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 昨日までの曇天が嘘のような澄み渡る晴天。  霞んだ地平線からの夜明けの輝きが、ガルダレア城塞の高い城壁を照らし出す。  城塞を陥落させた側の人間には、明るい未来を感じさせる輝きだ。  だが陥落させられた側の人間にとってはそうではない。  これが人生の最期に見る光景だと知っていればなおさらだ。  深手を負って逃亡出来なかった白豹傭兵団の傭兵達は、城壁の上に運ばれていた。  その数、二十三人。  無論、手当などしてもらえるはずもなく、血塗れで息も絶え絶えな有様だ。  彼らの前には、北狼傭兵団の二人の団員を従えたシャッコが立っている。三人共、全身傷だらけで、身体に巻かれた包帯にはまだ血が滲んでいる。  しかし痛みで青ざめた顔をしている後ろの二人とは違い、シャッコは勝利の美酒に酔いしれた顔をしている。 「てめえら助かりたいか? 助けてほしけりゃ、惨めったらしく命乞いしてみろよ。俺を楽しませることが出来たら助けてやらない事もないぜ」  シャッコは嘲るような口調で言い放った。  だが白豹傭兵団の傭兵達は誰も言葉を発さない。彼らの虚ろな目は、すでに生への執着を失っていた。 「もういいだろ、シャッコ。さっさとこいつらを片付けて下に戻ろうぜ。風に当たると傷が痛むんだよ」  シャッコの後ろにいる団員の一人が哀れっぽく言った。  しかしシャッコはその団員を激しく怒鳴りつける。 「うるせえッ!! 俺達は勝者なんだぞ!! 勝利の余韻に浸って何が悪いんだ!! ……さあてめえら命乞いしろ!! 這いつくばって俺達に許しを請えッ!!」  すると白豹傭兵団の傭兵の一人が笑い出した。  タイフォンの街で『黒獅子姫』を相手に喧嘩騒ぎを起こしたブロアードだ。  身に着けたレザーメイルは無残に裂け、全身の傷には乾いた血がべっとりとこびり付いている。  ぱっくりと裂けた膝からは、赤黒い肉と砕けた白い骨が見えている。愛用のシミターはすでに失っていた。 「勝ったくせに……ずいぶん余裕が無いな……。お前も分かってるんだろ……。 『碧糸の織り手』様は必ず……ここを奪い返しに……大軍勢を送るはず……。勝者気分を堪能出来るのは……それまでの短い間だけだからな……」 「何ィ!!」  挑発に釣られてシャッコはブロアードに近づく。  だが足元に倒れていた瀕死の傭兵に躓いて、危うく転びそうになる。  その姿を見てブロアードはさらに笑う。他の白豹傭兵団の傭兵達も思わず口元を緩める。 「このカス共がああッ!!」  怒り狂ったシャッコは、足元の瀕死の傭兵を狭間胸壁から蹴り落とした。  大地に叩きつけられた身体が、バシッという渇いた音を発する。  ブロアードの顔から笑みが消える。  それと同時に、ブーツに隠していた短刀を抜いた。  ブロアードの手の中の冷たい輝きを見て、慌ててシャッコは腰に佩いたシミターに手を掛ける。 「て、てめえ!! その身体でまだ戦おうってのか!?」  するとブロアードはまた笑い出した。  ぽかんとするシャッコ。 「お前んとこの団長のザイアスに伝えろ……。戦場でお前を殺せなくて残念だが……俺もお前も最後に行く所は同じだ……。だから先に行って待ってるってな……」  それだけ言うと、ブロアードは笑顔のまま短刀で自らの喉を掻き切った。  ぱっくりと開いた傷はまるで笑う悪魔の口のようだ。  力を失った身体が、血飛沫を上げて城壁の上から滑り落ちていった。 「……もういい。こいつらにはうんざりだ。お望み通り全て終わりにしてやる」  シャッコは忌々しげに呟く。  からからに乾いた口の中には先程までの勝利の味は無く、胃がむかつくような苦い味が広がるばかりだ。  シャッコの合図の元、三人は手分けして白豹傭兵団の傭兵達を城壁の上から突き落としていく。  深手を負って瀕死の者ばかりのため大した抵抗も無い。  散らばる死体から溢れ出す鮮血で、城壁の下の大地はどす黒く染まっていく。  どこからか血の匂いを嗅ぎつけたのか、上空には無数の禿鷹が舞っている。 「おぬしら、一体何をしとるのじゃ!?」  三人がほぼ仕事を終えようとしていたところで、『黒獅子姫』が空中廊下から城壁の上に現れた。  この惨状を目の当たりにして厳しい顔をしている。 「おやおや。何の用ですか、お嬢様?」  シャッコは最後の傭兵を城壁から突き落すと、からかうように言った。  次の瞬間、頬に鋭い痛みが走る。  頬をはたかれたシャッコは、反射的に腰のシミターに手を掛ける。  流血沙汰になりそうなのを見て、慌てて二人の団員がシャッコ達の間に割って入った。 「お、俺達は団長の命令で敵の生き残りを始末してるだけだよ。文句があるなら団長に言ってくれよ」  シャッコを押さえている若い団員が気まずそうに説明する。 「ザイアスが?」  『黒獅子姫』は踵を返すと真っ直ぐザイアスの元に歩き出す。  石床に響く足音に静かな怒りを伴って。    **********  城塞の三階にある執務室は、昨日までは白豹傭兵団の団長であるクルガンの私室として使われていた。しかし今は、新たな支配者であるザイアスが占領している。  部屋には傭兵らしからぬ洗練された調度品が置かれている。  床には黒豹の皮の敷物、壁には美しいタペストリーと書物棚。  傷一つないマホガニーの机の上には、書きかけの書類と共に、冷たくなった飲みかけのお茶が残されている。  城塞が攻撃される直前まで、クルガンは執務中だったのだろう。  ザイアスは机の上に腰掛けて、そのお茶を啜っている。  