイアス。笑い終わると晴れやかな顔をしてダグボルト達を見る。
「入って早々ヘビーな任務を引いちまったなあ。俺としては、お前らの力を見るいい機会だと思ってるがな」
「確かガルダレア城塞は、モグスリン山地沿いの大街道を守るために作られた、アシュタラ大公国の東部国境の要衝じゃったはず。攻め手にとっては、かなりの難所じゃぞ。期日まであと六日とは、ちと無茶振りが過ぎんかのう?」
『黒獅子姫』は信じられないという顔つきで言った。
だがザイアスは意にも介さず平然とこう答える。
「無茶振りだろうとなんだろうと給料分の仕事はする。それが傭兵ってもんなんだぜ、ミルダさんよ。まあ勝つに越したことはないし、俺はもちろん勝つ気でいるがな」
**********
鈍色の曇天が、その下を行軍する傭兵達の心境を、言葉よりも明確に物語っているように見える。
五十三人の傭兵達は、ほとんど言葉を交わすことなく馬を進めている。
普段はふてぶてしい彼らの顔にも、今は不安と緊張の色が浮かぶ。脱走者こそ出なかったものの、勝算の薄い戦いである事を皆理解しているのだ。
傭兵達の後には、食料とその他の荷袋を載せた牛と驢馬が六十頭ほど続く。ザイアスの指示で近隣の村々より徴発されたものだ。
そのさらに後には、十頭の馬に引かせた八つの車輪がついた巨大な荷馬車。
麻布をぐるぐるに巻かれた縦九ギット(メートル)、横五ギット、高さ三ギットほどの巨大な積荷が載せられている。
この中にザイアスの言っていた『異端』がいるのだろうか。
ダグボルトは飾り気の無い鋼のプレートメイルを身に着け、共に砂漠を渡って来た黒毛の愛馬に騎乗している。
彼の被るフルフェイスヘルムの破損はひどく、顔の部分の左側が醜く焼け焦げ、左目の覗き穴が溶けて塞がってしまっている。残された右目の覗き穴からは、緋色の瞳が熟れ過ぎたザクロのように爛れた輝きを発している。
端が擦り切れボロボロになった枯葉色のフード付マントを纏い、左手にはヒーターシールド、腰のベルトにはスレッジハンマーを吊り下げている。
初めは奇襲攻撃向けの軽装備にするつもりだったが、ザイアスは正面からガルダレア城塞を攻めるつもりらしいので、普段通りの重装備にしたのだ。
一方、魔力の使えない『黒獅子姫』は、黒のレザーメイルとフード付マント、腰には二本のレイピア(刺突剣)を佩いている。
黒き獅子の代わりに、今は小柄な栗毛の去勢馬に騎乗している。
全て禿鷹砦に向かう前にタイフォンの街で調達したものだ。
ダグボルトは、無言で戦列のしんがりを進む『黒獅子姫』に馬を並べた。
「魔力は制御できるようになったか?」
「いや、まだ無理じゃな。少しずつ調子は良くなってきとるんじゃがのう。……とはいえ正直、この戦いはあまり気乗りしないのう。相手が戦いを生業をする傭兵でも、無益な殺生はしたくないのじゃ」
「悪の導き手のくせに相変わらず優しいな、お前は。俺みたいに、任務のためだと割り切れないんだからな」
以前ダグボルトは、グリフォンズロックで魔女の居城を探るため、剣闘士として人間同士の殺し合いに参加していた。
彼は殺人を楽しむ男では無かったが、必要とあらば、ほとんどためらう事なく敵を殺す事が出来る。聖天教会にいた時に所属していた審問騎士団で、冷徹かつ無慈悲な人間として鍛えられたためだ。
ダグボルトは『黒獅子姫』を励ますように優しく肩を叩いた。
「だったら無理はするな。最悪、お前は負傷したふりをして後ろに下がっていればいい。ここで勝とうが負けようが俺たちの目的には関係ないし、要は生き残りさえすればいいんだからな」
「いーや。それは駄目なのじゃ。ザイアスの傭兵団に入らされたのはわしのせいだし、おぬしにばっかり汚れ役をさせるのは流石に悪いからのう。じゃから、今回はわしもちゃんと戦うぞ」
