昭和37年

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昭和37年

山中の長いトンネルを抜けると、そこは神社だった。境内にユリが自生して、トンネルを隠していた。境内は少し高い山の上にあって、長い階段の下には海があった。日が真上にある初夏の昼時だった。着物だった風志朗くんは、半袖シャツに短パン、麦わら帽子スタイルに着替えていた。下駄はそのままだが、立派な羽はどこへやってしまったのか、小さな背中を晒している。 「似合うじゃん。虫取りに行く?」 「虫はいいですけど、平井、のどが渇きませんか。これでじゅーすを買ってきてください」 そう言って荷物の中から古めかしいお札を取り出した。すごい髭のおじさん、板垣退助の顔がある。 「百円…札…!?なにこれ、初めて見た。使えるの?ってか本物?!」 「失敬な。本物ですよ。『ここ』は昭和なのでそれが使えるんです。同じものが賽銭箱に入っていますよ」 賽銭箱を凝視する風志朗くん。千里眼とやらで見えるんだろうか。 「ジュースがどこで売ってるか、ついでに見てくれない?」 「階段を下りて左に曲がってください。少し行くと民家が見えてきます。二つ目の角で、老夫婦がお店をしています。らむねが売っていますが、私はしゅわしゅわするのが苦手なので違うのをお願いします。所長にも忘れずに買ってきてくださいね」 御神木の下で、所長が丸まって休んでいる。 「風志朗くんは一緒に来ない?」 「私はここで、稲田関までの道順を調べます。所長も人目についたらびっくりされますし」 あと暑いし。ぼそっとそう聞こえた。平成生まれの僕がいるはずのない、昭和の太陽の下。一人でお使いに出されてしまった。 教えられた通り、レトロな個人商店でコーラとラムネとバヤリースを買った。お店で栓を抜いてもらったから、こぼれないように神社の階段を慎重に上る。神社に着くと、数人の子供が境内にいて、風志朗くんと所長はその子たちと遊んでいた。地元の子供につかまってしまったのだろう。出て行っていいものか悩んだが、ジュースもぬるくなってしまうし、仕方なく声をかける。 「風志朗くん」 「だれこのひと~」 「私のお兄ちゃんですよ。一緒にお参りの二人旅です。シロもいれたら三人ですね」 風志朗くんが目くばせする。合わせろってことだろう。どうやら兄弟とペットの犬で旅行中という設定らしい。 「遊んでくれてありがとね。ジュース飲む?」 子供たちは遠慮なくジュースを飲み、あっという間になくなった。のどを潤した子供たちは、また風志朗くんと所長を誘って遊び始めた。 日陰の石段に座って子供らを眺めた。所長は小さい子を背中に乗せて歩いている。この落ち着きようや、ここまで案内してくれたことも含め、ただの犬ではないんだろう。風志朗くんが天狗だってことはこの数日で身に染みてわかっているが、羽をしまって子供たちと遊んでいると、ありふれた子供にも見えてくる。 子供たちは何も知らず、天狗の子と常世を案内する犬、そしてたまに未来人の僕も遊び仲間に入れてはしゃいでいた。 「みんな、そろそろ帰りましょう」 日が傾いたころ、風志朗くんが子供たちに声をかけた。盛り上がっている子供たちは当然聞き入れない。 「もっと遊ばないの」 「シロ、もいっかいのせて」 一番小さい子がシロ…所長に抱きついた。所長を気に入ってずっと遊んでいた子だ。 「帰らないと人さらいに遭いますよぉ」 風志朗くんはため息をついて、でも慣れた口調でそう言う。人さらいが怖いのか、少し効果があったようだ。 「そうそう。僕らも宿に戻らないとだから、ね。ハイ、みんな気を付けて帰りましょう!」 大人の僕が畳みかけると、子供たちは渋々帰っていった。 「ふふ、楽しかったねえ。ちょっとしたハプニング」 「本殿の後ろに隠れていたんですけど、見つかってしまいました。子供は目ざといですね」 「図らずもお仕事しちゃったね」 「ええ。ここにも常世へ道が開いていますし。それがあろうがなかろうが、日暮れはよくないことが起きますから、人は皆、家に帰さなければ。……平井もですよ」 風志朗くんは色あせた本殿を振り返り、話しかけた。 「朱越の杜番、風志朗です。お邪魔して申し訳ありません。この平井は平成から迷い込みました。なにとぞ平井が故郷に帰れるよう、お守りください」 真剣な横顔に、僕は自分がここにいる理由を思い出した。 「平井です、お邪魔しました!お願いします!」 無事に帰れたら、お礼参りをしたいなと。そう思いつつ深々と頭を下げた。 「私たちも稲田関に行かなければ。日没には道が閉じてしまいますよ」 「あ、そっか。大変だ」 僕が迷子になったのは、日没を過ぎて朱越に留まったからだ。逆に日没までに稲田関に入らなければ、ここに取り残されてしまう。 「遠くはないですよ。間に合います」 所長について、海を背に歩き出した。途中でジュースの瓶をお店のおばあちゃんに返した。 民家のはずれの三叉路で、三人並んだ地蔵の裏手の梯子を上り、林の中を進んだ先に、稲田関はあった。稲田関というだけあり、田園が広がる中にぽつんと、関所と街道のあとが残されていた。田んぼには水が張られ、鏡のように夕日を照り返した。先ほどまでいた海辺の立地を考えたら、こんなに広い田園があるのは不自然だ。また異空間に入ったのだなと思った。所長は僕たちが追いつくまでの間、広い道を楽しそうに駆け回った。僕たちが関所の屋根の下にたどり着くと、大きな体は音も風もなく軽やかに田園を走り去った。あまりにもあっさりした別れだった。
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