彼の目の前では、百舌鳥傭兵団の若い副団長が火を起こした暖炉で手を温めている。副団長と団員の大半は、西門に逃げようとした敵を追撃していたため、結果的に難を逃れたのだ。 「お前らの団長は気の毒だったな。だが嘆いている暇は無いぜ。『碧糸の織り手』はすぐに反攻を企てるはずだ。俺の部下を伝令として『紫炎の鍛え手』の元に送ったが、敵の反撃までに援軍が到着するかは分からん。だからこっちは、それを想定した上で十分に守りを固めておく必要がある。そこで戦いが一段落するまでの間、お前らには俺の指揮下に入って貰いたいんだがどうだ?」  クルガンの話を聞き終わると、副団長はゆっくりと口を開いた。 「もちろん構いませんよ。それとあなたと話す前に、仲間内で今後について話し合ったのですが、うちの団長の喪が明けたら、私達全員を北狼傭兵団に合流させて貰えませんか?」  思わぬ提案に驚いて、ザイアスはテーブルからずり落ちそうになる。 「いいのか? お前らの方が俺達より遥かに人数が多いんだぜ。それでもうちに合流するってのか?」 「構いませんよ。うちの団員は皆、あなたを亡きマティス団長と同じくらい信頼していますからね。この城塞の攻略作戦だって、ほとんどあなたが考えたものじゃないですか」 「そう言ってもらえると嬉しいねえ。改めてよろしくな」 「こちらこそよろしくお願いします、団長殿」  握手を交わす二人の影が、暖炉の炎でちらちらと揺れる。 「では早速ですが仕事に取り掛からせて頂きます。まず城塞内に残された民間人ですが、どう処置しましょう? 料理人、鍛冶屋、それと娼婦も十人ほどいますが」 「娼婦どもはすぐに全員追い出せ。残しておくと、仕事をさぼって女と遊ぶ莫迦が必ず現れるからな。だが他の連中はここに置いておけ。特に鍛冶屋は金を積んででもいいから、破壊した東門の修理に当たらせろ。東門は『異端』に守らせるつもりだが、次の戦いの時まで魔力が持つか分からんからな」  ザイアスの腰のベルトには、エリッサから預かったベルが吊るしてある。『赤銅の異端』を操るのに使うものだ。 「了解しました。そのように致します」 「それから城内に敵の残党がいないのを確認したら、交代で仮眠をとっておけ。さすがに『碧糸の織り手』の軍勢も、こっちが休む暇も無いほど早くは来ないはずだ。それと……。ああ、そうだ。全員に城内での略奪は極力控えるように伝えておけ」 「略奪を? それは難しいと思いますが……」 「分かってる。みんなそれが楽しみで傭兵をやってるようなもんだからな。命令を出したところで、俺の見ていないところでは略奪するだろうし、それを厳格に取り締まるつもりはねえ。だが俺は援軍が来るまで、絶対にこの城塞を死守したいんだ。だから与えられた仕事を怠たるような莫迦がいたら、俺がこの手で処刑する。それも出来るだけ残虐な方法でな」 「……分かりました。他の者にそう伝えておきます」 「まあ、お前んとこの連中についてはあまり心配してないがな。元は騎士だったマティスの教育が行き届いているせいか、みんなお行儀がいいからな。じゃあ下がっていいぞ」  副団長は一礼すると部屋から出て行った。  ザイアスは飲みかけのお茶を一口啜ると、再び口を開く。 「で、お前は何の用だ? ミルダ」  いつの間にか扉の前に『黒獅子姫』が立っていた。  冷然とした瞳でザイアスを睨み付けている。 「なぜシャッコ達に無抵抗な捕虜を殺すよう命令したんじゃ?」 「むしろ何で、捕えた敵をご丁寧に生かしておかなきゃならねえんだ?」  ザイアスはあっさりと答える。  『黒獅子姫』に睨まれてもまるで動じる様子はない。 「『敗者に価値は無い』とでも言いたいのかのう? それがおぬしの考えなのか?」  『黒獅子姫』の脳裏に、魔力と共に自らの体内に取り込んだ『石動の皇(コロッサス)』の姿がよぎる。無意識のうちに、服の上から胸の傷跡に触れていた。 「いいや、そいつは違うね。正確には『価値の無い敗者など必要無い』だ。身代金を取れるか、重要な情報を持っている奴なら、わざわざ殺したりはしねえさ。だがそうでない奴を生かしておいてどうする? しかもほっといたって死ぬような奴らばかりだったんだぜ。こっちにゃ奴らを手当てしてる暇なんぞねえし、見張りにさくほど人員に余裕もねえんだ」 「うーむ、それは分からんでもない。確かに合理的に考えれば、おぬしの判断は正しいじゃろうな。じゃが合理性を追及し過ぎると、代わりに人間として大事な何かを失う事になるぞ、ザイアスよ。おぬしがどういう理由で傭兵をしているのかは知らんが、理念のために人間性まで捨ててしまってはお終いじゃよ」  真摯な顔で忠告する『黒獅子姫』。  しかしそれを聞いていたザイアスはけたたましく笑い出す。  背中のマントに吊るされた頭蓋骨が揺れてぶつかり合い、カタカタと笑い声のような音を鳴らす。 「ガハハハハハハハハハ!! お前さん、面白え事を言うなあ。理念だと? そんなもん俺にはねえよ。いや、俺だけじゃないぜ。他の奴らだって同じさ。傭兵には理念も大義も善も悪もねえ。俺達は金儲けのためだけにこの仕事をしてるんだぜ。人命なんぞ厭わずに冷酷なまでに利益を追及して何が悪い? それが傭兵の生き様ってもんなんだよ」  ザイアスはきっぱりと言い切る。  それは五十余年に渡る人生で育まれ、長い傭兵生活で鍛えられた価値観であり、『黒獅子姫』の言葉で容易く変えられるものではなかった。  それでも悪の導き手として、彼のような悪人の非業の末路を数多く見てきた『黒獅子姫』は、最後にこう言わざるを得なかった。 「そういう考え方は今からでも改めたほうがよいぞ。