『黒獅子姫』は無理に笑顔を作る。
彼女の黒く穏やかな瞳には深い哀しみが宿っている。
その瞳を見ていると、ダグボルトは亡きセオドラを思い出しいたたまれなくなる。
それ以上何も言えず、ただ頷くのがやっとだった。
夕暮れの陽光で赤く滲む稜線に、ガルダレア城塞の巨大なシルエットが見えてくるにつれ、ダグボルトはこれを正面から攻めるのは、とても正気の沙汰ではないという結論に達した。
他の者もそう考えているらしく、皆青ざめた顔をしている。
平然としているのは、先頭を行くザイアスとエリッサ、そして『黒獅子姫』ぐらいだ。
ザイアスは背後に振り返ると、集団の中ほどにいたマティスに大声で呼びかける。
「マティス! 天候は問題なさそうだし、あらかじめ話しておいた通り計画を進めよう。あんたんとこの部下に松明を設置させてくれ。先鋒はうちの連中が務める。今晩のうちにケリをつけるんだ」
「だけどそっちは、先鋒を務めるには人数が少なすぎるだろう。良ければこっちの団員を少し貸すぞ?」
「いや必要ない。こっちには切り札の『異端』があるからな。その代り、松明の設置が完了したらすぐに合流してくれよな」
「了解した。……よし、全員俺に続け!!」
マティスは百舌鳥傭兵団の団員と共に、荷物を積んだ牛と驢馬を全て引き連れ、先に進んでいった。
ザイアスは北狼傭兵団の団員を馬から降ろし、自分の周りに集めた。
「さっきの話は聞いてたな? そういうわけだ。今夜、俺たちの手であの城塞を攻撃する。日が落ちるまでに、『異端』を城塞の連中に発見されないギリギリ近くにまで運ぶ。こっからは徒歩だ。全員で荷馬車を押して行くぞ!」
北狼傭兵団の団員は、全員で力を合わせて荷馬車を押した。
八つの重い車輪がゆっくりと動き出す。
ここ数日、天候が崩れていたが小雨程度で、大地が少し湿っているぐらいなのが幸いだ。もし大降りの雨が降っていたら、地面がぬかるんで車輪が嵌ってしまい、荷馬車を動かすなどとてもままならなかっただろう。
そういう意味では運に恵まれているといえる。
もちろん、この戦いに勝利するためには、さらなる運が必要になるであろうが。
陽が完全に落ちて真っ暗になると、ガルダレア城塞内部の十二基の監視塔からの照明が辺りを照らす。ダグボルト達を含む十四人は、照明に照らされるぎりぎりまで荷馬車を運んだ。
城塞周辺の山地は低い灌木ぐらいしか遮蔽物が無いため、これ以上荷馬車を城壁近くまで運ぶのは難しそうだ。
城塞を囲む六角形の石造りの城壁は一辺が三十ギット、高さ六ギット。東西にはそれぞれ鋼鉄製の巨大な城門がある。
「あの大きさなら五千人は収容出来そうだな……」
ダグボルトはぽつりと呟く。
それを聞いていたザイアスは彼の背中をどんと叩く。
「『黒の災禍』の前なら、そのぐらいの兵があの中にいただろうな。けど事前にマティスんとこの団員に、城塞に運び込まれる物資の量を偵察してもらったが、そこから推測するに今の兵力はせいぜい三百人程度だ。気に病むことはねえぜ」
「それでも俺達より遥かに多いぞ。それにあの頑強な城壁と城門があれば、それだけの人数でも余裕で守り切れるはずだ」
「ま、やるだけやってみるさ」
ザイアスは肩をすくめる。
それを合図とするかのように、城塞の周囲に無数の松明の明かりが現れる。
明かりはどんどんと増えていく。五百、いや千はあろうか。
百舌鳥傭兵団の団員が必死になって設置しているのだろう。
「なるほど、これがあんたの作戦か。城塞の中の敵に、こちらを大軍勢だと錯覚させるんだな。一部の松明は、牛や騾馬の背に括りつけてるんだろうな。明かりが全く動かないと怪しまれるからな」
「察しがいいねえ。城塞の連中は大軍に包囲されると思って、今頃慌ててるに違いねえぜ」
「だが松明の明かりだけじゃ、包囲されたと思わせ続けるのは無理だぞ。何もしなければ、敵もそのうち勘づくはずだ」
