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4
ダグボルトはドアをノックする音で目を覚ます。
ずいぶん長く寝ていたらしく、身体の節々が痛む。カーテンを閉め切った窓からは、僅かに明かりが漏れている。
ダルダレア城塞に戻ってきた後、ザイアスに交渉の成果を報告してから、与えられた寝室でぐっすりと眠っていたのだ。
「おーい、起きとるかー?」
ドアの外から聞き慣れた声。
ダグボルトはゆっくりとベッドから起き上がる。ドアを開けると『黒獅子姫』が部屋に入って来た。
「おはようじゃ、ダグ。その様子だとだいぶ熟睡しとったようじゃな」
「まあな。エリッサは戻って来たか?」
「いや、まだじゃよ。じゃがアモサ砦からの援軍は到着したぞ。ザイアス達は守備兵をどう配置するか、ずっと相談しとるようじゃぞ」
エリッサは疲労が限界に来ていたため、休息をとらせるために強引にレウム・ア・ルヴァーナに残してきていた。身重の身体に、これ以上負担を掛けさせる訳にはいかなかったからだ。
「レウム・ア・ルヴァーナで『紫炎の鍛え手』に会ってきたぞ」
ダグボルトはベッドに腰掛けるとぽつりと呟く。
「なぬっ!? 正体は見破られんかったか?」
「たぶん大丈夫だ。一人で戦いを挑もうかと迷ったがこいつらに止められたよ」
ダグボルトは右腕を指差して言った。右腕の蟻が当然だといわんばかりにざわめく。
「まあ正直、無理に戦いを挑みたい相手じゃなかったというのもあるがな。何しろ途方も無くでかい身体だったよ。『赤銅の異端』の三倍か四倍はあったな」
「……だとしたら、それは本体ではないぞ。あやつの身体は普通の人間サイズじゃよ。人間だった頃に罹った疫病の後遺症のせいで、容姿にコンプレックスがあって、常に全身に包帯を巻いとったがのう」
「それが高じて、今じゃ巨大な人型装甲の中に引き籠ってるわけか。だが体内は武器を鍛えるための溶鉱炉になってるようだったぞ。あの中は相当蒸し暑いだろうな」
「あやつには高熱を魔力に変換する能力があるんじゃ。きっと溶鉱炉の高温で生み出した魔力で、その巨大装甲を動かしとるんじゃろうな」
「成程、そいつはいい事を聞いた。いずれ戦う時に役に立つかも知れないから覚えておこう」
ダグボルトは両腕を組んで頷いた。
『黒獅子姫』がその隣にちょこんと腰掛ける。
「わしからも報告があるぞ。おぬしがおらん間に、城内の地下牢に囚われてた捕虜を見つけたんじゃ。酷い拷問を受けとったから、わしがこっそりと保護して、出来る限りの手当てをしたんじゃが、何も話してくれんのじゃ。自分の名前すらのう」
「こっそり保護? ザイアスにはそいつの事は伝えてないのか?」
「うむ。『紫炎の鍛え手』の側の人間ではないみたいじゃったからな。わしには軍属と言うより教会関係者に見えたがのう。わしが見とらん所で、ぶつぶつとミュレイアに祈りを捧げとるようじゃよ」
「教会関係者か……。それなら俺が会ってみよう。何かわかるかも知れん」
ダグボルトの頭に、タイフォンの街で乞食から聞いたレジスタンスの名が浮かぶ。
もしその捕虜が劫罰修道会の関係者なら、『黒獅子姫』の判断は正しかった事になる。
ダグボルトは『黒獅子姫』に連れられ、今は使われていない地下の食料貯蔵庫にやって来る。
がらんとした真っ暗な部屋の中で、温かい毛布に包まれ一人の老人が微睡んでいる。
地下牢に幽閉されていた時と異なり、『黒獅子姫』の手により清潔な衣服に取り替えられ、垢だらけの身体はお湯に浸した布で綺麗に拭われている。
ダグボルトは老人の顔を見て驚きの声を上げる。
「ウォーデン先生!!」
ダグボルトが老人の身体に縋り付いたのを見て『黒獅子姫』も驚く。
「こやつと知り合いじゃったのか、ダグ?」
「ああ。俺が聖天教会に入ったばかりの頃に、神学校で世話になった恩師だ。まさか『黒の災禍』を生き延びていたとはな」
ウォーデンの包帯に包まれた両手を握りしめるダグボルト。
包帯の奥からはむっとするような腐敗臭が漂う。中を見ずとも壊死しているのだと分かった。
「ダグ……ボルト……?」
ウォーデンの口から微かな囁きが漏れる。薄く開いた目がダグボルトをじっと見つめている。
「信じられん……。この悪夢のような世界で……おぬしと再会できる日が来ようとは……」
「俺もです。あなたとまたお会いできて、こんなに嬉しい事はありません」
「以前とはずいぶんと変わり果てているが……それは儂も同じだな……。時にダグボルト……。信仰は……まだ捨てておらぬだろうな……」
探るような眼差し。
拷問で酷い傷を負いながらも、その瞳には厳格な強い意志の輝きが宿っている。
ダグボルトは一瞬、十代の頃に戻ったかのような錯覚を受ける。教会の学び舎でウォーデンの厳しい教示を受けていた頃に。
「もちろん失ってはいません。絶望の日々にあっても、聖天の女神への信仰だけはしっかりと心に残っています」
ダグボルトはウォーデンの目をしっかり見据え、はっきりと答える。それで安心したのか、ウォーデンは軽く相好を崩す。