でないとおぬしだけじゃなく、おぬしの周りの人まで不幸にしてしまうからのう。周りの人が皆、おぬしと同じ考えだとは限らないんじゃからな」  『黒獅子姫』が立ち去った後、ザイアスは空になったカップを暖炉の中に無造作に放り投げる。 「まさかこの俺があんな小娘に説教されるとはなあ……」  もし誰かが先程の光景を見ていたら滑稽に映った事だろう。  十四、五歳ぐらいの少女が五十五歳の男を諭していたのだから。  だが不思議と腹は立たなかった。  むしろ哀しくさえあった。  もし彼女のような人間ともっと早く出会っていたら、今とは違った人生があったのだろうか。  だが今となっては無意味な話だ。  ザイアスは首を振って迷いを捨てると、城塞を死守する計画を頭の中で練り始めた。    **********  静寂の荒野に踏み鳴らされる一群の蹄音。  ダグボルトはエリッサと共に馬を飛ばして『紫炎の鍛え手』の居城に向かっていた。  馬の足を速めるため、ダグボルトはプレートメイルを脱いで軽装備となっている。また替え馬(乗り換え用の馬)として、二人はそれぞれ三頭の鞍のついていない馬を別に連れている。  エリッサの馬には、使者であることを示す北狼傭兵団の旗印がついている。  ザイアスは初め『黒獅子姫』をエリッサに同行させようとしたのだが、ダグボルトは強引に彼女の代わりに同行者となっていた。  変装させているとはいえ、さすがに『黒獅子姫』を直接見れば『紫炎の鍛え手』もすぐに正体を見抜くだろう。『紫炎の鍛え手』と対面する機会があるかは分からないが、用心するに越した事はない。 「おい起きてるか?」  馬上でうつらうつらとしているエリッサに声を掛ける。  無理もない。  城塞での戦いを終えた後、休憩も無いまま八刻(時間)近く馬を飛ばしているのだから。  ザイアスはこうなる危険を考えて、道を知っているエリッサだけでなく、他の人間も一緒に使者にしたのだろう。二人ならば、どちらかが意識を失いかけても、もう片方が起こせるからだ。 「……悪いね。少し寝てたよ」  エリッサはすまなそうに言った。  そして眠らないよう手綱を握る手に力を込める。 「気にするな。それより『紫炎の鍛え手』の所まで、あとどのぐらいかかる?」 「今のペースで飛ばしていけば、今日の深夜ぐらいには着くと思う。ええと……あと十五、六刻くらいかな」 「そうか。じゃあ少し先の丘を越えたら馬を替えよう。俺があんたの馬の鞍も付け替えておくから、その間少し休むといい」 「気遣いは嬉しいけど遠慮しとくよ。自分の馬の鞍ぐらい自分で替える。これでもあたしは傭兵生活長いんだ。新人の世話になんかならないよ」  エリッサは疲労困憊の様子だったが、それでも意固地になっているようだ。傭兵としてのプライドがあるのだろう。  ダグボルトはそれ以上何も言わず黙り込む。  すると今度はエリッサの方から話しかけてきた。 「ところであんた、ミルダとはどういう関係なんだい? 仲間になってからずっとあんたらを観察してたけど、単なる旅のパートナー以上の親密な間柄に見えたよ。もしかしてあの子、あんたの愛人なのかい?」  ダグボルトは驚いて手綱をとり落としそうになる。 「全然違う! 俺とミルダの関係はそういうものじゃない。まあ、確かに単なるパートナーとも違うのかもしれないが……。何と言うかあいつは俺にとって義理の娘のようなものだな」  そう言った後、ダグボルトは心の中で密かにこうつけ加える。 (おそらく実年齢は、あいつの方が俺より遥かに上なんだろうがな……。) 「ふうん、娘ねえ。ところであの子、人間離れした凄い戦闘能力を持ってるみたいだけど、一体何者なんだい?」  フルフェイスヘルムの中でダグボルトの表情が強張る。  『黒獅子姫』の正体を探っているのだろうか。  無意識のうちに、右手を腰のスレッジハンマーに伸ばそうとしているのに気づき、慌ててダグボルトは手綱を強く握り締める。 (俺は何をやっているんだ!? 今はもう審問騎士じゃないんだ。口封じのために女を殺すような冷酷さなんて必要ない。例えミルダを怪しんでたとしても、うまく誤魔化せばいいだけだ)  ダグボルトは探るような目にエリッサを見る。  こうして見る限り、重い瞼を必死に開けようと努力しているように見える。たぶん眠気を堪える為に、話を続けているだけなのだろう。  心の迷いを見透かされないよう、ダグボルトは慎重に言葉を選んで話し始める。 「あいつとは何ヶ月か前に、ここから遥か北にあるハイント村の酒場で出会ったんだ。そこで意気投合して一緒に旅を続けてる。あいつがどこで生まれたか、戦い方を覚えたかは知らない。あいつはそういう事を全然話してくれないからな。それでも金を稼ぐパートナーとしては申し分ないし、俺は人の過去なんて余り気にしない主義なんだ。だから今までうまくやってこれたんだろうな」  これは作り話だが、真実も含まれている。  これまでの道中で、『黒獅子姫』は魔女になる前の人間時代の話をほとんどしていないし、ダグボルトもあえて知ろうとはしなかった。  彼もまた、審問騎士だった頃の話をほとんどしてこなかったので、おあいこともいえる。  幸いエリッサは疑う様子を見せていない。  それどころか話がほとんど頭に入っていないようで、またうつらうつらしている。  馬を並べるダグボルトが軽く肩を揺すると、エリッサははっとした顔をして、手の甲で口の涎を拭った。 「ごめん。また眠りかけてた」 「いや、ちょうどいい。そこの木陰で馬を降りよう」  なだらかな丘陵地帯に二人はやって来ていた。一本の大きな楡の木の側で二人は馬を降りる。  