「ああ分かってるとも。この作戦を成功させるためにはあともうひと押し必要だ。……エリッサ、『異端』を起こせ! そろそろ攻撃を開始するぞ!」
エリッサと何人かの団員が、荷馬車の上の『異端』の身体に巻きつけられた麻布を外す。
中から現れたのは身長八ギット(メートル)はあろう巨大な人の形をした姿。
全身には赤い金属板を貼り合わせたような頑強な外殻。
顔の中央部の外殻は深い空洞になっている。
両肩にはそれぞれ一本ずつ、太い金属の排気管が備わっている。
――魔女『紫炎の鍛え手』の尖兵、『赤銅の異端』。
エリッサは腰のベルトに吊るしたベルを『赤銅の異端』の顔の近くで鳴らす。
すると排気管から黒い煙が噴き出し、顔の空洞に瞳のような真紅の光が宿る。魔術師に命を吹き込まれたゴーレムのように、『赤銅の異端』はゆっくりと立ち上がった。
『赤銅の異端』の背中と足には、人間が登れるようにタラップがつけられている。
前面にカイトシールド(逆三角形の中型盾)をとり付けた特殊な大型クロスボウを背負うと、素早くタラップを昇って『異端』の肩の排気管にもたれかかるように腰掛ける。
クロスボウに矢を装填すると、エリッサは下のザイアスに見えるように、右手の親指と人差し指で丸を作る。
「よォし、全員『異端』のケツにぴったりとくっ付いていけ!! 絶対にこいつから離れるなよ!!」
ザイアスが叫ぶ。
エリッサが腰のベルトに吊るしたベルを二度鳴らすと、『赤銅の異端』は城塞の東門に向けて歩き出した。地響きが大地を激しく震わす。
放浪生活が長いとはいえ、ダグボルトはこれほど大きな『異端』を見るのは初めてだった。
(城攻めなのに、梯子も破城槌も用意していないのはおかしいと思ったが、確かにこいつがいればそんなものは必要ないな。だが『紫炎の鍛え手』と戦う時には、こいつも相手にする事になるだろう。どれ程の強さなのか、今のうちにこの眼に焼き付けておくとするか)
城塞に立て籠もる敵兵も、すぐに『赤銅の異端』に気づき、狭間胸壁(城壁上の凹凸のついた部分)と見張り塔から次々と矢が放たれる。
しかし『赤銅の異端』の巨大な身体と外殻が、背後を進む傭兵達の盾となり全て弾き返す。
一方、肩の上のエリッサはカイトシールドで矢を防ぎつつ、クロスボウで城壁上の敵を一人づつ射抜いていく。
動いている『異端』の上で、敵に狙いを定めるのは並大抵の技ではない。まだ若いがかなり腕利きの狙撃手のようだ。
ついに『赤銅の異端』は城門前にたどり着く。
城壁上の弓兵達は『異端』の巨大な腕で蟻のように薙ぎ払われていく。
骨を砕かれ墜落していく弓兵達の哀れな悲鳴――それが苛烈な戦いの始まりを告げる前奏曲(プレリュード)となる。
エリッサは城壁の上に移り、今度は見張り塔の弓兵を射抜いていく。
ザイアスが命令を下すまでも無く、軽装備の団員は『異端』の背中のタラップを登り、エリッサに合流する。
『黒獅子姫』もタラップに手を掛けた。そして振り返るとダグボルトに向けて軽く頷いて見せる。
ダグボルトも無言で頷きを返した。
『黒獅子姫』が城壁の上にたどり着くと、エリッサは登って来る団員がもういないのを確認してベルを三度鳴らす。
それに応えるように『赤銅の異端』は今度は城門に重い拳を叩きつける。
たった一撃で閂が砕け、歪んだ鋼鉄の門扉は音を立てて内側に倒れた。門の近くで待機していた何人かの敵兵は、重い門扉の下敷きになり呻き声を上げている。
城壁の上が制圧されたため、今度は『赤銅の異端』の攻撃が届かない城塞の弓狭間(外敵に矢を放てるように設計された細い小窓)から敵の弓兵が矢の雨を降らせる。
エリッサと『黒獅子姫』を含む十人の団員は、弓兵の攻撃を避けるため城壁の上から城塞内部に続く空中廊下へと踏み込んでいった。