「よかった……。まだ希望は失われてはいなかった……。恥を忍んで……自ら命を絶たなかった甲斐が……あったというものだ……」
そこでダグボルトは心の中の疑問を口にする。
「もしかして先生は劫罰修道会のメンバーなんですか? 噂では魔女に対抗するレジスタンス組織だと聞いてますが?」
「ああ、そうだ……。劫罰修道会は……魔女の撃退と……聖地奪還を目的として……結成された……。儂もその仲間だ……」
「ですが聖女が率いているとは本当なんですか? セオドラは死んだんですよ。他に聖女がいるとは思えませんが」
「シスター・セオドラに代わる……新たな聖女が現れたのだ……今はそれしか言えん……。ダグボルトよ……儂と共に来てくれ……。おぬしのような……信仰厚く優秀な騎士が……同志になってくれれば……心強いと言うもの……」
「それは……」
ダグボルトは返答に詰まる。すると急にウォーデンが苦しみだした。
「ううっ……」
「先生ッ!?」
ダグボルトが身体を揺すって声を掛けるが返事は無い。
ウォーデンは意識を失っていた。汗ばんだ額に手を当てると高熱があるのが分かる。
「ミルダ、先生の容態はどうなんだ? 助かりそうなのか?」
「薬草で病状の悪化は抑えとるが、はっきり言って、このままでは確実に死ぬじゃろうな。今からじゃ手遅れかも知れんが、ちゃんとした医者に見せて、壊死した手足の指を全部切ってもらうしかなかろう。これ以上壊死が進行したら取り返しがつかなくなるぞ」
ダグボルトは、毛布に包まれたウォーデンの身体を抱きかかえ、ゆっくりと立ち上がった。
「先生の言ってた聖女が本物なら、癒しの秘跡が使えるはずだ。先生が意識を取り戻したら、居場所を聞き出して会いに行ってみないか?」
ダグボルトの提案に目を丸くする『黒獅子姫』。
「本気で言っとるのか、ダグ? さっきの話を聞いとったが、魔女を撃退するとか新しい聖女が現れたとか、胡散臭い事ばっかり言っとったではないか。本当に信用して大丈夫かのう?」
「正直、俺も聖女なんて胡散臭いとは思うが、先生は嘘をつくような人じゃない。何の根拠も無くあんな事を言うとは思えん。たとえ聖女じゃなかったとしても、それに近い何らかの力を持ってるはずだ。劫罰修道会とやらに加わるつもりはないが、信頼できそうな相手なら共闘するのも悪くないと思うがな」
「…………」
「それともお前の魔力が元に戻るまで、ここで傭兵ごっこを続けるか? 不毛な殺し合いを続けるのに、お前もうんざりしただろう?」
「……そうじゃな、確かにあんな無意味な殺戮はもうたくさんじゃ。おぬしがそこまで言うなら、一か八かに賭けてみるかの」
『黒獅子姫』を納得させる事に成功して、ダグボルトはほっとした顔をする。
いろいろと理屈をつけていたが、実際は恩師の命を救いたいというのが一番の理由なのだ。
「だがそうなると傭兵団から脱走する必要がある。嘘の事情を説明して抜けさせてもらうにしても、ザイアスが素直に認めるとは思えないからな。となると計画を練る必要があるな……」
「計画なんか必要ないぞ。正門から堂々と出て行けばいいんじゃ。誰かに呼び止められたら、ザイアスの指示だとでも言って適当に誤魔化せばよいのじゃ。ザイアスは今かなり忙しいみたいだから、わしらの動向に気を払う暇なんかないじゃろう」
「そいつは幸いだな。なら、すぐに旅の支度に取りかかろう」
**********
――ザイアスへ。
いざこざがあった白豹傭兵団の連中を運良く片付けられたので、
旅を続けるためミルダと共にここを離れさせてもらう。
お前さんの策略で強引に仲間にさせられたとはいえ、
別に恨んではいない。
短い間だったが世話になった。
それとエリッサがお前さんに大事な話があるそうだ。
忙しいだろうがしっかり聞いてやってくれ。
俺の私見だが、お前さんはそろそろ傭兵を引退した方がいい。
今回のようなぎりぎりの戦いを続けてたら、
いつか必ず命を落とすだろう。
一刻でも早く戦いを捨て、
エリッサと一緒に穏やかな生活を送るべきだ。
俺も人の事は言えない身だが、老婆心で忠告しておく。
ではさらばだ。
お互い命があればまた会おう。
ダグボルト・ストーンハート
要点だけを記した簡潔明瞭な内容の手紙。
急いでしたためたものとはいえ、飾らない性格のダグボルトらしい文章だ。
それをベッドの脇のサイドテーブルに四つ折りにして置いた。
ダグボルト達がいなくなった事に気付けば、ザイアスはこの手紙を読んでくれるはずだ。
「準備は済んだかの?」
『黒獅子姫』の問いにダグボルトは黙って頷く。
『黒獅子姫』は城塞にあった荷馬車を拝借していた。ダグボルトが毛布に包まれたウォーデンと食料を荷台に載せると、『黒獅子姫』が御者台に乗り込む。
陽はすでに翳り、夜の帳が落ちかけている。
修理中の東門の門番にザイアスからの指示だと伝えると、何の疑いも無く通してくれた。
愛馬に乗ったダグボルトが先導し、二人はガルダレア城塞を去った。
**********
木造家屋の焼け焦げた骨組みが、干からびた大蛇のような歪な姿を残している。