ダグボルトは有無を言わさず、自分とエリッサの馬の鞍一式を外し、連れてきた別の馬に付け替えていく。エリッサはぐったりとした様子で木陰に腰を下ろす。 「本当にすまないね、ダグ……。出発する前に食事を取ったら眠くなるって分かってたんだけねえ。でもこの子の事を考えたら、少しでも栄養を取っておきたかったんだよ」  エリッサは木にもたれかかり、下腹部を優しく撫でている。  それを見てダグボルトは凍りつく。  危うく妊婦を殺めてしまいかねないところだったのだ。 「……身籠ってるとは知らなかったな。もしかしてザイアスの子か?」 「うん。まだ、妊娠二、三ヶ月くらいかな。お腹はほとんど目立たないけどね」 「ザイアスはあんたが身籠ってるとは知らないんだろう? 知ってたら身体に負担がかかるような仕事をさせるはずないからな。なぜあいつに話さないんだ?」 「だって話したら、堕ろせって言われるかもしれないじゃないか。あるいは何も言わずにあたしを捨てるかも……」  エリッサは俯いて弱々しい声で呟く。 「まさか! いくら生活の安定しない傭兵でも、あいつはそんな事しないだろう。つきあいは短いが、そこまで冷酷な男じゃないように思うぞ」 「でもあの人は、家庭のために働くようなタイプの人間じゃないからねえ。戦いで身を立てる事に関しては天才的だけど、他はからっきし駄目なんだよ。まああの人のそんな不器用なところに惚れたわけだから、あたしも大きな事は言えないけどさ」  ダグボルトはエリッサの目をじっと覗き込む。  寂しげ瞳には言いようもない不安が表れている。  彼女を励ますようにダグボルトは優しく肩を叩いた。 「とにかくこの戦いが落ち着いたら、ザイアスとじっくり話し合うんだ。そして出来れば傭兵稼業からは足を洗うべきだ。特に身重のあんたはな」  ダグボルトは強い口調で言った。  エリッサは静かに輝く彼の緋色の瞳を見て、本気で心配してくれているのだと知った。 「ありがとう、ダグ……。そうだね。引退するかどうかは何ともいえないけど、一度あの人と将来についてちゃんと話し合ってみるよ」  エリッサはいつの間にか潤んていた両目を、手の甲でごしごしと拭う。  ダグボルトが積荷の中から水筒を差し出すと、ちびちびと舌を濡らすように水を飲んだ。  そしてすっくと力強く立ち上がる。 「よしっ! あんたのおかげで元気が出てきたよ、ダグ。そろそろ出発しよう!」    **********  『黒獅子姫』は他の団員と手分けして、敵の生き残りがまだどこかに隠れていないか、城塞内の部屋を一つずつ見て回っていた。  今のところは誰も見つけてはいないが、見つけたとしてもザイアス達に引き渡す気にはなれない。城壁から落とされた敵兵達の悲痛な叫びが今も耳に残る。  北東の見張り塔まで来ると、積まれた木箱の陰に地下に続く螺旋階段があるのに気づく。  分かりにくい場所のため、ここはまだ誰も調べていないようだ。  近くにあった燭台を手にして、薄暗い階段を下りていくと微かに死臭が漂ってくる。  地下は湿気が多く、石壁は苔でびっしりと覆われ、床は土がむき出しになっている。  鉄格子の嵌った覗き窓がついた、錆びた鉄扉が左右の壁に五つずつある。どうやらここは地下牢のようだ。  『黒獅子姫』は一番近くの覗き窓から部屋の中を窺う。  燭台の明かりで照らし出される狭い部屋の中には、白骨化した死体が放置されている。少なくとも死後半年は経っているだろう。  暗澹とした気分になった『黒獅子姫』は他の部屋も覗いてみるが、無人か古い白骨死体があるばかりだ。ここはそれほど使われていないのだろうか。  最後の部屋を覗いてみると、そこには襤褸を纏った老人の姿があった。  床にあおむけに倒れ全く動かない。  髑髏のようにげっそりとやつれ、顔は皺だらけで長い髪と髭は真っ白だ。  年齢的には七十を過ぎているものと思われる。手足には包帯が巻かれている。  初め『黒獅子姫』は老人が死んでいるものと思い、入口に引き返そうとした。  だが蝋燭の明かりで照らされた老人は微かに身じろぎする。  それを見た『黒獅子姫』は驚きで一瞬固まる。  しかし老人が再び身体を動かしたのをみると、すぐに入口の壁に掛けてあった鍵束を持ってきて扉を開けた。 「まだ生きとるんじゃな? すぐにここから出してやるぞ」  『黒獅子姫』は老人の側に膝をついて耳元で呼びかける。  すると突然、老人の干からびた唇から微かな言葉が漏れる。 「ミュレイアよ……どうか許し給え……。神命を全うできず……朽ちていく……汝の下僕を……どうか……」  それだけ言うと老人はぐったりとして動かなくなる。  『黒獅子姫』が彼の胸に耳を当てると、心臓は微かに動いていた。どうやら意識を失っただけのようだ。 (『碧糸の織り手』の軍に囚われてたんじゃから、普通に考えればこやつは『紫炎の鍛え手』側の人間という事になるのう。じゃが魔女の下僕が、死にかけとる状況で聖天の女神の名前を唱えるなんて、何かおかしいのじゃ)  『黒獅子姫』は乾いた血と膿で張り付いた老人の手の包帯を外してみた。  ひどい腐臭が漂い、無数の蛆が包帯からぽとぽとと落ちる。  爪が全て剥がされている上に、指先には針で刺したと思われる穴が開いていて、第二関節まで黒ずんでいる。  指先を軽く押してみるとぶよぶよとしていて、壊死しかけているのが分かる。おそらく足の包帯の下も同じような状態だろう。 (酷い拷問を受けとるのう……。それだけ重要な情報を持っとるのかも知れんが、一体何者なんじゃろ? ともあれ『紫炎の鍛え手』側の人間かどうかはっきりしない以上、ザイアスには秘密にしておいた方がよいな)  『黒獅子姫』は老人を抱きかかえる。