一方、城壁の下に残ったのはザイアスとダグボルトを含む重装備の人間、四人だけだ。
「ウラアアアアアアアアアアアアアア!!」
バトルアクスを掲げ、狂戦士のような雄叫びを上げるザイアス。
ダグボルトとザイアスが先陣となり、四人は門扉を踏みつけ城塞内部に入る。門扉の下敷きになった敵兵の骨が砕ける音を聞いて、ザイアスは獣じみた哄笑を上げた。
すぐに大勢の敵兵が四人を取り囲む。
しかし圧倒的優勢にあるはずの敵兵の顔には、言いようのない不安と恐怖が渦巻いている。
ザイアスの策略のせいで、包囲されていると思い込んでいるからだけではない。
彼らが怯えているのは、ダグボルトとザイアスの瞳を見てしまったからだ。
ダグボルトの瞳に宿るのは、咎人を断罪するような無慈悲な緋色の輝き。
それとは対照的にザイアスの瞳に宿るのは、獲物を見つけた餓狼のような狂気と狂喜の混じり合う蒼き輝き。
そして戦闘が開始された。
二人は血と臓物で、床や壁に酸鼻な地獄絵図を描いていく――ダグボルトはスレッジハンマー、ザイアスはバトルアクスを筆として。
床に散らばる切断された手足、叩き割られた頭蓋骨から零れ落ちた脳髄。
撒き散らされた臓物はまだ生暖かく湯気が漂っている。その臭いは吐き気を催すほど強烈だ。
三十分も経たぬうちに、二十人以上の敵兵が二人の手にかかって命を落としていた。負傷者も含めれば四十人を超えるだろう。
しかし敵も場数を踏んだ傭兵。
そう簡単には屈服せず、消耗戦に持ち込んで数の暴力で押し切ろうとする。
行軍の疲労が抜けていないザイアスとダグボルトの身体は少しずつ重くなっていく。
共に戦っていた二人の団員は、いつの間にか敵兵に切り刻まれ、床に無残な屍を晒している。
「こいつらを外に誘い出せれば『異端』で一掃出来るんだが、難しいだろうなァ」
ザイアスは荒い息と共にぼやく。
『赤銅の異端』は城門を破壊した後、その場で待機している。出来る限り城塞を破壊する事無く占領するのが目的だからだ。
動きの鈍くなったダグボルトとザイアスを、敵兵達が血祭りに上げようとした瞬間、狙い澄ましたかのようなタイミングで、マティス率いる騎馬部隊が城塞内部に踏み込んできた。
マティスのスピア(長槍)が敵兵の一人の喉を貫く。
騎馬兵の突撃で混乱した敵兵は次々と討たれていく。生き残った敵兵は城塞の奥に後退して体勢を立て直そうとする。
プレートメイルを装備したマティスは、馬上でヘルムのバイザーを上げてザイアスに微笑みかける。
「どうやらまだ無事なようだな、ザイアス。間に合って良かった」
「遅えぞ、マティス! 危うく俺とダグだけでパーティの料理を全部平らげちまうとこだったぜ」
ザイアスは尖った犬歯を見せてニヤリと笑い、強がってみせる。周囲の惨状を見たマティスは賞賛するように口笛を吹いた。
「たった二人でこれを? お前達、すごいな。……よし、後は俺達に任せておけ。百舌鳥傭兵団、全員前進しろッ!!」
マティスと百舌鳥傭兵団の団員は馬に乗ったまま、城塞の奥に後退した敵を追って行った。
「仲間を二人失ったのは痛いが、お前さんが思った通りの男で良かったぜ。俺とエリッサの目に狂いはなかったって事だな」
そう言うとザイアスはまたニヤリと笑った。
ダグボルトも笑みを返す。
その一方で、この男は敵に回せば恐ろしく手ごわい相手になるだろうとも感じていた。
**********
敵の重装歩兵の鋭い斬撃を、エリッサはカイトシールドで受け止める。
同時に、カイトシールドにつけられた大型クロスボウの矢が、相手のヘルムを易々と射抜く。
衝撃で吹き飛ばされた敵兵の身体が壁に縫い付けられる。エリッサは流れるような手さばきで、クロスボウのレバーを引いて弦をつがえ、次の矢を装填した。
「接近戦でクロスボウを使うなんて初めて見たのじゃ。見事な腕前じゃな」