焦げた木の板に名前を刻んだだけの、急ごしらえの墓が至るところにある。
傭兵による略奪と虐殺の犠牲となった村の中に生者の気配は無い。
だがこの廃墟と化したヘインマリア村こそが、意識を取り戻したウォーデンから聞き出した劫罰修道会の現在の活動拠点だった。
仮に事情があって別の拠点に移っていたとしても、メンバーにだけ分かる形で次の場所を示してくれているはずだという。
しかしそれだけ伝えるとウォーデンは再び意識を失っていた。
ガルダレア城塞を発ってからすでに五日が過ぎている。
ウォーデンはしょっちゅう咳き込んでいて、高熱の身体は震えが止まらない状態だった。
ダグボルトとしては聖女の力が本物である事を信じるしかない。
「この格好は少し目立つ気がするな」
ダグボルトは、鎧の上に羽織っている長袖の青いサーコートを弄りながらぼやく。
「そんな事無いのじゃ。せっかくがわしがあげたんだから、文句言うでないのじゃ。そのサーコートは魔力を帯びとるから、すごく強靭なのじゃぞ」
この青いサーコートは、『黒獅子姫』がクルガンから奪ったものだった。
ダグボルトは先の戦いでマントを裂いてしまったので、代わりとして貰ったのだ。
『黒獅子姫』には全くサイズが合わないが、長身のダグボルトにはぴったりと合っている。
「仕方ない。今はこれで我慢するか。あのマントはいずれどこかで縫ってもらわないとな」
「なぬ? まだあれを着る気なのか? あんなボロボロのマント、さっさと捨ててしまえばよいのじゃ」
「あれは『黒の災禍』の前から着てたマントだぞ。言うなれば俺の相棒みたいなもんだ。お前なんかより遥かに付き合いが長いんだからな」
ダグボルトはなおもブツブツと文句を言っている。『黒獅子姫』はもうマントの事は二度と口にするまいと思った。
「もうよい。それなら好きにするのじゃ。それより劫罰修道会の連中はどこに隠れとるのかのう?」
「先生の話だと村の北側にある教会跡地らしい。とりあえずそこに行ってみよう」
二人は教会の前にやって来た。
素朴な石造りの建物は倒壊して土台だけが残されている。
ウォーデンがまだ意識を取り戻さない為、ダグボルトと『黒獅子姫』は手分けして跡地を捜索する。
やがてダグボルトは礼拝堂跡の説教台がスライドするのに気づく。
説教台を動かしてみると、そこには地下に続く階段があった。
長い梯子を降りると、比較的最近に掘られたと思しき細い通路があった。今降りてきた穴から差し込む日の光以外に明かりは無い。
ダグボルトは懐から握り拳大の蛍石を取り出した。何回か振ると蛍石が輝き出した。それをダグボルトはヒーターシールドの窪みにはめ込む。
「明かりを持ってる俺が先に行く。悪いが俺の代わりに先生をおぶってくれ」
「分かったのじゃ」
一本道の狭い通路は人ひとりが通るのがやっとだ。
五十ギット(メートル)ほど進むと開けた場所に出る。そこは五ギット四方の部屋になっていて、四隅に篝火が焚かれている。
奥の壁には頑丈な鋼鉄製の門扉が取り付けられている。
ダグボルトは『黒獅子姫』を通路の中に留め、ひとり部屋の中に踏み込む。
だが次の瞬間、二本の矢がダグボルトを襲う。奥の壁のひび割れに偽装された、二つの隠し弓狭間から放たれたものだ。
一本はダグボルトの掲げるヒーターシールドに刺さる。
そしてもう一本はダグボルトの右肩に刺さる――かに見えて鏃が粉々に砕け散る。魔力を帯びたサーコートの力だ。
「待ってくれ!! 俺達は『碧糸の織り手』の兵士に捕えられていたウォーデン先生を救出してきたんだ。頼むからここを通してくれ」
背後に向かって頷くと、『黒獅子姫』がウォーデンを背負って現れる。
ダグボルトは弓狭間の奥にいる者達に顔が見えるように、気を失っているウォーデンの顎をそっと上げてみせる。
「ウォーデンめ。素性も知れない連中にこの場所を教えるとはな……。とにかく武器を捨てろ!」
弓狭間の奥から、今度は矢の代わりに苛立った男の声が放たれる。
ダグボルトは大人しく従い、スレッジハンマーとヒーターシールドを地面に置いた。
『黒獅子姫』もウォーデンをそっと地面に寝かせると、ガルダレア城塞の武器庫から拝借してきたシミターを鞘から抜いて床に落とした。
「俺はダグボルト・ストーンハート。ウォーデン先生と同じ聖天教会の人間で、彼とは古い知り合いだ。決して怪しい人間じゃない。先生が目を覚ませば、俺の言っている事が真実だと証明してくれるはずだ」
ダグボルトは敵意がない事を示すために、両手を上げて一歩前に進み出る。
しかし警告するかのように目の前の地面に矢が刺さる。
「それ以上こっちに近づくな!! ウォーデンが何と言ったとしても、貴様らのような胡散臭い連中など全く信用出来ん!!」
壁の向こう側にいる男が吐き捨てるように言った。
「何でウォーデンの野郎は捕えられた時に自分で命を絶たなかったんだ。死にぞこないの老いぼれのくせに、命を惜しむとは恥知らずな奴だ」
もう一人の男が忌々しげに呟く。
それを聞いた瞬間、『黒獅子姫』の瞳孔が猫の目のように細くなる。