人間のものとは思えないほど軽い身体だ。  他の団員に見つからないように慎重に牢獄から出て行った。  『黒獅子姫』は気付かなかったが、独房の奥には老人が小石で刻んだ小さな壁画があった――人間の頭蓋骨を胸に抱く女神の肖像画が。    **********  その頂において、聖天の女神が度々信徒に啓示を授けた言われる霊峰ルヴァーナ。  そして霊峰を東に抱くように聳え建つ聖堂都市(ジグラット)。  二つを合わせてレウム・ア・ルヴァーナと呼ばれている。聖天教会の聖地の一つであった場所である。  聖堂都市は中心部に行くほど高度が高くなる、なだらかなピラミッド型に設計されており、最頂部には巨大な大聖堂(カテドラル)がある。それを取り巻く市街地は、かつては巡礼者で賑わっていたものである。  しかし都市を囲む幾度となく修復された形跡のある城壁と、傷だらけの北門、南門、西門の三つの巨大な城門が、輝かしい聖天教会の歴史の暗部を物語っている。  レウム・ア・ルヴァーナは聖堂都市が建設される前は未開の地であり、原始的な土着神を崇拝する名無き氏族(ネームレス)の集落群があった。  だが聖天教会は北部王国の援助の元、聖堂騎士団を結成して、名無き氏族からこの地を奪い聖地としたのだ。  住処を奪われた彼らは、さらに南の密林地帯、深緑の辺獄(グリーン・インフェルノ)へと姿を消した。しかし度々、軍勢を率いて聖堂都市を襲撃したため、聖堂騎士団の一部が常に駐留して防衛任務にあたらねばならなくなったのである。  ダグボルトも聖堂騎士団に所属していた若き日に、このレウム・ア・ルヴァーナの守備任務に就いたことがあった。しかし『黒の災禍』を経て魔女の棲家となった今は、その頃とは大きく様変わりしていた。  整然としていた街並みは失われ、汚泥と白骨化した死体の山、さらに崩れた建物の瓦礫と塵が通りを塞いでいる。  通りのあちこちには長い鉄串が設置され、串刺しにされ腐敗した屍がひどい死臭を放っている。  その上、柄の悪い傭兵グループが外を巡回しているせいか、一般市民は建物の中に引きこもって全く姿を現さない。  『黒の災禍』の後、名無き氏族がどうなったのかダグボルトには分からないが、この惨状を見たらきっと手を叩いてあざ笑うに違いない。タイフォンの街も酷い有様だったが、ここはそれを遥かに上回る。  馬に乗って通りを進むダグボルトとエリッサを、巡回している傭兵達は不審げにじろじろと見る。  しかし特に職務質問などはしてこない。エリッサが馬につけている北狼傭兵団の旗印を知っているのだろう。  あちこちで通りを塞ぐ瓦礫に手こずりながらも、二人はどうにか聖堂都市の中心部にたどり着く。  そこにはかつて巨大な大聖堂があった。  六つの美しい尖塔と華美なステンドグラス、繊細な造りの彫像と装飾で飾られた絢爛たる建造物。  聖天教会の権威の象徴であり、名無き氏族の襲撃で都市の一部を破壊される事はあっても、この大聖堂だけは決して傷つけさせる事は無かったのだ。  だが大聖堂があったはずの場所を見て、ダグボルトは我が目を疑う。  人工美の粋を集めた大聖堂は跡形もなく消失していた。  その跡地に建つのは、様々な種類の金属の合板を裁断し、捩じり、組み合わせた奇怪かつ幾何学的な超巨大オブジェだった。  だまし絵にも似たこの悪夢の産物は、緻密な計算により生み出されたものなのか、ただ無秩序に金属板を組み合わせただけのものなのかすら分からない。  入口となる大門が無ければ、これが宮殿だとは誰も分からないだろう。  しかしこれこそが『紫炎の鍛え手』の棲家であり、彼女が自らの手で創りだした狂気的な芸術品なのだ。 (『黒の災禍』の後、多くの教会が廃墟となっているのを見てきたが、よりにもよって跡地にこんな下品な宮殿を建てるとはな……)  ダグボルトは聖地を穢された屈辱で頭の中が真っ白になる。  怒りを静めるために、無意識のうちに顔の火傷を何度も指でなぞる。 「あんた、どうしたんだい? ずいぶんと顔色が悪いよ」 「……心配ない。少しだけ疲れが出てきただけだ」  心配するエリッサに向けて、ダグボルトは無理に笑顔を作って見せる。  宮殿前広場には四体の『赤銅の異端』に加え、ハルバード(斧槍)を手にした十人ほどの儀仗兵が立っている。全員飾り気の無いプレートメイルを身に着け、その上には炎に包まれた拳が刺繍された真紅のサーコートを羽織っている。  二人が馬を降りてと宮殿に近づくと、すぐに儀仗兵に周りを取り囲まれる。  エリッサは馬の旗印を指さし、儀仗兵達に声を掛ける。 「あたしは北狼傭兵団の副団長エリッサ。こっちは部下のダグボルト。『紫炎の鍛え手』様に今すぐ報告しなきゃいけない事があるから、そこをどいてくれるかい?」  すると儀仗兵の中で、一人だけフルフェイスヘルムを外している壮年の儀仗長が、一歩前に進み出る。白髪混じりの口髭を蓄えた尊大な態度の男だ。 「ほう。いかなる報告だ? 『紫炎の鍛え手』様は多忙なのだ。些事で煩わせるわけにはいかん。代わりに私が聞いておこう」 「こいつは作戦計画に関わる大事な話なんだよ。『紫炎の鍛え手』様にしか話せないね。分かったらさっさとそこを通しな。こっちは急いでるんだよ」  エリッサは儀仗長を睨み付け、あくまでも主張を崩さない。  睨み合いはしばらく続いたが、とうとう儀仗長の方が折れた。 「フン。報告とは『紫炎の鍛え手』様がつい先日下された攻撃命令に関する事だろう? 