『黒獅子姫』の賞賛を受けて、エリッサはウインクを返す。
一撃で敵を倒せなければ次の矢を装填する暇がない為、盾付きとはいえクロスボウで接近戦を行うとなると相当な技術がいる。それだけ一撃必殺の自信があるのだろう。
一方、『黒獅子姫』は二本のレイピアを巧みに操り、敵兵を次々と捌いていく。
踊るような足さばき、さらに変幻自在の立ち回りは攻防一体となり、突き、払い、受け流し、敵の利き腕を貫いて戦闘不能にする。
時々ずり落ちそうになる伊達眼鏡を直す余裕すらあるくらいだ。
「あんた、甘い戦いをするねえ。敵に止めを刺さないなんて信じられないよ」
そう苦言を呈しながらも、エリッサは彼女の戦いに魅了される。
エリッサは知る由もないが、どのような戦闘術とも異なる『黒獅子姫』の人間離れした完全自己流の戦法は、まさに魔女である彼女にしか扱えない代物なのだ。
城塞内の狭い廊下は、少人数のエリッサ達にとっては戦いやすい場所だった。敵は数の優位を生かせず、いたずらに犠牲を増やしていくばかりだ。
やがて一人の敵兵が急に後ろを向いて逃げ出した。
「愚か者があああああッ!!」
突如として野太い声が響き、廊下の中ほどにある階段から大柄な男がぬっと現れる。
大柄な男は、逃亡兵を窓の外に蹴り落とした。
男は白いプレートメイルに身を固め、豹頭を模したフルフェイスヘルムを被っている。その上にはフード付の青い長袖のサーコート(軍用外套)を羽織っている。
「愚図共め!! 我ら白豹傭兵団が『碧糸の織り手』様より預かるこの地を放棄して何とするか!! そのような臆病者は団長である、このクルガンが粛正するッ!! 貴様ら命を投げ打ってでも戦えッ!!」
浮き足立っていた敵兵は、クルガンの登場で冷静さを取り戻す。
クルガンは背負っていたツヴァイハンダー(大型の両手剣)を鞘から引き抜くと、エリッサ達に襲いかかる。
無造作に薙ぎ払われる長い刃。
その白き輝きが、北狼傭兵団の団員を次々と命無き肉塊へと変えていく。
やがて兇刃はエリッサの眼前に至る。
振り下ろされた重い一撃が、カイトシールドを真っ二つに斬り裂く。
間髪入れずに下から振り上げられる二の太刀。エリッサに回避する間など与えない。
思わず目を閉じるエリッサ。
しかし身体には何の衝撃も無い。
そっと目を開くと、二つの黒き鋭刃がツヴァイハンダーの撃剣を巧みに受け流し、彼女の身体から逸らしていた。
「クルガンとやら。おぬしの相手はわしがするのじゃ!!」
『黒獅子姫』は二本の黒きレイピアを構え、エリッサとクルガンの間に割り込んでいた。
「俺に戦いを挑むとは面白いぞ、小娘。だが死ねええッ!!」
重いツヴァイハンダーをクルガンは軽々と振るい、防御など一切無視した徹底した攻撃で『黒獅子姫』を追い詰めようとする。
エリッサも彼女を援護しようとするが、背後から次々と襲いくる敵兵を、他の団員と共に食い止めるので手一杯だ。
カイトシールドを失ったエリッサは、大型クロスボウを棍棒のように振るい、近くの敵を殴り倒す。
手が空くと、離れた敵に矢を放ち、隙を見てまた次の矢を装填する。
エリッサの大型クロスボウは接近戦を想定して造られているため、普通のものより遥かに頑丈で壊れにくいのだ。
一方、クルガンは『黒獅子姫』に攻撃する暇を与えず次々と斬撃を放つ。
しかし彼女は冷静に攻撃のチャンスを見極めようとしていた。
ツヴァイハンダーの横薙ぎの斬撃を地面に伏せてかわす『黒獅子姫』。
そこで生まれた僅かな隙に、下方から放たれた二つの黒き刺撃がクルガンの両腕を狙って放たれる。
しかし次の瞬間、かん高い金属音と共にレイピアが二本とも折れる。
(そんな! いくら鋼のプレートメイルでも、肘の隙間部分ならレイピアの刃が貫通するはずじゃ。……まさか!)