「なんじゃと? 今の言葉はちょっと聞き捨てならんのう」
『黒獅子姫』が奥に向かって歩き出す。
足止めしようと地面に矢が何本も撃ち込まれるが、まるで意に反さない。
「止めろ、ミルダ! 交渉なら俺がする。だからここは任せてくれ」
「もうよい。こんな連中と交渉などしなくてもよいのじゃ。わしはもう頭にきた」
「それは俺だって同じだ! だがここで暴れたら、何しに来たのか分からなく――」
「わしは『交渉しなくてよい』と言ったんじゃぞ。聞こえんかったかのう、ダグ?」
『黒獅子姫』は冷たく言った。
聞く者の心臓を凍てつかせるような硬質な響きの声。
ダグボルトの顔がさっと青ざめる。
『黒獅子姫』は弓狭間のある壁に向かってこう言い放つ。
「おぬしら、『碧糸の織り手』の手下から命を懸けて秘密を守ったウォーデンに、申し訳ないと思わんのか? 聖女が率いる組織なんて言うから、どんなもんかと思っとったが、結局はただの詐欺集団だったみたいじゃな。おぬしらには未来永劫、魔女は倒せんぞ。仲間を見捨てるような人間の屑に担がれる聖女なぞ、偽物に決まっとるからのう。勝手にくだらないレジスタンスごっこに興じておればよいわ」
一瞬の沈黙。
続いて『黒獅子姫』目がけて二本の矢が放たれる。
だが彼女は、それを容易く両手で掴み取った。
「そうか、そうか。これがおぬしらの流儀なんじゃな。それなら、わしも同じ流儀でお返ししてやるぞい」
手にした二本の矢を、手首を返して投げ返す『黒獅子姫』。
矢はそれぞれ、二つの細い弓狭間の中に吸い込まれるように消えていく。
悲鳴が二つ。続いて苦痛の呻き声が壁の向こうから聞こえてくる。
「最悪だな……。どうやって、この事態に収拾をつけたらいいんだか……」
取り返しのつかない状況にダグボルトは頭を抱える。
すると奥の壁の門扉が音を立てて開き、中から一人の少女が姿を現す。
年は十七、八くらい。清楚だがどこか人間味の欠落した美しい顔立ち。
瞳は明るいブルー。艶のある長い金髪で、前髪は眉のあたりで切りそろえられている。
長身の身体に、白のプレートメイルと真紅のマントが映える。
ペガサスが描かれたカイトシールドを背負い、腰にはバスタードソードを佩いている。
「い、いけません、ウォズマイラ様! ここは我らに任せてください!」
金髪の少女に続いて十人ほどの武装した修道士(モンク)が現れる。
その中のクロスボウを手にした二人の修道士の肩には矢傷があり、苦痛に顔を歪めている。先程まで弓狭間の奥にいた者達だろう。
「退がっていて下さい。あなた達の力では魔女を倒す事など不可能ですから」
「ま、魔女ですと!?」
修道士達は絶句する。
魔女の手下どころか、魔女そのものが乗り込んで来たとは思いもしなかったのだろう。
『黒獅子姫』の顔に、ほんの僅かながら賞賛の色が浮かぶ。
「瞬時にわしの正体を暴くとは大したもんじゃな。もしや、おぬしが劫罰修道会を率いる聖女か?」
「……あなたは『碧糸の織り手』でも『紫炎の鍛え手』でもありませんね。あの二人が手勢も連れずに、自ら敵陣に乗り込んでくるとは考えられませんから。しかもあなたは、魔女にしては幾許かの理知性を宿しているように見えます。一体何者なのですか?」
「知りたければ力づくで聞き出してみたらどうじゃ? さっきの連中を見る限り、物事を暴力で解決するのが劫罰修道会のやり方なんじゃろ?」
「私達の暴力は、あくまでも狂える魔女に対する正当防衛です。しかしそれ故に、魔女や魔女の下僕に対しては一切容赦しません。戦いをお望みならば喜んでお相手致します」
ウォズマイラと『黒獅子姫』の間で、殺気に満ちた冷たい視線が火花を散らす。
慌ててダグボルトが二人の間に割って入る。
「待て!! 俺の話を聞いてくれ!! これには深い事情があるんだ!! ミルダも少し落ち着け!」
だが『黒獅子姫』はダグボルトを押しのけて、ウォズマイラの眼前に対峙する。
「ダグ、この娘は話し合いの通じる相手ではないのじゃ。……のう、おぬし。ここは刃で語り合うというのはどうじゃ? 聖女とやらの力、この目で見極めてやるのじゃ」
『黒獅子姫』はシミターを拾い上げると上段の構えを取った。
「望むところです。私としても、魔女を滅ぼした実績を作るいい機会になりますからね」
ウォズマイラもそれに答え、バスタードソードとカイトシールドを構えた。
やむを得ずダグボルトは、ウォーデンの身体を抱きかかえて部屋の隅に下がる。修道士達もおとなしく壁際に寄った。
「聖天にありて我らを導きし女神ミュレイアよ。邪悪と戦わんとする汝の敬虔なる下僕が、冷たき刃に斬奸の神力を宿す事を許し給え」
バスタードソードを額に掲げ、神への祈りを捧げると、刃が青白く神々しい輝きを帯びる。
ウォズマイラが先に仕掛けた。
薄暗い部屋を横一文字に走る閃光の軌跡。
鋭い斬撃を『黒獅子姫』はシミターで受け流す。だが輝きを帯びた剣を見て少し動揺したのか、ウォズマイラが手首を返して放った二撃目を僅かにかわしそこなう。
『黒獅子姫』の白い頬に一筋の赤い線が走る。