直接戦果を報告させるのも気の毒だと思ったから、代わりに私が聞いておいてやろうとしたのだがな。善意を無視するというのならそれも良かろう」  エリッサとダグボルトは顔を見合わせる。  どうやら儀仗長は、エリッサ達がガルダレア城塞の攻略命令を受けた事を知っているらしい。  しかも失敗したものと考えているようだ。  だがそれも当然の話だろう。  作戦に加わったダグボルトですら、計画があれほどうまくいったのが、今でも信じられないくらいなのだから。 「さあ、私についてくるがいい」  儀仗長が指を鳴らすと、宮殿入口の巨大な両開きの門扉を二体の『赤銅の異端』が両側から開いた。二名の儀仗兵を連れた儀仗長が先頭を歩き、ダグボルトとエリッサがその後に続く。  エリッサは紺色の布に包まれた荷物を抱えている。  ダグボルトが代わりに持つと言ったのだが、大事な物らしく断られてしまった。  宮殿の中に入ると縦五十ギット(メートル)、横二十五ギットのスロープ状になった広大な廊下が螺旋を描いて地下深く続いている。  赤銅と青銅の金属板を組み合わせた床と壁を見ていると、動脈と静脈の入り混じった巨人の心臓にでも入り込んだ気分になる。 「恐ろしく広い通路だな。こんなところで生活するのは大変そうだ……」  ダグボルトはぼそりと感想を口にする。すると先を進んでいた儀仗長が振り返る。 「ここは『紫炎の鍛え手』様の専用通路だからな。人間用の入口と居住区画は別にあるのだ」 「じゃあなぜそっちを使わないんだ?」 「お前達は急いでるのだろう? 人間用の区画は、あのお方の趣味と防衛を兼ねて大変入り組んだ構造になっているから、こちらの道の方が近道なのだ。私の配慮に感謝して貰いたいものだな」  儀仗長は恩着せがましい態度でそう言うと、再び歩き出した。  その後頭部に殺気立った視線を送るダグボルトに、エリッサは小声で囁く。 「あんな奴の事は気にしなくていいよ。あたしらの戦果を知れば、嫌でも態度を変えざるを得ないからね」 「だがなんで、あいつに戦果を報告しなかったんだ? 戦果の報告と援軍の要請だけなら、わざわざ『紫炎の鍛え手』に直接会う必要は無いと思うがな」 「それじゃあ駄目なのさ。あんたが言う通りの仕事だけなら、それこそシャッコ辺りでも出来る事だよ。でもザイアスはあたしを送り出した。それはなぜだと思う?」  返答に詰まるダグボルト。  するとエリッサは、ダグボルトの額を人差し指で軽く突いて笑顔を見せる。 「答えは簡単。あたしらは傭兵だからさ。傭兵稼業では、ただ戦果を挙げるだけじゃ駄目なんだよ。挙げた戦果を大きくアピールして、雇い主から最大限の評価を貰わなきゃ意味が無いんだ。評価次第で給料も大きく変わってくるし、団の名声が高まって人も増えてくるからね。そういう口の上手さも傭兵には必要なのさ」 「なるほど。戦功の対価はあんたの口先三寸で決まるわけだ。そいつは責任重大だな」 「まあ任せときなよ。交渉能力ならザイアスよりあたしの方が上だからね」  エリッサはそう言ってまた笑顔を見せる。  ダグボルトはタイフォンの酒場での出来事を思い出す。  話術を得意とするからこそ、ああいった芝居をこなせたのだろう。  長い地下通路の果てに巨大な両開きの門扉があった。扉の向こうからは、何かを叩くような金属音が微かに鳴り響いている。 「ここに『紫炎の鍛え手』様がいらっしゃる。無駄を嫌うお方だから、粗相のないように気を付けるがいい」  それだけ言うと儀仗長は指を鳴らす。  巨大な門扉が内側から音も無く開く。  すると部屋の中から、強烈な熱気と白い煙が吹き寄せてきた。  煙が目に染みる。  ダグボルトとエリッサは潤んだ目を何度も拭う。  ようやく視界がはっきりしてくると部屋の中が見て取れる。  そこは直径二百ギットの円形の鍛冶場だった。床や壁には装飾など一切無く、錆が浮いた剥き出しの金属板で覆われている。  部屋の中央には背中を丸めてしゃがみ込む巨大な姿があった。  身長約四十ギット。『赤銅の異端』と同じように、全身は赤い金属板を貼り合わせたような頑強な外殻で覆われている。両肩にはそれぞれ二本ずつ、巨大な金属の排気管が備わっている。  これが『紫炎の鍛え手』に違いない。  『紫炎の鍛え手』の顔を覆う金属板の継ぎ目が、口のようにぱっくりと開いた。  部屋の隅に積み上げられた大きな木箱の一つを手に取ると、『紫炎の鍛え手』は箱の中の石炭をばらばらと口に放り込んだ。  ボオオオオオオオオオオ。  鼓膜を震わす凄まじい音と共に、『紫炎の鍛え手』の背中の四本の排気管から白い蒸気が噴き出す。  すると今度は指先の金属板の継ぎ目が開き、中からどろどろに溶けた熱い鉄が金床に零れ落ちる。 (あいつ、身体の中が溶鉱炉になっているのか? あれが本体だとしたら、とんでもない魔女だな……)  今まで様々な魔女と対峙してきたダグボルトも、あまりに浮世離れした『紫炎の鍛え手』の姿にさすがに驚きを隠せない。 「失礼致します。こちらの北狼傭兵団の者達が、閣下にご報告したいことがあるとの事なのでお連れ致しました」  小さな金床に一心不乱に巨大なハンマーを振るう『紫炎の鍛え手』に儀仗長が声を掛ける。  手を止めて顔を上げる『紫炎の鍛え手』。  顔の外殻には四つの深い空洞があり、その奥の大きな真紅の瞳がエリッサを見つめる。  『紫炎の鍛え手』に直接会うのは初めてだったのだろう。さすがのエリッサもその威圧感に押され、すぐには言葉が出てこない。 「お前の口は飾りなのか? それとも言葉を忘れてしまったのか?」  『紫炎の鍛え手』の体内から耳障りなノイズ音の混じった金属的な声が響く。 