『黒獅子姫』は気づく。
クルガンがプレートメイルの上に羽織っている長袖の青いサーコートが、淡い光を放っている事を。
「フハアアアア!! ようやく気づいたようだな。この戦衣は『碧糸の織り手』様が、優秀な臣下である俺のために精魂込めて織ってくださったものなのだ。貴様らの薄汚い刃では傷一つつけられんのだぞッ!!」
勝ち誇ったように叫ぶクルガンを見て、『黒獅子姫』は苦々しい顔をする。
(なるほどのう。レイピアが折れたのは鎧のせいじゃなく、あの服のせいじゃったのか。あれは魔力を帯びとるから鋼以上に強靭じゃ。となると……)
『黒獅子姫』はちらと背後を振り返る。
エリッサ達も敵兵も死闘のさなかにあり、誰も彼女の方を気に留める余裕はないようだ。
不意に『黒獅子姫』の身体に鈍い衝撃が伝わる。
ツヴァイハンダーの刃が、彼女の左肩から腹の辺りにまでざっくりと食い込んでいた。石畳ににぽたぽたと赤い血が零れ落ちる。
「フフフ。戦闘中によそ見とは感心せんなァ」
クルガンはあざ笑うように言った。しかし余裕に満ちたその顔はすぐに驚きへと変わる。
『黒獅子姫』の身体に食い込むツヴァイハンダーの白い刃が、ボロボロに錆びて崩れていく。レザーメイルの裂け目から覗く赤黒い傷が瞬時に塞がった。
「ま、まさか貴様……魔――」
そこまで呟いたところでクルガンの言葉が止まる。
『黒獅子姫』の小さな拳が、サーコート越しにクルガンの脇腹にめり込んでいる。
「うむ、わしは魔女じゃ。今のわしに魔力はほとんど無いが、それでも身体全体に微弱な魔力を帯びておる。つまり素手での攻撃なら、その服の魔力を相殺出来るのじゃよ」
『黒獅子姫』は小声で囁いた。
クルガンは脇腹を押さえて呻く。
激しい痛みで言葉を発する事も出来ず、ふらふらと階段の方に後退していく。
「じゃが今は、他の者に魔女だと知られるわけにはいかんのじゃ。じゃからわしの正体を知ってしまったおぬしには、ここで死んでもらうしかないのじゃよ。本当にすまん」
『黒獅子姫』は哀しそうに呟く。
と同時に、クルガンの顔面に強烈な飛び膝蹴りが浴びせられる。
豹頭のヘルムが、中の顔と共にぐしゃりと潰れ、バランスを崩したクルガンは長い下り階段を転落する。
『黒獅子姫』はクルガンと共に転落しながらも、彼の首に細い腕をまわし、首の骨を小枝のようにポキンと折った。
階段の踊り場に、まるで壊れた人形のように倒れているクルガンの死体。
『黒獅子姫』は彼の青いサーコートを剥ぎ取り、自分の身体に羽織った。レザーメイルの大きな傷とは対照的な、無傷の身体を見られないためにだ。
そして今度は無残に潰れた豹頭のヘルムを脱がせる。
中から現れたのは禿頭の厳つい顔。目をかっと見開き、口からは一筋の血が流れている。
『黒獅子姫』は階段を昇ると、戦闘中の敵兵に向かって豹頭のヘルムを放り投げた。
「おぬしらの団長は階段から落ちて死んだのじゃ。おぬしらも、おとなしく降参したらどうじゃ?」
敵兵はヘルムを見て、一気に戦意が喪失したようだ。
もはや逃亡を阻むものは何もない。
一人が逃げ出すと、他の者も追随して城塞の西門の方に逃げていく。追い討ちをかけようとする団員をエリッサは止める。
「逃げる奴らは追わなくていいよ! うちの団長に合流するのが先さ。あたしらがいないせいで、さみしくて子供みたいに泣いてるかもしれないからね」
厳ついザイアスが泣きじゃくっている姿を想像して団員達は笑う。
しかし突入した時と比べると、彼らの人数は半分になっていた。生き残っている者も傷だらけで、立っているのがやっとという有様だ。
「どうでもいいけど、あんたのその格好よく似合ってるよ」
エリッサは『黒獅子姫』の姿を見て皮肉っぽく言った。
『黒獅子姫』が羽織るサーコートは、小柄な彼女には全くサイズが合っておらず、袖がだらんと垂れ下がっている。
「戦利品だからこれでよいのじゃ。それより合流する前に、生き残っとる者の傷の手当をせんとな。おぬしも、それほど深い傷は負っとらんみたいだから手伝ってくれんかのう」
『黒獅子姫』は有無を言わせず、てきぱきと手際よく生き残った団員の止血をして包帯を巻いていく。
仕方なく手伝うエリッサの目が、階段近くに落ちているツヴァイハンダーに留まる。
不思議な事に錆一つなかったはずの刃が、ボロボロになって砕けている。
「ふう、終わったのじゃ」