いつもならばその傷は瞬時に塞がるはずだ。
だが今は違う。
開いたままの傷口から、ぽたぽたと血が流れ落ちる。
「神気を帯びた武具には魔女を殺す力が宿ります。聖女である私の前では、あなたはもはや不死身ではありません」
ウォズマイラが厳かに宣告すると、周囲の修道士達は歓声を上げる。
神気――それは魔女の魔力と対をなし、聖女に宿りて魔女を滅する聖なる力。
その力を持っているという事は、間違いなく聖女であるという事を示している。
だが『黒獅子姫』は、懐疑的な冷たい眼差しで彼女を見ていた。
「ほほう。確かにおぬしは聖女の力を持っとるようじゃな。それは認めてやるのじゃ。じゃが、それがどうだと言うんじゃ? 聖女を聖女たらしめるのは、決してただの力ではないのじゃ。少なくともセオドラは、力で人々を善の道に導こうとはせんかった。おぬしがその事に気づいとらんのなら、とても聖女とは呼べんのう」
『黒獅子姫』の侮蔑的な言葉に、ウォズマイラの整った眉根に僅かに皺が寄る。
表情こそ崩さないが、静かな怒りが伝わってくる。
「あなたには本当に驚きです。魔女の分際で、私に聖女の在り方を説こうと言うのですか? あなたの教導を受けるほど、私は落ちぶれてはいませんッ!」
冷たい刃が再度、『黒獅子姫』を襲う。
受け流しても、受け流しても、止め処無く放たれる斬撃。
『黒獅子姫』はウォズマイラを口汚く罵るが防戦一方で、徐々に後退していく。
ウォズマイラの神気と、怒りを帯びた刃を受け続け、ついに『黒獅子姫』のシミターが砕ける。
鋼の欠片が、星々のような数多の煌めきとなって宙空を舞う。
「ミルダ!!」
ダグボルトは思わず叫ぶ。
普段ならば『黒獅子姫』を助ける為、迷う事無く駆け出していただろう。
しかしダグボルトは気づいていた。
『黒獅子姫』が挑発を繰り返すばかりで、一度も攻撃を仕掛けていない事に。
何か意図があるのは間違いない。こういう時は信じて黙って見ていた方がいいと、本能的に理解していた。
「これでお終いですッ!!」
ウォズマイラはカイトシールドで『黒獅子姫』を牽制し、一歩退いたところに中段から必殺の突きを見舞う。心臓目がけて冷たい刃が滑り込む。
大人しく見守っていたダグボルトの心臓が一瞬止まる――。
だが次の瞬間、驚きの声を上げるウォズマイラ。
「こ、これは!?」
いつの間にか『黒獅子姫』は、獅子の顔を象った意匠の施された漆黒のラウンドシールド(大型の丸盾)を手にしていた。
ラウンドシールドの獅子の顔が刃に噛みつき、心臓への一撃を文字通り食い止めている。
それに加え、レザーメイルを着ていたはずの身体には、代わりに流麗な漆黒の鎧を身に着けている。右手には漆黒のバスタードソードまで持っていた。
それら全て、魔力で生み出された黒蟻で構成されたものだ。
「おぬしが窮地に追い込んでくれたおかげで、防衛本能が働いたみたいじゃな。おかげで身体から溢れる魔力を、完全にコントロール出来るようになったぞい」
そう。
これが本来の力を取り戻した『真なる魔女』――『黒獅子姫』の戦闘形態。
ダグボルトは、フルフェイスヘルムの中で深い安堵のため息をついた。
「ずいぶん無茶をしたな。いつもの事とはいえ、今回ばかりは冷や汗をかいたぞ」
「すまんのう、ダグ。じゃが、このぐらい強力なショックを自分に与えんと、魔力を制御する力を取り戻せんと思ってのー。あやつの神気を見て、一か八かに賭けてみたんじゃが、うまくいって良かったのじゃ。……それでおぬしはどうする? わしはもう戦いを終わらせてもいいんじゃが」
『黒獅子姫』はウォズマイラに向かって優しく呼びかける。
だがそれとは対照的に、『黒獅子姫』の小さな身体からは強烈なプレッシャーが発せられる。
「私は決して悪に屈したりはしませんッ!! 人々の希望を絶やすわけにはいかないんです!!」
ウォズマイラは気圧されそうになるが、自らの心を奮わせるように叫んだ。
獅子の口から刃を引き抜き、『黒獅子姫』の喉に鋭い突きを繰り出す。
『黒獅子姫』の手の中で、漆黒のバスタードソードが、瞬時に漆黒のウィップ(鞭)へと姿を変える。身体を捻ってウォズマイラの突きをかわすと、ウイップを剣に絡み付かせ。彼女の手からもぎ取る。
それと同時に足を払われ、ウォズマイラの身体は地に伏していた。
立ち上がろうとしたウォズマイラの首に、漆黒のバスタードソードが突きつけられる。
ほんの僅かの間の攻防。
だがそれだけで二人の戦いには決着がついていた――ウォズマイラの完敗という形で。
『黒獅子姫』の身に着けていた漆黒の鎧や盾が形を失う。
鎧は裾の短い黒いフード付ローブ、剣は膝上までの黒のロングブーツに変わる。
盾は黒き獅子となり『黒獅子姫』の側に侍る。
「筋は悪くないのじゃ。じゃが教科書通りの模範的な戦い方じゃ、わしはおろか『碧糸の織り手』や『紫炎の鍛え手』にも勝てんのじゃ」
「これが本気の魔女の力……」
思わずその場に片膝をつくウォズマイラ。
それでも聖女としての威厳は保ったままだ。
「ウォズマイラ様ああッ!!」