「い、いえ。そうではありません! 閣下があまりにも立派な姿だったので、思わず見とれてしまったのです」  慌てて弁解するエリッサ。  しかし『紫炎の鍛え手』の瞳には軽蔑の色が宿る。 「くだらない美辞麗句をつらつらと並べるのは止めろ。そんなものは鼠の糞程の価値も無い。阿諛追従がしたければ『碧糸の織り手』の所にでも行けばいい。それで私への報告とはなんだ?」  『紫炎の鍛え手』は冷淡な口調で尋ねる。  エリッサは深く深呼吸して冷静さを取り戻し、こう返答する。 「はっ。私は北狼傭兵団の副団長エリッサ・モーズリーと申します。まずは北狼傭兵団の団長ザイアスの立案した作戦の元、百舌鳥傭兵団と共闘し、ガルダレア城塞の攻略指令をつつがなく完遂させた事を、ここにご報告いたします」  側にいた儀仗長の顔に信じらないという表情が浮かぶ。  『紫炎の鍛え手』も一瞬沈黙するが、すぐに何事も無いかのように話を続ける。 「指令を完遂……。それはガルダレア城塞を陥落させたと解釈していいのだな?」 「はっ、左様にございます。すでにかの城塞の支配権は閣下の手中にあります。こちらがその証となります」  エリッサは抱えてきた荷物を下ろす。  紺色の布を開くと中から現れたのは禿頭の男の首級、そして潰れた白い豹頭のヘルムだった。 「こ、これはガルダレア城塞の司令官、クルガンの首です!」  首級を見た儀仗長が驚きも露わに言った。  エリッサは首級を包んでいた布を掲げて『紫炎の鍛え手』に見せる。それは蜘蛛と白豹を組み合わせた紋章が縫い込まれた、淡い光を放つ旗布だった。 「そしてこちらの旗は、ガルダレア城塞の尖塔に掲げられていたものでございます」 「うむ。魔力を帯びた布であるところを見ると、間違いなく『碧糸の織り手』が織ったものだ。そなたの報告がまことのものであると認めよう」  『紫炎の鍛え手』は満足げに頷いた。  エリッサは一礼を返すと話を進める。 「しかしながら激しい戦いで北狼傭兵団は団員の半数が命を落とし、百舌鳥傭兵団は団長を失いました。今の兵力ではかの城塞を保持するには不足しています。『碧糸の織り手』が奪還を企てる前に、急ぎ援軍を送って頂けますでしょうか?」 「よかろう。この都から傭兵を五百人程、それと『異端』を三体提供しよう。だが食料などの物資の輸送も必要だし、到着には時間がかかるだろう。まずはガルダレア城塞に近いアモサ砦に早馬を飛ばし、すぐに兵力の半数を守備要員として送るように伝えよう。半数でも二百人ぐらいは提供出来るはずだ」  『紫炎の鍛え手』は即答する。  しかしその言葉を聞いた儀仗長は顔を曇らせる。 「アモサ砦という事は西部方面第二軍団を動かすのですか? ですが彼らからすれば、せっかく命令通り砦を落としたのに、その者達に評価を横取りされたようなものです。その上、兵の半数を提供しろなどと命じては、いい顔をしないと思いますが……」 「黙れ。お前のくだらぬ助言など私は求めてはいない。奴らが我が軍の精鋭部隊である事に疑いはないが、北狼傭兵団と百舌鳥傭兵団の戦果の方が上である以上、そちらを優遇するのは当然の事だ」 「も、申し訳ございませんッ!」  『紫炎の鍛え手』の四つの瞳に睨まれ、儀仗長は青い顔をして押し黙る。  エリッサは二人のやり取りの意味が分からずポカンとしている。  しかしダグボルトはすぐに全てを理解する。 「なるほど、そういう事か。第二軍団とやらにアモサ砦を攻略させるのが、本来の作戦目的だったんだな。だが普通に攻撃を仕掛ければ、近くのガルダレア城塞から援軍を送られ、背後を突かれる危険がある。だからその時刻に別の部隊にガルダレア城塞を攻撃させ、中の敵兵を釘付けにさせておこうとしたんだな」  ダグボルトの呟きでエリッサもようやく理解した。 「そうか! その別部隊ってのがあたしらなんだね。だからわざわざガルダレア城塞の攻撃日時まで指定されてたのか。……閣下、なぜ我々にあらかじめ本当の事を教えてくれなかったのですか?」  エリッサの問いに、『紫炎の鍛え手』は冷淡な口調でこう答える。 「お前達に私の作戦計画の全てを知る必要は無いからだ。それに敵にこちらの意図を悟られぬため、お前達には本気でガルダレア城塞を攻撃してもらう必要があった。ただそれだけだ」 「つまり我々を捨て駒にしたんですね。我々の戦力でガルダレア城塞の敵と正面からぶつかれば、十中八九全滅する事ぐらい閣下には分かっていたはずです!」  エリッサの声からは静かな怒りが伝わってくる。 「捨て駒にして何が悪いのだ。お前達のような金で動く傭兵など、いくらでも代わりはいる。ただの道具に過ぎない事ぐらい自覚しているものと思ったがな」 「……無論、自覚はしています。ですがただの道具だとしても、使い捨てにするのだけはお止め下さい。確かに私達のような傭兵は、金銭で雇われ使役されるだけの存在です。しかし戦果に対する十分な恩賞さえ与えてくだされば、我々は閣下に対してどんな騎士にも勝るだけの忠義を尽くします。ですから我々をただの手駒としてではなく、正当な配下として扱ってください。どうかお願い致します」  声を震わせ、熱っぽい口調で切々と訴えるエリッサ。  ダグボルトには、それが報酬を吊り上げるための演技だとはとても思えない。  きっとこれは傭兵としての彼女の本心なのだろう。  『紫炎の鍛え手』の四つの瞳の光が僅かに揺らぐ。  感情の揺れを示しているのならいいのだが。 「……ザイアスは部下に恵まれているな。いいだろう。正当な配下として扱うかどうかはともかく、働きに報いるだけの恩賞だけは授けよう。