『黒獅子姫』が立ち上がった。
エリッサは頭の中から疑問を締め出す。
今は目の前の戦いに集中しなければならないのだ。
考えるのは後でいい。
**********
マティス率いる百舌鳥傭兵団の騎馬部隊は敵の軍勢を押していき、城塞の中心部の吹き抜けまでやって来ていた。
そこには赤土の敷かれた広い中庭があった。
四方を小窓のついた石壁で囲まれ、入口は東と西の二ヶ所。何も置かれていない殺風景な場所である。
人数こそ少ないが、勢いは確実にマティス側にあった。
敵の小隊長は声を枯らして徹底交戦を叫ぶが、それでも戦意を喪失して西門に逃亡していく敵兵の数が徐々に増えていく。
そこに息を整えたダグボルトとザイアスが現れる。
ダグボルトがスレッジハンマーで小隊長の頭を砕いて沈黙させると、敵はもはや軍の体を成さず雪崩を打って逃げ出した。
「崩れるときはずいぶんとあっけないものだな」
ダグボルトがぽつりと呟く。
中庭にはもはや敵兵の姿はなく、ダグボルトとザイアス、それに加えマティスと百舌鳥傭兵団の団員が数名いるだけだ。
「向こうも傭兵だからな。勝ち目のない戦いで命を落とすような莫迦な真似はしねえのさ。こっちの包囲網が完成する前に脱出しようって考えるのは当然だぜ。……まあ実際は、包囲網なんてもんは存在しないわけだけどな」
悪戯を成功させた子供のような悪どい笑みを浮かべるザイアス。
マティスはヘルムを脱いで額の汗をマントで拭っている。
「しかしお前の作戦がこうもうまくいくとはなあ。これだけの功績があれば、『紫炎の鍛え手』が鍛えた武器を貰う事も――」
マティスの言葉が途中で途切れた。
突如として中庭の地面の一部が崩れ、マティスの身体は乗っていた馬ごと吸い込まれるように地中に消える。近くにいたザイアスも落ちかけるが、ダグボルトが手を掴んで地表に引き戻す。
すると今度は地面に空いた穴から、体液を吸い尽くされて干からびたマティスと馬の死体が吐き出される。
それに続いて体長四ギットほどの巨大な姿が現れる。
八本の太い脚、爛々と輝く四つの丸い目、腹部はでっぷりしてと丸い。表皮は艶のある毒々しいラベンダー色の外殻で覆われている。
口元の象牙のように滑らかな鋏角から、ぽたぽたと消化液が滴り落ちる。
――魔女『碧糸の織り手』の尖兵、『蜘蛛の異端』。
「今まで敵の『異端』が現れないのが不思議だったが、まさかこんな所に隠れてたとはな」
ダグボルトは『蜘蛛の異端』に殴り掛かる。
スレッジハンマーが太い脚にめり込むが、鋼のように固い外殻に罅が入っただけで破壊する事は出来ない。
しかし同時にザイアスが、ラウンドシールドを『異端』の顔に叩きつけていた。
反撃の機会を奪われた『異端』は怯んで一歩後退する。
「ダグ、さっきは助かったぜ。ついでに言っておくと、こいつは目を狙うといいぜ。こういう風にな!」
間髪入れずザイアスは、バトルアクスの刃で『異端』の四つの目の一つを抉る。
『異端』は眼液と苦悶の叫びを撒き散らしつつ土の中に潜っていった。
「なるほど、勉強になった。だが止めを刺し損なったのはまずいんじゃないか?」
「ああ、実はものすごくまずい。というか、こんな場所で戦ってたら奴の思う壺だ。……お前らもぐずぐずしてねえで早く中庭を出ろ!!」
団長を失った百舌鳥傭兵団の団員は、恐怖もあって石のように固まっていたが、ザイアスの言葉に反応してようやく動き出す。
だが今度は中庭全体が、まるで巨大な蟻地獄のようにすり鉢状に窪む。
乗っている馬がバランスを崩し、放り出された団員が次々と穴の中に吸い込まれていく。
ダグボルトとザイアスは、中庭の外壁の窪みに指を立ててしがみ付くが、足元の土は柔らかく、その上ひどく滑る。指が離れればすぐにでもすり鉢状の穴の底に落ちててしまうだろう。
そうなれば『蜘蛛の異端』に、マティスのように体液を吸い尽くされてしまう。
「ダグ、中庭の出口までは遠いが、外周部を回ればたどり着けるはずだ!! 俺達だけでも逃げるぞ!!」
ザイアスが叫んだ瞬間、穴の底から西瓜ほどの大きさの氷塊が砲弾のように吐き出される。
石壁にめり込む程の凄まじい衝撃。
咄嗟に首をすぼめてザイアスは直撃を免れる。
氷塊は蜘蛛の糸の集まりが凍り付いて出来ているようだ。
(まずいな。あんなのを何回も撃ち込まれたら俺達二人とも逃げ切れん。だったら一か八かやるしかない!!)