修道士達が次々とウォズマイラに駆け寄る。
そして彼女を守るように『黒獅子姫』の前に立ち塞がった。皆、死兵となる覚悟を決めているようだ。
『黒獅子姫』の顔に微かな笑みが浮かぶ。
「詐欺集団というのは、撤回した方が良さそうじゃな。それじゃ、後の事はおぬしに任せるのじゃ」
そう言って『黒獅子姫』はダグボルトの方を見る。
ダグボルトは、意識の無いウォーデンの身体をウォズマイラの前にそっと横たえた。
「先生は『碧糸の織り手』の兵士に拷問を受けて、手足の指が壊死してる。すでに壊死はかなり進行して身体も衰弱し切ってる。医者に見せて手足の指を切る事も考えたが、あんたが本当に聖女なら癒しの秘跡が使えるだろうと思ってな。それでここに運んできたんだ」
ダグボルトは縋るような目でウォズマイラを見る。
「どうだ? 治せるか?」
「……私の聖女としての力は、まだ完全なものではありません。しかし未熟ながらも癒しの秘跡を使う事は可能です」
ウォズマイラはウォーデンの右手をそっと握る。
するとその手が柔らかい光を放った。
先程、剣に与えたのとは対照的な、ぬくもりに満ちた温かい輝きだ。
ウォズマイラが手を離すと、長い針を刺されたと思しきウォーデンの指先の傷が全て塞がっている。黒ずんだ指には生気が戻り、少しずつだが血が通い始めたようだ。
「これぞまさしく女神の恩寵だ……」
雷にでも打たれたようなショックを受け、ダグボルトはやっとの思いで呟いた。
『黒の災禍』が起きる前、ダグボルトは『真なる聖女』セオドラが怪我人や病人を癒す姿を度々見ていた。初めは目の前で起きた奇跡に素直に感動していたが、やがてはその姿を見ても何も感じなくなっていった。
だがセオドラが亡くなった今、こうしてまた秘跡の力を目の当たりにして、自分がいかに愚かだったか思い知らされる。
周りの修道士達も、ウォズマイラの献身的な姿に心を打たれているようだ。中には涙を流している者すらいる。
ウォズマイラは壊死した手足に次々と触れ、瞬く間に全ての傷を治してしまった。
「これで傷の方は大丈夫です。しかし身体の方は衰弱が激しいようですから、当分は安静にさせた方がいいでしょう。後の事は我々に任せて下さい」
ウォズマイラが合図すると、修道士達はウォーデンを抱えて扉の奥に入っていった。
ダグボルトと『黒獅子姫』も、ウォズマイラと共に扉の向こうに足を踏み入れる。
三人の後ろで鋼鉄の扉が閉まる音がした。
扉の向こうは土を掘って塗り固められており、無数の手狭な部屋で構成された地下拠点となっていた。
狭い廊下ですれ違う修道士の何人かは苦しげに咳き込んでいる。通気口は幾つかあるが空気の悪い環境のようだ。
二人は廊下を抜け、最奥部にあるウォズマイラの執務室に案内される。
そこもまた簡素な造りの部屋だが、壁の本棚から溢れた本がそこかしこに乱雑に積まれていた。部屋の奥にはひっそりと傷だらけの書物机がある。
ウォズマイラは本の山を掻き分け、客人用の椅子を引っ張り出して二人に勧める。
そして自分は書物机の椅子に腰かけた。
「済みません。修道長から、聖女としての品格に欠けると度々注意されているんですけど、どうも片付けは苦手でして……」
ウォズマイラは申し訳なさそうに言った。
「ええと、それでは改めて自己紹介しましょうか。私はウォズマイラ・メイレイン。聖女として劫罰修道会を率いている……と言う事にしておきましょうか」
歯切れの悪い物言いにダグボルトは首を傾げる。
だがウォズマイラの目を見て、まだ自分達を信用し切れていないのだと気付く。色々と隠している事がありそうだが、簡単には話してくれなそうだ。
今度は戦いではなく、対話によって、二人が敵となるか味方となるのかを見定めようとしているのだろう。
「入口でも名乗ったが、俺はダグボルト・ストーンハート。聖天教会の元審問騎士だ。そしてこいつは……」
「『黒獅子姫』。人間名はミルダ・シュトラウス。どっちでも好きな方で呼んでくれて構わんのじゃ」
「ではミルダさんと呼ばせて頂きます。……ところで見張りの者のウォーデンへの暴言をお許し下さい。彼らは、聖女である私を守らなければならないという義務感が強過ぎるんです。だから私の身に危機をもたらしかねない、ウォーデンの軽率な行為を許せなかったんでしょう」
「そうじゃな。さっきのあやつらの行動で、おぬしに強い忠誠心を持っとる事は良く分かったのじゃ。荒廃したこの世界で、おぬしが人々の精神的支柱となりうる存在である以上、命を投げ打ってでも守りたくなるのは当然かもしれん。じゃがそれでも、仲間を犠牲にするようなやり方は、心情的には我慢出来んのじゃが」
するとウォズマイラは訝しげな顔をして『黒獅子姫』を見る。
「どしたんじゃ? わしの顔に何かついとるか?」
「……あなたは本当に魔女なのですか? 魔力をその身に宿す以上、魔女なのは間違いないですが、どうしてもあなたが他の魔女のように邪悪な存在には見えないのです。魔女としては――いえ、例え人間だったとしてもあなたは優しすぎる……」