確か百舌鳥傭兵団の団長は戦死したのであったな? では代わりに副団長をガルダレア城塞の守備隊長とする。そして北狼傭兵団を西部方面第四軍団とし、ザイアスをその軍団長に任ずる。後で正式な辞令を出そう。それと報奨金として北狼傭兵団と百舌鳥傭兵団にそれぞれ古王金貨千枚を与える。これで兵を増やし軍備を整えるがいい。それから他の軍団長と同じように、ザイアスには私が鍛えた武具を授ける。これで十分か?」  あまりにも破格の報酬を与えられ、エリッサは言葉を失う。 「どうした? お前の口は飾りなのか? それとも言葉を忘れてしまったのか?」 「い、いえ! ザイアスに代わり感謝致します、閣下!」 「感謝など必要ない。あの者を軍団長に任じたのは、優秀な人材ならば最前線に置いておくのが得策であると判断したからだ。その分、私の要求も厳しくなると伝えておくがいい」 「はっ!」  エリッサは喜びも露わに答える。  しかし後ろにいるダグボルトは内心複雑だった。 (ザイアスにはエリッサと一緒に傭兵稼業を引退して貰いたかったんだがな。ここまで重用されるとそれも難しいだろう。いっその事、ここで雇い主の魔女を倒してしまうか……)  ダグボルトは密かに腰のスレッジハンマーに手を伸ばす。  しかし次の瞬間、右腕に無数の痛みが走る。右腕を構成している黒蟻が、ダグボルトを諌めるかのように長手袋の中で皮膚に噛みついていた。 (ミルダ抜きでは力不足だとでも言いたいのか? だが俺だって前に魔女を一人倒してるんだぞ。確かに今は疲労のせいで体調は万全じゃないが、それでも……) 「そういえばそちらの男の名前を聞いていなかったな」  不意に『紫炎の鍛え手』がダグボルトに尋ねる。  驚いたダグボルトは慌ててスレッジハンマーから手を離した。 「いや、俺は名乗るほど大した者では……」 「お前の自己評価など聞きたくはない。お前が有能か無能かは私が見定める事だ。先程の会話で、お前に私の計画を見抜く目が備わっている事は立証された。従って無能ではない。次に有能であるか確認するために、お前の武器を私に見せてみるがいい」 「武器を?」 「うむ。戦士をよく知るには、使っている武器を見るのが一番早い。武器には持ち主の気質、能力などがはっきりと表れるからな。さあ早く見せるのだ」  とても逆らえる雰囲気ではない。  仕方なくダグボルトは、腰のベルトに吊るしたスレッジハンマーを渡す。  『紫炎の鍛え手』の巨大な指で摘まみ上げられたスレッジハンマーは豆粒のように見える。幾多の戦いで敵を殺戮してきた血なまぐさい武具が、今はまるで子供の玩具のようだ。  スレッジハンマーを顔に近づけ、四つの目でじっくりと観察する『紫炎の鍛え手』を見て、ダグボルトは改めてその巨体に圧倒される。 「ほう。これは聖天教会の聖印。お前は教会の関係者だったのか?」 「聖天教会の騎士です。教会が滅びた今はただの傭兵ですが」  ダグボルトは渋々答える。  あらかじめ聖印を隠しておくべきだったと今更ながら後悔していた。  だが『紫炎の鍛え手』の言葉に敵意は籠っていなかった。単に事実を確認しているだけのようだ。  『石動の皇(コロッサス)』もそうだったが、人間の頃の記憶を失っているため、彼女達を魔女に仕立て上げ処刑しようとした聖天教会への恨みも消えているのだろう。 「油を塗ってきちんと磨いてあるが、微かに血脂と脳髄の匂いが残っている。お前が優れた戦士であり、同時に優れた殺人者である事は疑いようもない。これなら今後の活躍も期待できるな」  スレッジハンマーを返されたダグボルトは、心の中で冷静に思考を組み立てる。  すでに彼の中で闘志は失われていた。 (……悔しいが黒蟻共が戦いを止めたのも当然だ。今ここで戦いを挑むのはリスクが大き過ぎる。下手をすると俺だけでなくミルダまで危機に陥れかねない。ミルダが魔力を制御出来るようになるまでの辛抱だ……) 「では二人共、もう下がっていい」  そう言うと『紫炎の鍛え手』は関心を失ったように手を振った。  ダグボルトはエリッサと共に一礼すると、儀仗兵に連れられ退室した。    ********** 「緋色の隻眼を持つ大男、か。あの男のスレッジハンマーには、我が同族(はらから)の血の匂いが残っていた……」  静寂に包まれた部屋の中で、『紫炎の鍛え手』は誰にともなく呟いた 「ダグボルト・ストーンハート。我が主君が申していた通り、あなたの元に現れましたな」  誰もいないはずの部屋で、『紫炎の鍛え手』の頭上から年齢不詳の男の声が返答する。  いつの間に現れたのか、高い天井に鉤爪のついた足甲で蝙蝠のように逆さに張り付く黒装束の男の姿があった。 「だがお前の主の話では、『黒獅子姫』があの男と行動を共にしているはずではなかったか? この宮殿にはあの男とエリッサしか来なかったようだが」 「おそらく今は別行動をとっているだけかと。しかし早晩、奴と共にあなたの前に姿を現すはず。くれぐれも御用心召されよ」  すると『紫炎の鍛え手』は、四つの冷たい瞳で黒装束の男を傲然と睨み付ける。 「人間ごときに言われるまでも無く、『黒獅子姫』は私が必ず返り討ちにする。それよりお前の主君との間で交わされた、私との約束を忘れるな、『影の手(シャドウハンド)』よ。それさえ果たせば『黒獅子姫』の身柄はお前に引き渡そう」 「御意」  天井の影に溶けるように黒装束の男、『影の手』の姿が消える。  『紫炎の鍛え手』は何事も無かったかのように、再び小さな金床に巨大なハンマーを振るい始めた。
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