ダグボルトの目に決意の炎が宿る。
石壁の隙間にスレッジハンマーの突部を思い切り突き立てると、自分のマントを引き裂いてロープのように長く伸ばす。その端をスレッジハンマーの柄に結ぶと、彼はすり鉢状の地面をゆっくりと下に降りていく。
「そいつは無謀だぜ、ダグ……」
遠くからザイアスが嘆く声が聞こえる。
だがそれに構わず、穴の中心部に達すると大きく息を吸い込んだ。
柔らかい土が水のように彼を包み込み、すぐに視界が真っ暗になる。
(これでいい。地中はあの『異端』の独壇場かも知れんが、俺も人目を気にせず戦うことが出来るからな)
ダグボルトの右手のガントレットの隙間から、黒蟻がざわざわと這い出した。黒い塊のような蟻の群れが、瞬く間に彼の右腕を覆っていく。
地中を小気味よく掘り進む音。
彼の右前方に三つの丸い輝きが現れる。
(わざわざ居場所を教えてくれて助かるぞ、『異端』ッ!!)
全力で振りぬかれた右拳が三つの輝きの中心を貫く。
黒蟻の魔力を帯びた一撃で『蜘蛛の異端』の額の外殻が砕け、中の柔らかい脳と脳漿が蟻酸の炎で沸騰する。
だが同時に、『蜘蛛の異端』の二本の鋭い鋏角がダグボルトの身体を捉えていた。
一本はプレートメイルの肩当てに大きな傷を残しただけだ。しかしもう一本が、ロープ代わりのマントを切り裂いている。
『蜘蛛の異端』は四肢をピクピクと痙攣させながら人間の姿へと変わっていく。
真っ暗なのでダグボルトには見えないが、茶髪の青年で背中には蜘蛛の刺青がある。
『異端』は魔女の魔力で異形の姿に変生させられた人間であり、死んだ時にだけ元の姿に戻るのだ。
完全に息絶えた『異端』の青年は地の底深く沈んでいった。
同じようにダグボルトの身体もゆっくりと沈んでいく。何とか浮上しようともがいてみるも、重い鎧を身に着けているせいか全く効果はない。
(参ったな。どうしたものか。後先考えずに行動するとは俺らしくもない……)
すると華奢な手が、マントの首の後ろを掴む。
小さな手からは考えられないような力で、すぐに地中から引き上げられる。
フルフェイスヘルムの中に、吹き抜けの天井の明かり窓からの眩い陽光が差し込む。
夜が明けようとしていた。
ダグボルトの目に心配げな顔をする『黒獅子姫』が映る。
「……悪い。少し無理をした」
「少しどころじゃないのじゃ、ダグ! 生き残りさえすればいいとか言ってたくせに、こんな所で命を落としてどうするのじゃ!」
「そうだったな。すまん。誰かさんの暴走癖がうつったのかもな」
「むー!」
『黒獅子姫』はダグボルトのヘルムをぽかりと叩いた。
それから自分の腰に結んであるロープを軽く引いて、頭上に向かって呼び掛ける。
ロープは吹き抜けの二階部分の窓に続いていて、エリッサが他の団員と共にロープを引いて、二人の身体をすり鉢状の穴から引き上げた。
夜明けと共に、長い激戦もようやく終わったのであった。
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