「優しい事は優しいが、こいつが行動するとなぜか大惨事になってばかりだけどな。さっきだって俺が交渉するって言ったのに、気付いたら流血の惨劇になってたんだからな」
ダグボルトが急に口を挟んだ。
その言葉が耳が痛い『黒獅子姫』は気まずそうに咳払いをする。
「コホン。ところでおぬしにひとつ聞きたいんじゃが、聖女の力はどうやって手に入れたんじゃ?」
「それは……」
「少なくともミュレイアに貰ったものではないはず。そうじゃな?」
「何ッ!?」
驚きの声を上げるダグボルト。
『黒獅子姫』はさらに続ける。
「『真なる聖女』と呼べるのは、ミュレイアに直接力を与えられた乙女だけなのじゃ。おぬしは何らかの手段で聖女の力を得てはおるが、じゃがやはりそれだけの存在じゃ。こういう事は言いたくないんじゃが、おぬしは『偽りの聖女』じゃな」
沈黙。
『黒獅子姫』の衝撃的な言葉を前に、誰も言葉を発しようとはしない。
ただ時間だけが過ぎていく。
突然、天井のオイルランプの軸棒の先の火がパチッと小さく爆ぜた。
その音で金縛りが解けたかのように、ついにウォズマイラがゆっくりと口を開いた。
「……確かにあなたの言うとおり、私の力は聖天の女神から授けられたものではありません。でも聖女の力を持っている以上、『偽りの聖女』などと言われる道理はありませんよ」
「だとしたら、あんたはどうやって聖女の力を手に入れたんだ?」
ダグボルトの問いに、ウォズマイラはあいまいに微笑む。
「それは後でちゃんとお話しします。でもその前に一つ聞かせてください。ミルダさんは、なぜ私が聖天の女神から力を授けられていないと分かったのですか?」
「もしおぬしが新たな『真なる聖女』なら、ミュレイアは事前にわしに伝えとるはずじゃ。なぜならわしは……」
「『真なる聖女』の対を成す『真なる魔女』だね!」
不意に二人の背後から男の声。
振り返ると背の高い修道士が立っていた。
他の修道士同様に、こげ茶色の修道服を纏った長身痩躯の男。四十代くらいと思われるが、皺ひとつ無いゆで卵のようにつるりとした顔。
髪も眉も無く、耳の先は尖っている。瞳はかなり薄いブルーのため、白目を剥いているようにも見える。
明らかに浮世離れした異様な風采だ。
「テュルパン修道長! お願いですからノックしないで部屋に入るのは止めてください。私にだってプライバシーがあるんですから」
「ああ、ごめんごめん。興味深い話が外に聞こえてきたんで、つい、ね」
「ハァ……。それでさっきの発言はどういう意味ですか? 『真なる魔女』とは何なのですか?」
「おそらくだけど、聖天の女神によって創りだされた、悪の心が強き人間を導きし存在。違うかな?」
テュルパンは期待に満ちた眼差しで『黒獅子姫』を見る。
仕方なく『黒獅子姫』は答えた。
「……うむ。正解じゃ」
「素晴らしい!! やはり私は正しかった!! 私こそが聖天の女神の、真の代弁者なのだああッ!!」
テュルパンは快哉の雄叫びと共に大仰なガッツポーズをとった。
ダグボルトと『黒獅子姫』がポカンとしているのを見て、テュルパンはすぐにしゃんとする。
「ああ、ごめん。少し取り乱してしまったみたいだね」
「それではまず自己紹介から始めてはいかがでしょう?」
ウォズマイラは冷たく言った。
ダグボルトと『黒獅子姫』は、珍しい昆虫でも見るような目でテュルパンを見ていた。
わざとらしい咳払いをすると、テュルパンは緊張感の無い口調で仕切り直す。
「あー、私はテュルパン・ガイスター。この劫罰修道会の修道長であり、聖女の下で信者を纏める役を担ってるんだ。お二人さん、よろしくね」
二人の返事を待とうともせず、テュルパンはさっさと話を続ける。
「さて、さっきの話の続きだ。私は聖天教会に所属してた頃、聖天の女神が善人を導く聖女だけでなく、悪人を導く魔女も一緒に生み出したんだって説を唱えたんだけどね。それでヴィクター(クレメンダール教皇)の怒りを買っちゃったんだ。何しろ彼は魔女狩りの提唱者だ。聖天の女神が魔女を生み出したなんて認められるはずも無い。どれだけ脅されても主張を崩さなかった私は、とうとう教会を破門されちゃったんだよ。だけどこうして長い時を経て、私の説が正しかった事が実証される日が来ようとはねえ……」
目頭を服の裾で押さえ、テュルパンはしみじみと言った。
だがウォズマイラは納得のいかない様子で食って掛かる。
「そんな話は初耳です! 大体、聖天の女神が魔女を生み出したという話が本当なら、まさかこの世界を破滅に導いた『碧糸の織り手』や『紫炎の鍛え手』のような邪悪な魔女達も、女神の手によって送り込まれたものなんですか?」
「あ、いや、さすがにそこまでは私にも分からないんだけど……」
すると『黒獅子姫』がテュルパンの代わりに答える。
「いいや、違うのじゃ。あやつらは『偽りの魔女』。『真なる魔女』のわしが魔力を貸し与えて創り出した存在なのじゃ。今ここで、おぬしらには全てを話しておくのじゃ」
『黒獅子姫』は、ウォズマイラとテュルパンに今までの出来事を説明した。
全ての人間が、善と悪という矛盾した概念を心に宿す事。
それ故、この世界を創りし聖天の女神ミュレイアは、善と悪の勢力をコントロールする導き手として、自ら選び出した乙女に力を与え、『真なる聖女』と『真なる魔女』を生み出した事。
『真なる聖女』セオドラに魔女の嫌疑をかけて処刑した聖天教会への報復として、『黒獅子姫』は自らが創り出した『偽りの魔女』の軍勢を率いて戦いを挑んだ事。
そして聖天教会を滅ぼした後、暴走した『偽りの魔女』達に裏切られ、北の城に幽閉されていた事など――。
「……つまりこの世界が崩壊した原因の大半はあなたにある。そういう事ですね、ミルダさん」
ウォズマイラは厳しい顔をして言った。
「まあ、率直に言ってしまえばそうじゃな。じゃがそもそもの発端は、善の側であるはずの聖天教会が暴走して、『真なる聖女』を殺めた事なんじゃぞ。それにわしは、聖天教会をあのまま放置してはおけんかった。『真なる聖女』という箍が外れた教会をあのまま放っといたら、魔女狩りの狂気がさらにエスカレートして、収拾が付かなくなっとったろうからのう」
「ですが結果として、それ以上の最悪な事態を引き起こしてしまったようですね」
「そうじゃな。その点はさっきダグが言っていた通りじゃ。良かれと思ってとった行動が、時として流血の惨劇を引き起こしてしまうのも事実じゃ。今にして思えば、もっとよい解決方法があったかも知れんのう……」
『黒獅子姫』は力無く答えた。
ダグボルトは、グリフォンズロックの宿で同じような議論をした事を思い出す。
あの時の彼女は、あくまでも悪いのは教会の方だと言い張っていた。
だが今の態度はまるで違う。
ダグボルトと共に荒廃した世界を旅して、自分の行動がどのような結果をもたらしたか。嫌というほど見てきたからかも知れない。
しかし以前と考えが変わったのは、ダグボルトも同じだった。
『黒獅子姫』の魔女らしからぬ優しさと責任感に触れるにつれ、結果はどうあれ、彼女の行動に悪意は無かったのだという結論に達していた。
「ミルダ……。悪の側であるお前が、善の側の問題まで引き受ける必要は無かったんだ。それは本来、俺達が何とかしないといけない事だったんだからな。だが、いまさら過去の失敗を悔いても仕方がない。今はお前の力が必要なんだ。悪の暴走を食い止めるのは、悪の導き手であるお前の大事な仕事だろう?」
ダグボルトは『黒獅子姫』の肩を優しく叩いた。
「すまんのう、ダグ。おぬしには励まされっぱなしじゃな」
『黒獅子姫』は肩に置かれたダグボルトの手に、無意識のうちに自分の手を重ねる。
だがウォズマイラとテュルパンがじっと見ているのに気づき、慌てて二人は手を離した。
「……とにかくそういう訳だ。俺とミルダは『偽りの魔女』を倒し、魔力を回収するために旅を続けてる。今のあんた達とは利害が一致するはずだ。『碧糸の織り手』や『紫炎の鍛え手』を倒すためにここは共闘しないか?」
ダグボルトは出来る限り誠意ある口調でウォズマイラに呼びかけた。
ウォズマイラは無言でテュルパンの方を見る。
するとテュルパンは笑顔で答える。
「無論、大歓迎だよ。一人はウォーデンの知り合いでかなりの腕利き。さらにもう一人は『真なる魔女』様ときてる。本来ならうちが礼を尽くして助力を乞うところさ」
「私も異論ありません。お二人共、ご協力感謝いたします」
ウォズマイラは椅子から立ち上がると二人に深く頭を下げた。
ダグボルトは今のやり取りで、劫罰修道会を実質的に率いているのは、ウォズマイラではなくテュルパンの方なのだと理解した。
聖女の力を持つとはいえ、外見通りの年齢ならまだ十代の少女。
組織を率いるだけの能力を持ち合わせていないのかも知れない。
ダグボルトは、ウォズマイラに軽く礼を返すと話を続ける。
「最後にひとつ聞きたい、ウォズマイラ。結局あんたは、どうやって聖女の力を手に入れたんだ?」
「それは……」
返答に詰まったウォズマイラは、またもテュルパンの方を見る。テュルパンはすぐに彼女の代わりに答える。
「君達は、我々に包み隠さず事情を説明してくれたね。だから我々も、君達には真実を話すよ。ただしここからの話は他言無用で頼むよ。それでいいね、ウォズ?」
「…………はい。それで構いません」
ウォズマイラは消極的な声で許可する。
「実はウォズの聖女の力は、人の手によって与えられたものなんだ。そういう意味では、人工聖女とでも言える存在なんだよ、彼女はね」
衝撃を受けたダグボルトは思わず椅子から立ち上がる。
「人の手で!? 莫迦な!! 一体誰が、どうやって!?」
テュルパンの両肩を強く掴み、大声で問い詰めるダグボルト。
だがテュルパンが苦痛で顔を歪めているのに気づいて、慌てて手を離す。
「あ痛つつつ……。それは私ではなく、力を与えた本人に聞くのが一番早いんじゃないかな。つまり君の恩師、ウォーデン・オルギネン本人にね」
そう言ってテュルパンは、唖然とするダグボルトにどこか哀しげな笑顔を見せた。
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